三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

追悼碑・碑文・追悼碑建立宣言・説明板の社会的意味

2017年11月10日 | 抗日・反日闘争
         以下は、このブログの2014年10月22日の「日本の国家犯罪の隠蔽を許さない
        民衆運動を!」に続くものです。あわせて読んでください。

 1994年10月に李基允さんと裵相度さんを追悼する碑が建立され、1997年2月に紀州鉱山の真実を明らかにする会が創立された。
 その後、20世紀末、1999年8月13日に侵略の旗「ヒノマル」が日本国旗とされ、天皇賛歌「キミガヨ」が日本国歌とされた。その12日後の8月25日に、他地域・他国軍事侵略のための「周辺事態法(周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律)」が施行された(「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」が統合して「日本会議」が結成されたのは1997年)。
 21世紀にはいり、日本でナショナリズムがさらに強くなってきた。日本政府は過去の侵略の歴史を肯定し、あらたな侵略の体制を強化している。
 日本政府は、2003年6月に「事態対処法(武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律)」を、2004年6月に「国民保護法(武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律)」を成立させた。
 さらに日本政府は、2015年9月に「戦争法」(「平和安全法制整備法」+「国際平和支援法」)を公布すると同時に、「周辺事態法」を「重要影響事態法(重要影響事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律)」に改名・改悪した。
 このような日本政府の侵略体制の強化策動は、日本ナショナリズムと排外主義を克服しようとする日本民衆が1945年8月以後多数になっていったなら不可能なことであった。
 民族差別扇動言行(「ヘイトスピーチ」運動・「ヘイトクライム」)をおこなう日本人が少なくなくなったのは、21世紀にはいってからであった(「在日特権を許さない市民の会」が結成されたのは2007年)。
 そのような日本の政治・社会・文化・思想状況のなかで、2014年に、長野、奈良、群馬などの自治体が、日本の侵略犯罪の犠牲者を追悼する碑や事実を明らかにしようとする説明板の存続を妨害しはじめた。

■奈良県天理市の説明板
 日本海軍は、1944年9月から、奈良県天理市の柳本に飛行場(「大和海軍航空隊大和基地」)を建設し始めた。多くの朝鮮人が働かされた。1995年に天理市と天理市教育委員会は、柳本の旧滑走路の近くに、「「大和海軍航空隊大和基地」について」と題する地図入りの説明板を設置した。そこには、 
   「多くの朝鮮人労働者が動員や強制連行によって、柳本の地へつれてこられ、きびしい
   労働状況の中で働かされました」、「「慰安所」が設置され、そこへ朝鮮人女性が、強制
   連行された事実もあります」、「平和を希求する私たちは、歴史の事実を明らかにし、
   二度とくりかえしてはならないこととして正しく後世に伝えるためにこの説明板を設置し
   ます」
と書かれてあった。
 2014年4月18日、設置19年後に、天理市と天理市教育委員会は、突然、その説明板を撤去した。
 柳本飛行場建設現場への朝鮮人男女の強制連行という歴史的事実は、奈良地域の人たちが中心になって1980年代から、聞きとり・文書探索などによって明らかにしている(川瀬俊治『朝鮮人強制連行と天理柳本飛行場』奈良県での朝鮮人強制連行等に関わる資料を発掘する会, 1991年11月。田中寛治編『朝鮮人強制連行・強制労働ガイドブック 奈良編』奈良県での朝鮮人強制連行等に関する資料を発掘する会、1997年8月初版、2004年8月改訂版。高野眞幸編『朝鮮人強制連行・強制労働ガイドブック 天理・柳本飛行場編』奈良県での朝鮮人強制連行等に関する資料を発掘する会、1999年9月。高野眞幸編刊『戦争と奈良県 天理を中心に』2016年12月など)。
 高野眞幸さんには、ことし8月26日に開催した海南島近現代史研究会第11回総会・第20回定例研究会で、「天理の大本営・“慰安所”・柳本飛行場とTの日記(朝鮮人強制連行)」について報告してもらいました(このブログの2017年11月6日の「海南島近現代史研究会第11回総会・第20回定例研究会報告」をみてください)。
 2014年11月8日に天理・柳本飛行場跡の説明板撤去について考える会は、現地で事実を確認するフィールドワークをおこなった。
 2015年9月3日、韓国忠清南道瑞山市は天理市に撤去した植民地時代の強制連行と慰安所に関する説明板を再設置するように正式に要請した。瑞山市と天理市は姉妹都市である。
 説明板を天理市は撤去しどこかに隠したままだが、天理市に歴史的事実を示す説明板を再設置させる民衆運動は持続している。

■群馬県立公園の追悼碑
 2004年4月に、群馬県朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる会は、群馬県の鉱山や工事現場で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を、県から10年間の設置許可を得て県立公園(群馬の森)に建立した。その碑文(「追悼碑建立にあたって」)には、
   「20世紀の一時期、わが国は朝鮮を植民地として支配した。また、先の大戦のさなか、
   労務動員計画により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群
   馬の地においても、事故や過労になどで尊い命を失った人も少なくなかった。
    21世紀を迎えたいま、私たちは、かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を
   与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を
   表明する」
と記されていた。
 追悼碑建立10年後、2014年7月11日に、群馬県は、県立公園内の設置許可を更新しないとし、碑の撤去を、群馬県朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる会を受け継いでいる「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を守る会に求めてきた。
 2014年11月に追悼碑を守る会は更新申請を不許可とした群馬県の違法・違憲処分の取り消しを求める訴訟を前橋地裁に提起した。その訴訟はことし(2017年)10月11日の16回目の口頭弁論で結審した(判決は来年2月14日)。
 ことし4月22日から群馬県立近代美術館で展示されることになっていた「記憶 反省 そして友好」の追悼碑をモチーフにした白川昌生さんの作品(「群馬県朝鮮人強制連行追悼碑」)が、その前日の21日の夕刻、突然撤去された。この群馬県立の美術館は追悼碑と同じ「群馬の森」のなかにある。
 白川さんのこの作品は、2015年に東京で、ことし2月〜3月に鳥取県立博物館で展示されていた。

