経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

政治における不幸の理由

2012年07月01日 | 経済
 民主党は、マニフェストの破綻を突かれ、分裂に至ってしまうようだ。今の支持率では、次の総選挙では壊滅的敗北さえ喫しかねないともされる。3年前の総選挙での圧勝とは、天と地ほどの差だ。なぜ、こうなったのか。「歴史のIf」の類ではあるが、別の道を歩むこともできたように思えるのである。

 財源の捻出ができずにマニフェストが破綻することは、政権交代ブームの時から分かり切っていたことだった。市井の人々はともかく、経済や財政に多少なりとも見識があるなら、実現を信用するはずがない。それに期待感を表明していたとすれば、不誠実をなじられても致し方ないだろう。

 政治を志す若人に申し述べておきたいのは、日本は、既に「小さい政府」の国であるということだ。社会保障以外の公共部門のGDP比は、先進国で最も低いのであるから、そこからムダを省いて、兆円単位の財源を捻出しようとするのには無理がある。政治の役割というと、役所を責めることと思い込みがちだが、こうした戦略眼を持つことが重要である。 

 他方、日本はデフレに苦しんでいる。リーマンショックから間もなかった3年前は、特にそうだった。ここから導かれるのは、民主党の選択として、子ども手当などバラマキに係るマニフェストの実現を優先することであり、ムダ削減による財源の捻出は「段階的に進める」とでもしておいて、先送りすれば良かったのである。

 運命の分かれ目は、政権交代後に編成した2010年度予算において、大蔵省出身者を財務相に据え、10兆円ものデフレ予算を組んだことにあった。前年度はリーマンショック対策で大規模な補正予算を組んでいたから、当初予算どうしを前年度と比較するかぎりでは、そんなデフレ予算には見えなかったが、実態は違っていたのである。

 2010年度は、景気対策からの撤退が急激過ぎて、後半に成長が失速した。デフレ予算では、円高につながるのも当然で、慌てて、自然増収を還元する補正予算で対応するという泥縄ぶりだった。もし、撤退を緩やかにしておけば、成長は維持され、円高が軽く済んだだけでなく、一層の自然増収も得られて、財源捻出の苦労を減らしただけでなく、財政再建の糸口にもなっただろう。むろん、経済のV字回復は、民主党への支持を高めてくれたはずである。

 こうして見ると、民主党の失敗は、「小さな政府」であるという現実的な国家観に欠け、回復途上という経済動向の大局観も持たなかったことにあると言える。若人には、ここを見てほしい。大衆迎合的なマニフェストは、憲政史上初の選挙結果による政権交代の方便として、掲げざるを得なかったとしても、約束の違え方には選択肢があったということである。

 月並みだが、政治家にとって最も重要なのは、国家観と大局観である。ムダ叩きと一気増税は、その対極のものだ。今の民主党内の紛争が、ムダ叩き派と一気増税派の対立に見えるのは、筆者だけだろうか。政権の奪取から勝者の分裂へと至った不幸な成り行きは、誰もが知るところだが、不幸の理由というのは、当事者は悟れぬものなのである。

(今日の日経)
 首相は分党認めず、小沢処分で詰め。即効策必要・ユンケル氏。社説・再生エネ普及へ創意工夫競え。大飯きょう再稼動。男消費に女性。アジアを向いたカナダ。光が照らす脳の迷宮。読書・ハーバード白熱日本史教室。ヒートアイランド・節電で0.7度緩和。

※欧州はドリンク一本で解決とは行かないのう。※買取制の競争のなさを批判しないのかね。買い値が高すぎて、輸入しないと需要が埋まらないのでは、産業政策とは言えぬ。中国企業に橋頭堡を与えるようなもの。液晶テレビを教訓にしていない。国内企業の強みの営業力を活かすよう、マンションや小事業所向けのコジェネを加えたものを優遇するとかの工夫も足りない。通産省のいやらしさはなくなり、随分と公平になったものである。

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3 コメント

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Unknown (通りすがり)
2012-07-08 13:03:28
日本は、公共料金を含めOECD中で最も高コストの国です。 小さな政府とか丸っきり逆です。 それは、政府間連団体を計算に入れていないからです。 規制で守られた分は、国民が高い価格でサービスを受けているわけです。 
近視眼的な考察だと思いますが。 
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「政府関連団体」は誤解が多いです (KItaAlps)
2012-07-09 00:33:15
「政府関連団体」を計算にいれていないのは事実ですね。

