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経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

3.11 まだ見えぬ未来への責任

2012年03月10日 | 経済
 今週の日経ビジネスの特集は、「3.11 まだ見ぬ未来へ」だ。その中には、「復興予算が遅れた」、「使い勝手が悪い」ということが書かれている。筆者は、こういう批判は的外れだと思う。日本の財政当局は、意図的にそうしたのであり、それを日経や政治が見抜けなかっただけのことだ。今の状況は、本コラムの予想どおりの結果である。

 震災に際して、どのような財政運営を行えば良かったかは、昨年の4/17、6/24に記したとおりである。財政運営の基本的な技法を使えば、復興増税騒ぎで、政治に負荷をかけることなく、迅速かつ十分に予算を用意することは可能だった。予算が遅れたのは、財政状況が厳しかったからでも、政治が情けなかったからでもなく、財政当局が増税の野望を仕掛けたからである。当時は、財政破綻の不安が煽られたが、ほとんど増税が出来なかったにもかかわらず、長期金利の上昇すら起こっていない。

 財政当局の戦略は、次のようなものと考えられる。まず、震災の被害を過大に算出し、増税が不可避の雰囲気を醸成する。これで増税に成功すれば良し、出来なくとも、巨額の復興予算は「見せ金」的なものにして、使い難いものにすれば、実質的には財政を膨張させずに済む。彼らは、金庫番としての役割を忠実に果たした。

 「見せ金」のカラクリは、こうである。例えば、三陸高速道の整備は、復興の目玉の一つだが、長い目で見れば、震災がなくても建設されたものである。いわば、今後10年間に予定されていた建設費を、今回、復興費として先取りし、一気に計上しただけのことで、長期間で比較すると、トータルの予算額は変わらないことになる。

 財政当局にとって困るのは、震災がなくても使う予定だったもの以外に、使途が広がることである。その分は、長期的に見ても財政が膨らむことになるからだ。つまり、復興費に縛りをかけ、既存の補助金メニューに限り、使い勝手を悪くするのは、財政当局にしてみれば、当たり前の行動なのである。

 むろん、今回のような、町村が丸ごと被災した場合には、既存のメニューだけで復興を果たすのは無理がある。そのことは、山古志村が全村避難を余儀なくされた2004年の中越地震で経験済みである。この時は、3000億円規模の復興費のほかに、600億円程度の運用益を見込む基金を造成している。これは地方財政措置で行われたものであり、自由度が高く、被災者へのきめ細かい支援に役に立っている。博覧強記の財政当局が、こうした経緯を知らないとは思えない。

 復興の遅れのもう一つの原因は、ヒトの問題である。復興に当たる市町村職員が圧倒的に足りない。これに対して、政治は、国や他の自治体に「動員令」をかけたわけだが、筆者は、この時点で、ダメだと思っていた。長引く緊縮財政の下で、国や多くの自治体は、人的にも余裕を失っていたからだ。何とか捻出した結果は、多くを1月交代の入れ替わりで送るような形になった。

 本当は、国が技術系を中心に職員を大量に採用し、被災市町村に出向させれば良かったのである。しかし、そうした恒常的な人件費が膨らむことは、財政当局が最も嫌うことである。また、公務員叩きの風潮が横溢する中で、政治が言い出せることでもない。任期を10年として、中高年を中心に採用するといった工夫があれば、乗り越えられた気もするのだが。 

 今週は、「増税のために身を削る」と称して、公務員採用の大幅削減が打ち出され、話題を集めている。他方で、被災地では、職員が足りず、過重負担で潰れそうになっている実態も、連日のように報じられた。それにも関わらず、この二つは、結び付けられて考えられることはない。「公務員は増やさない」、そのドグマから一歩も出られずにいる。

 復興の遅れへの財政当局の責任は重い。他方で、巨額の復興費に怯えて、増税の必要性に賛同したのは、誰なのか。小さな政府を所与として、応援で済ませようとしたのは、誰なのか。「絆」を強調するのは構わない。しかし、我々は、肝心のところで、リスクを恐れ、信条に拘ったのである。そのことは、忘れないでほしい。

(今日の日経)
 日経平均一時1万円、震災前株価に迫る。10%超へ追加消費増税、16年度までに法案。米雇用、2月22万人増、高水準維持。公務員採用7割削減を提示。

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