く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<BOOK> 『日本と中国の絆』

2015年12月15日 | BOOK

【胡金定著、第三文明社発行】

 著者胡金定さんは1956年中国福建省生まれ。国立廈門(アモイ)大学卒業、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。現在、甲南大学国際言語文化センター教授。1985年に来日し30年にわたって中国と日本の文化の比較研究を続けてきた。著書に『郁達夫研究』、『アクティブ中国』(共著)、中国語教科書など。幅広い交友関係を持ち「こきんちゃん」の愛称で親しまれている。(写真㊨は達筆な胡金定さんの署名)

        

 日中関係は領土問題や歴史認識などで1972年の国交正常化以降最悪ともいわれる。双方の国民の間でも反中、反日感情がかつてなく高まっている。日本の大学生の中国語選択者数は2~3割も減少しているそうだ。筆者は今こそ「以民促官(いみんそくかん)」の精神で民間交流を重ね友好の絆を深めていくべきだと指摘する。「民間先行、以民促官」はまだ国交がない時代に中国の周恩来総理が提唱したといわれる。

 序章「日本と中国の共通点」に続いて5つの章で日中友好や親善の懸け橋となった人々を紹介する。見出しの一部を列挙すると――。岡崎嘉平太の「刎頚の交わり」、魯迅と「藤野先生」の師弟関係、孫文を支えた梅屋庄吉、親善の橋かけた棋聖・呉清源、砂漠緑化に懸けた遠山正瑛、日中友好の先駆者・鄭成功の魂……。朱鷺(とき)が結ぶ日中の友好、友好の使者・高倉健、赤穂浪士・武林唯七、楊貴妃伝説、文化交流の創始者・徐福などもある。

  鄭成功(1624~62)は長崎生まれで母親は日本人。近松門左衛門の「国性爺(こくせんや)合戦」では「和藤内」の和名で知られる。明皇帝から名前を賜ったため人々から「国姓爺」と呼ばれた。鄭成功はオランダの植民地だった台湾を開放した英雄。東日本大震災の際、台湾から200億円もの義援金が寄せられたが、筆者はその背景の1つに台湾で「開発始祖」と崇められている鄭成功の母が日本人だったこともあるのでは、と推測する。赤穂浪士の武林唯七は祖父が中国人で、日本には漂流し流れ着いたといわれる。父と2代にわたって赤穂浅野家に仕えた。義挙後、幕府の命で切腹、享年32。辞世の句「仕合や死出の山路は花ざかり」。

 高倉健は文革直後の1979年に公開された主演映画「君よ憤怒の河を渉れ」(中国の題名は「追捕」)で一躍人気を集めた。当時大学生だった筆者はこの映画を通じて「日本に対する憧憬の念を一層強くした」そうだ。健さんは映画だけでなく、2006年に北京電影学院の客員教授に就任し、11年の雲南省の地震の際には被災地にヒマワリの種を送って村民を感動させたという。昨年11月訃報が伝わると中国でも大々的に報じられ、テレビは特集番組を組み新聞は追悼記事を載せた。筆者は健さんを「まさに日中友好の体現者」と称え、「日中両国に多くの高倉健が出現することを願ってやまない」と記す。


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