1 ただ、そうした団体が多数ある国は日本だけではありません。

2 政府を公共的なサービスを提供する主体と捉えると、例えば米国には、政府の影響下にはなくても、公共的なサービスを提供しているNPO団体が日本よりもはるかに多数あります。しかも、それは主に寄付によって運営されており,日本に比べて桁が何桁も違うくらい規模も大規模です。これらが必ずしも政府の影響下にないことは事実ですが、社会としてはそのコストを負担(寄付という形ですが)しているのは間違いないわけです。米国は、そのおかげで、国際比較では、その分、公共サービスのコストが低く見えています。

3 日本は「政府関係団体」が多いから実は高コストだという話は良く聞くのですが、それが政府の影響下にあり、さらに(それらがカウントされていないために政府の効率が高く見えるほどの規模の)予算や人員を抱えている団体が多数あるとするなら、そのための資金の大半は政府から出ているはずです(日本は寄付文化もないわけなので他からはほとんど収入がはいりません)。それらの団体のコストが、政府から出ているなら、必ずその費用は政府の予算、決算に含まれています。そうしたコストを含めた政府全体の予算決算全体で国際比較して、日本のGDPに占める政府の規模は、国際的に小さいのです。

4 あとは政府から金をもらわずに運営できる「政府関係団体」があるかですが、第一に、「政府関係団体」が規制を維持させる圧力を政府にかけたり、自分たちの利益になるように規制を緩めたり、強めたりする働きかけを政府に行う活動をしている団体は、政府関係団体というよりも「業界団体」というべきです。業界団体なら、政府に圧力を掛ける資金を得るために、業界内から、ある程度の負担金を集める事もできるでしょう。
 しかし、そうした団体は、日本だけでなく米国をはじめ普通の国々に多数存在しています。例えば、米国で見れば、こうした団体が強力な資金力を持ち、政治や政策に強い影響力を持っていることが、大きな社会的、政治的な問題になっています。ロビイストという職業がありますが、それはそうした団体の委託を受けて政治家や行政に取り次ぎ圧力をかけたり組織したりする職業です。

5 第二に、資格試験や検査などを政府の指定を受けてやってるような団体は、受験料や検査料?収入などで、政府の資金なしで運営できるかもしれません。しかし、こうした団体は、他の国々にも多数あるでしょう。また、それをもって、(こうした団体が日本だけに膨大に存在するから)実は日本が特に大きな政府だといえるようなものとも思えません。
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高コストと競争力(長文陳謝) (KItaAlps)
2012-07-09 21:37:55
 多分、Unknownさんの認識は「高コスト」が基本にあって、「政府関係団体が多い」というのは、その高コストの原因に関する仮説なんですね。

 公共料金など、日本のいくつかの分野のモノの価格が高いというのは、私もそう感じます。

 これは、上の4で書いた「業界団体」や企業の政治的圧力の問題であって、政府サイズの大きさとは一応関係ないとは思うわけですが、日本では政府の影響が経済をより大きく支配しているとは言えるかもしれません。

 政府は高コストではない(それが通常の意味での「大きい政府」の意味だと思います)とは思いますが、政府の影響力が強く、それがいくつかの分野の高コストを引き起こしているという意味では、Unknownさんの認識は首肯できる部分があります。

1 では、こうした分野の高コストが例えば日本の国際競争力の障害になっているかというと、そうとも言えません。日本の輸出財の競争力は、それに係わる様々な財・サービスなど(中間財・サービスや原材料)や賃金に関するコストを加重平均した広い意味の「物価」の高低によってほぼ決まります。

 輸出財生産のために必要な、そうした様々な財・サービス等が組み合わされたバスケットの中で、あるモノの価格が高い低いというのは相対価格の問題です。高いモノもあれば、低いモノもあるわけで、それはどの国でも同じです。国によって高いモノと安いモノの種類が違うわけです。一方、その国のある分野の製品の競争力を決めるのは、その製品に係わるすべての財・サービス等を組み合わせたバスケット全体の加重平均としての「物価」です。

