いつの時代も、どの道場にも、粘りのある子、淡白な子ってのがいます。
粘りのある子は、センスよりも根性、負けん気が勝っているタイプで、淡白な子は、あっさり負ける時もあれば、滅多に抜かない刀の切れ味に驚かされることがある。
で、自分が小学生を見ていた時は、8:2、いや、9:1で前者のタイプが多かった。
大悟や大晟は当然前者だし、大和も淡白ではないので前者でしょう。
そして、時は流れ、現在は中学生と練習する機会が多いんですが、センスはあっても、粘りや渋とさ、執念に欠けた子が多く、
何でだろな・・どうしてたかな・・。
と頭を悩ませることが多い。
で、結論的に、なかなか物心であったり、自我が目覚めてから勝負に対する執念といったものは定着し辛いもので、やはり低学年時代ってのは後々への影響力が大きい。
逆もしかりで、低学年時代に執念だ、勝負だと追い詰めすぎると、戦うマシーンになってもしまう。
大悟や大晟は何もなければ、争い事が嫌いなのんびりとした子だったでしょう。
良いも悪いも、泥臭くも粘り強く、また、一発の技や爆発力がないのは、当時、狂犬じみた若かりし私の影響が大きかったと思います。
ま〜のんびりと優しい人間に急にイケズな勝負師になれってのはなかなか難しい。
言葉や環境で補いながら、武器を磨いていくのみだな。