三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「広東裁判」・「香港裁判」 13

2012年02月10日 | 台湾
 「広東裁判」で死刑を宣告され、1947年8月4日に処刑された姜延壽さんは、日本海軍海南警備府佐世保鎮守府第8特別陸戦隊に所属させられていた日本軍の軍属(「巡査補」)でした。
 姜延壽さんと同じく日本海軍海南警備府佐世保鎮守府第8特別陸戦隊に軍属(「海軍通弁」)として所属させられていた張子涇さんは、1984年4月に台湾で日本語で発表した『台籍 元日本海軍陸戦隊軍人軍属いずこに』(聯邦書局出版事業股份有限公司発行)で、1943年、1944年頃のこととして、つぎのようにのべています。
   「日本海軍連合艦隊は南太平洋上の激烈な海空戦で、多数の艦船と兵員を失つたの
   で、その不足の戦闘員を補う為に、海南島に派遣されていた各陸戦隊から、その兵
   力の半分位の日本籍現役の若い下士官兵を、艦船勤務の方に供出した。そして各陸
   戦隊の不足を補う為に、台湾の方から彼等を巡査補(海軍軍属)の名称で徴用して
   補充した。
    ……彼等は、海南島では陸戦隊の主兵(一個分隊の戦闘兵力十三人の中で、分隊
   長の下士官兵の日本人は、三、四人だけで、後の十名は全部が台湾兵の巡査補である)
   となつて、自動火器(機関銃手の重責)を受け持ち……数え切れないほどの討伐戦に
   参加して……」、
   「その当時海南島に進駐している日本海軍陸戦隊の討伐隊の、兵員構成では、日本
   人兵士の数は『3分の1』で台籍(二十才前後の青年)軍人、軍属『巡警』の数は
   『3分の2』を占めて、自動火器を受持ち実際の戦闘主力になつていた。しかし資
   格の上では、巡警は軍属に属している為に、指揮系統の方面では兵の下で、入隊し
   たばかりの実戦の経験のない三等兵でさえ、戦地で二、三年も実戦に参加した経験
   ある一等巡警(台湾人)を指揮する事が出来る権限を与えられていた」。
 
 海南島における侵略犯罪によって広東で処刑された人は7人で、6人は日本人(兼石績海南警備府第15警備隊大尉、富田堯人海南警備府第15警備隊大尉、望月為吉海南警備府第15警備隊中尉、前田三郎佐世保鎮守府第8特別陸戦隊中尉、鮫島宗義佐世保鎮守府第8特別陸戦隊巡査部長、中村三郎厚生公司支配人)、1人は台湾人の姜延壽さんでした。
                            佐藤正人
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