 それが高いか安いかは、中長期的には貿易収支に反映されます。つまり貿易収支を見れば高いかどうかがわかります。中長期的に見て常に輸出が輸入より多い(つまり貿易収支黒字)国は、そのバスケットの平均物価が低いと考えられるわけです(でなければ、輸出超過が中長期的に継続できない)。

 貿易収支の状況を見ると、日本は、東日本大震災に伴う輸出財生産の一時的縮小と、原発の停止に伴う発電用燃料輸入の急増(かつ原油価格の国際的高騰もあって)によって、ここ1年ほど貿易赤字が続いていますが、それ以前は、恒常的に貿易収支は黒字でした。これは、日本の輸出財を生産するために必要な原材料、中間財製品、人件費などのコスト(広い意味の物価)がトータルで他の国々に比べて安いことを意味します。

 日本はここ1年ほどを除いて、ここ30年ほどは貿易収支が黒字ですから、輸出財の生産に関係する様々な中間財、原材料、人件費、サービス等の加重平均価格については、低物価状態というしかありません(もちろん、その裏には輸出関連企業の血のにじむ努力があることも事実ですが)。これに対して米国のように貿易収支が恒常的な赤字の国は、(意外でしょうが)その国の貿易財生産のための平均物価が高い国と考えることができるわけです。

2 もっとも、こうした「平均物価」は、実は為替レートで簡単に変わってしまいます。国際収支の内訳として貿易収支しかないような世界なら、為替レートは各国の平均物価が「等しく」なるように決まります。
 ところが、海外との資本のやりとりニーズ(例えば海外投資したいという動きが強かったり、逆に海外の投資家がこちらに投資したいというニーズが強かったり)が貿易収支関連の代金の決済ニーズ以上の影響力を持つと、為替レートは、貿易収支(さらにはそれを含む経常収支)のほかに資本収支の動向が左右するようになり、資本収支の赤字(黒字)に対応して貿易収支の黒字(赤字)が発生します。

 日本の貿易収支がここまで恒常的に黒字だったのは、日本が継続的に海外投資を超過(=資本収支の赤字)させてきたからです。この結果、貿易収支(より正確には経常収支)が黒字となる環境が維持され、日本は貿易の側面で見ると、物価が安い状態となり続けてきました。

 これは、(日本の輸出財に係わる)物価が安いという状況は、為替レートに左右されるものでもあることを意味します。・・・・しかし、こうした事情があるにせよ、日本の貿易財の生産にとっての平均物価を見る限りは、日本は「低コスト」の国ということになります。

3 では、この貿易財関連の財・サービス価格のバスケットのうち、海外と比較して相対的に高価格なものを効率化して低価格化したらどうなるかというと、輸出財に係わる財・サービス全体の加重平均物価は、(そのモノのウエイトに応じてですが)当然、下がり、その結果、一時的には、競争力は上昇します。しかし、それによって貿易黒字が増えてしまいますから(それに応じて日本の海外投資がさらに増え続けない限り)、為替レートが、それを相殺する方向に変化してしまいます。つまり、チャラになります。

 もちろん、高い価格が下がることは競争力強化の方向への変化です。その国は、それによって、以前よりも小さい労働力や資本の投入で同じ価値のモノを生産できるようになるわけです。

 しかし、そうした努力が本当に、より強く必要なのは、米国のように、貿易収支が恒常的に赤字の国です。なぜ、米国はそうした努力を行うべきなのに、努力を放棄したのでしょうか。(それは実は明らかです。米国は、製造業を「捨て」、金融立国に舵を切ったからです。)

 一方、すでに貿易収支が恒常的に黒字である国で、いたずらにそうした努力(これはまさに構造改革で追究されたことでもありますが)を行うことは、元々不足している国内需要をさらに絞り込むことにつながり、経済の停滞を生むだけです。そもそも、貿易収支が恒常的に黒字の国とは、国内需要が生産能力に対して恒常的に不足している国のことなのですから。

 そうした方向の努力は、そういう需要不足の状態を脱し、成長が高まり、供給不足となり、経常収支の赤字が縮小している状況となってから(例えば、近年で言えばバブル期には(残念ながら)そうした状況がありました)、行うべきです。
 
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