■リバティおおさか問題
 2004年7月21日~8月15日にリバティおおさか(大阪人権博物館)で企画展『海南島で日本はなにをしたのか 侵略・虐殺・掠奪・性奴隷化』(主催:大阪人権博物館。後援:紀州鉱山の真実を明らかにする会)で開催されることになり、大阪人権博物館は2004年4月から企画展の広報をはじめていた。大阪人権博物館と紀州鉱山の真実を明らかにする会は2002年11月からその準備を進めていた。
 ところが、とつぜん、2004年5月13日に、大阪人権博物館は、紀州鉱山の真実を明らかにする会に、『海南島で日本はなにをしたのか 侵略・虐殺・掠奪・性奴隷化』という表題では「右翼」から展示が妨害されるおそれがあるので変更してほしいと、申し入れてきた。
 展示内容は変えないというので、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、企画の表題を、大阪人権博物館があらたに提案してきた『海南島とアジア太平洋戦争 占領下で何がおこったか』とすることを承認した。しかし、その半月後、5月30日に、大阪人権博物館は、展示そのものを中止すると通知してきた。
 紀州鉱山の真実を明らかにする会は中止を承認しなかった。6月の数回の話し合いの過程で、大阪人権博物館は、中止を延期に変更した(大阪人権博物館は現在に至るまで11年間、延期し続けている)。
 この話し合いのとき、「右翼」の妨害をおそれて後退するなら、大阪人権博物館は今後さらに後退するだろうと、紀州鉱山の真実を明らかにする会は大阪人権博物館に警告した。
 事実、大阪人権博物館は、その後、後退しつづけた。
 2008年9月に大阪府知事は、大阪人権博物館に展示内容の変更を要求した。
 2011年12月から大阪人権博物館は内容を変更した「常設展示」をはじめた。
 しかし、2013年度から大阪市と大阪府は大阪人権博物館への補助金を廃止し、大阪市長は2015年度から土地の無償使用も停止した。
 海南島で日本政府・日本軍・日本企業がおこなった侵略犯罪を示す企画展開催を大阪人権博物館が延期(実際は、中止)した2004年5月から11年後の2015年7月、大阪市は建物の撤去と敷地の返還を求めて大阪人権博物館を大阪地裁に提訴した(2017年12月1日に、第11回口頭弁論)。

■ピースおおさか問題
 大阪府と大阪市が出資し1991年に開館した財団法人大阪国際平和センター(ピースおおさか)は、2014年9月に休館し、日本の侵略犯罪にかんする展示をすべて消し去って2015年4月に新規に開館した。
 2013年4月に公表された「展示リニューアル構想」で、ピースおおさかは、日本の侵略犯罪にかかわる加害展示をすべて排除するという方針を示した。ピースおおさか問題は、2004年5月に海南島における日本の侵略犯罪にかかわる諸事実の展示を中止したリバティおおさか問題とつながっている(ピースおおさか問題については、くわしくは、このブログの2016年11月8日の「ピースおおさか改悪リニューアル裁判報告1」、11月9日の「ピースおおさか改悪リニューアル裁判報告2」、2017年1月14日の「ピースおおさか改悪リニューアル裁判報告3」、1月15日 の「ピースおおさか 条例違反認める」、9月2日の「ピースおおさかリニューアル裁判勝訴!」、11月2日の「ピースおおさか改悪リニューアル裁判報告4」をみてください)。

■追悼碑 国民国家日本の侵略犯罪を明らかにする根拠地
 日本の国家犯罪の犠牲者を追悼する碑や事実を明らかにしようとする碑文・追悼碑建立宣言・説明板の社会的意味は、21世紀に入ってから、より大きくなっている。
 日本国内の鉄道・道路・港湾・トンネル(鉱山の坑道、隧道)、地下壕(松代大本営、天理大本営、日吉日本海軍連合艦隊司令部)、飛行場……は、日本国内への朝鮮人・中国人強制連行・強制労働の物的証拠である。日本国内の追悼碑……は、日本国家の近現代史を示すものである。
 紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会は、2010年3月に建立した追悼碑の建立宣言の末部に、こう記した。
   「わたしたちは、この追悼碑をひとつの基点として、紀州鉱山から生きて故郷にもどる
   ことができなかったみなさん、海南島で死んだ朝鮮人、そしてアジア太平洋の各地で
   日本政府・日本軍・日本企業によって命を奪われた人びとを追悼し、その歴史的責任
   を追究していきます」。
 国民国家日本の国家犯罪を消し去ろうとする日本政府、日本ナショナリストに対抗し、日本国家の他地域他国侵略を阻止する民衆運動の根拠地のひとつが追悼の場(追悼碑のある広場)なのだと思う。
                                2017年11月1日  佐藤正人記
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