経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

一害を除く経済政策

2012年04月21日 | 経済
 今週のJMMは非常に興味深かった。正直、「異論」好みの筆者は、北野一さん以外の書き手に魅力を感じていなかったのだが、今回ばかりは、すべて読ませてもらった。内容の良し悪しより、日本のエコノミスト、そして、世の中の雰囲気がどんなものか、分かるような気がしたからだ。

 大雑把にまとめると、「経済成長は望ましいが、どうすれば実現できるか分からない。したがって、低成長で増税するのも仕方ない。」というところだろうか。書き手の皆さんは、筆者より若いと思うのだが、随分とあきらめが良いのだな。そして、成長の方法が分からないというのは、エコノミストとは「他愛もなく無用なもの」なのかなとも思える。

 結核は、その昔、不治の病であり、栄養と休養を十分に取り、体の治癒力を高めることだけが治療法であった。デフレを前にして、金融緩和と規制緩和しか唱えられないのでは、特効薬ストレプトマイシンがなかった頃の医者のようなものである。まあ、それらで劇的に治ると言い張らないだけ、良心的なのかもしれない。

 以前、政府で経済政策の衝にある方と話をしたおり、「どうしたら成長するのですかねぇ」と本音を漏らすのを聞いたことがある。むろん、公式の場で、そんな弱気な発言をすることはないわけだが、悩みは深いと、不思議に共感できたものである。さらには、「生産性向上は永遠の課題」なんてことも言っていたな。実際に政策を運営し、悪戦苦闘している人の実感だと思う。

………
 さて、JMMの中で異彩を放つ、北野一さんの論考から見てみよう。北野さんの処方箋は、煎じつめると、高収益の事業にしか投資しようとしない、日本企業の経営者の志向を変えるというものだ。経営者が低収益の事業にも対象を広げ、より多くの投資をするようになれば、おのずと経済は成長することになる。

 この問題、難しいように見えて、古い人間には、すぐに答えが出せる。なぜなら、30年前の日本経済は、そうだったからである。成長していた頃の日本経済では、企業はシェア争いに明け暮れていた。シェアを奪うために、収益性を落としても設備投資することは、ごく当たり前の行動であり、学者には理解しがたい「悪弊」ともされていた。

 学者には不合理に見えるこの行動には、れっきとした理由があった。生産性の向上は、設備投資を通じて得られるため、設備投資をしないと、長い目で競争力を落としてしまうのである。また、規模を大きくしてこそ、研究開発費も得られるというものだ。ライバル企業に負けないためには、収益性を犠牲にしても設備投資をするのは、正しい戦略であった。

 北野さんの説と因果は逆で、「投資しないから、成長しない」ではなく、「成長しないから、投資しない」のである。かつての日本や新興国のような成長する経済、あるいは、需要が底を打った景気の局面では、設備投資をしないことの方が、むしろ、リスクになる。これは、経験豊かな経営者なら、聞かれれば、そう答えるはずだ。そうねえ、コマツの坂根会長にでも聞いてみたら良い。

………
 今のような議論は、成長のために、成長が必要というような循環論に聞こえるかもしれないが、経済というのは、一つの設備投資が需要を追加し、次の設備投資を呼ぶといったサーキット・メカニズムを持っている。いまや、途上国の経済開発では、輸出型外資の導入が定石である。それを起点に内需が広がり、国全体が豊かになっていくのだ。

 反対に、日本の場合のように、まったく成長しないことの方が異様である。何か異様な政策が行われているのではないかと疑わなくてはならない。その政策とは、「殺さず生かさず」の財政運営である。どうも、日本のエコノミストは、日本の財政は大赤字という先入観が強いようで、財政の毎年の動きをデータで確認せず、当局の発表物で満足し、いつもインフレ圧力がかかっていると思い込んでいるようだ。

 実際には、猛アクセルと急ブレーキの繰り返しである。例えば、リーマンショックの時には、先日、日経が報じたように、地方が使い切れずに巨額の繰り越しをするほどバラマキをするかと思うと、2010年には、景気対策をぶった切って、駆け込みと反動減で景気を撹乱したりする。今回の震災でも、大規模な復興費は、執行に無理があって、積み上げられたままだ。こうした稚拙な財政運営が必要以上に財政赤字を累積させている。

 GDP比で200%にもなろうという政府債務の累積は、ある意味、異常である。財政赤字をたれ流せば、そこまで行く前に、インフレに見舞われるからだ。そうならないよう積み上げるのは至難の業である。景気が落ち込むときには、もの凄いバラマキをするのに、回復の芽が出ると、すぐに需要を吸い上げて、設備投資増の循環を断ち切ってしまう。こういう所業でもしてないと、なかなか実現できるものではない。

………
 JMMの書き手の皆さんは、すっかり成長をあきらめているようだが、皮肉なことに、この1-3月期の成長率は、3%を超える数字が出るかもしれない。前期だって、外需が足を引っ張らなければ、2%台後半だった。今期は、既に貿易統計が公表されて、外需がマイナスにならないことが確認されている。どうしたら成長させられるか分からないまま、足元では、「勝手に」経済は成長しているのである。

 もちろん、不況の反動ということもあろうし、復興が遅れて出たに過ぎないかもしれない。しかし、全国的に消費を中心とした景気回復が始まっていることは確かである(東北の被災3県のGDPは日本の4%足らずだ)。これは、震災によって、財政当局による大規模な緊縮財政が「一時停止」になっていることが背景にあるのではないか。

 いずれにせよ、この回復の芽を大切に育てることである。かつての高度経済成長だって、始まった当初は、戦災復興が要因であり、次第に減速するという見方も強かった。それを勃興期と評価し、潜在力をフルに引き出す積極的な経済運営をしたのが、下村治であり、池田勇人である。今の日本人が忘れた「日本はやれる」という思いが、そこにはあった。

 筆者は、メニューばかりが多い、お役所の成長戦略など、まったく信用していない。そんな世話を受けずとも、回復の芽を摘むような稚拙な財政運営さえされなければ、日本経済は、本来の伸びる力を発揮する。伸び始めれば、企業行動を変え、人材確保が始まり、若者も未来を信じるようになって、少子化と人口減さえ和らぐだろう。耶律楚材の格言のごとく、成長策の「一利」を捜し求めるのではなく、「一害を除くにしかず」なのである。

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