三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「広東裁判」・「香港裁判」 10

2012年02月07日 | 海南島史研究

 2012年2月5日に、海南島三亜で日本語教師をしていたKさんが、三亜郊外の妙山村の日本海軍海南警備府第16警備隊の守備隊本部で、海軍警察の曽我が、老齢の女性に拷問していたと証言していました(このブログの2月5日の「海南師範学校15」をみてください)。
 この曽我は、1945年5月に第16警備隊妙山分遣隊で亡くなった方智隆さんを拷問したとして「広東裁判」で無期刑の判決を受けた海南海軍第16警備隊所属の警部倉本一明氏とともに逮捕された同隊所属の曽我文夫警部のことだと思います(このブログの2月3日の 「広東裁判」・「香港裁判」8をみてください)。
 「広東裁判一覧表」には、倉本一明第十六警備隊警察隊長、止利正信第十六警備隊警備科長(大尉)とともに、曽我文夫第十六警備隊警部(本籍、愛媛)の名があり、3人の共通した「起訴理由概要」に「……1945年2月初旬司令能美大佐の命により中国間諜方智隆を他の兵と共に楡林において逮捕し取調に当り殴打拷問した。次いで三一四の軍法会議に連行したが傷がひどいため不受理となった。同年四月初旬方智隆は妙山分遣隊に転送されたが五月上旬死亡した」(原文「元号」使用)と書かれています。「広東裁判一覧表」には、曽我文夫警部は「無罪」と書かれています。
 海南海軍特務部所属の海軍巡査をしていて日本敗戦後に海南島で逮捕され広東に連行された今井豊平氏が1978年に発表した『嗚呼天哉命哉』(海南海軍警察隊戦友会発行)には、曽我文夫氏は第16警備隊所属の台湾巡査部長で、1946年2月16日に「無罪」になったと書かれています。同書には、今井豊平氏は、1947年5月9日に不起訴処分になったと書かれています。
                                                          佐藤正人

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