経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

企業悪玉論を超えて

2012年05月23日 | 経済
 悲劇は悪意のみによって起こるにあらずだ。最近、消費増税を批判し、法人減税に反対するものだから、「共産党みたいよ」と、からかわれたりするのだが、そうではないんだな。別に大企業が悪いというわけではない。投資せずに、内部留保を積み増すには、理由があるということなんだよ。

 今週のJMMで北野一さんは、持論の「企業が高収益の投資に絞るからデフレになる」という説を述べられているが、この謎を解くのは、それほど難しいことではないように思う。北野さんは、米国の「物価上昇率-2.2%」が日本の物価上昇率になっているとして、日米の物価の連動を指摘しているのだが、もし、日本が無茶苦茶な財政出動をしたとしたら、この連動を政策的に断ち切ることは可能だろう。(MF効果も除けると思う)

 逆に言えば、1997年のハシモトデフレで自分でデフレに突っ込み、ゼロ金利となって金融政策という手段を失ってしまった日本が、財政政策の自由まで捨てているなら、米国の経済に連動することになるのは、ある意味、当然である。そうであれば、日米で物価上昇率が連動するのに何の不思議さもない。

 実際、1993年に景気が底入れして以降、日本の景気は輸出に完全にパラレルになった。輸出と設備投資の相関は恐ろしいほどだ。これは、戦後の日本経済の歴史の中では異常な事態である。なぜなら、輸出から内需へと景気が波及していくパターンが通例だからだ。そうならなかったのは、輸出が増えると、財政を緊縮させ、波及を断ち切ることを、わざわざしていたからである。

 輸出に景気を委ねてしまえば、日米の景気は連動するし、輸出型企業がライバルの米国企業の収益率を意識するのも自然だろう。また、それに影響を受けないはずの内需型企業にしても、財政で内需が潰されているのだから、低収益の事業を膨らませて、量で収益を大きくするわけにもいかない。収益を増やすには合理化一辺倒になる。こうして、内部留保は積み上がっていく。

 企業が高収益を目指し、投資を絞っているのは、ミクロ的な志向の集積というより、マクロ政策への適応の結果なのである。したがって、共産党のように、課税によって大企業から内部留保を取り上げれば良いというのではなく、それが投資に向かうような経済環境を作ってやるべきだろう。少なくとも、政府がスキあらば緊縮を狙うような状況では、設備投資、特に低収益のそれは、とても怖くてできないのである。

(今日の日経)
 火力に新燃料・日揮。企業収益復活への条件・さらば体力勝負・買収と撤退、採算を向上。社説・生活保護。国債購入で欧州中銀に圧力。中国減速に市場が警戒。経済教室。防災計画の実効性・井上典之。

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