経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

負担論の倫理的な考察

2012年10月25日 | 社会保障
 「賦課方式の年金で少子化が起こったら、子供のない人に2倍の負担を課さないと、年金財政の収支は均衡しませんよ」という話をすると、半ば反射的に、「子供を持つか持たないかの権利に干渉するものだ」と来る。もう、慣れっこになった。数理的な事実を言っているだけだし、筆者の政策提言は、2倍負担ではなく、少子化対策の充実なのだが、そこから、一切、耳を貸してもらえなることもしばしばだ。

 賦課方式というのは、親世代の年金を子世代が負担するとともに、子世代が更に次の世代を産み育てる「人的投資」も行うことで成り立っている。つまり、保険料と子育てという二つの負担をしなければならず、保険料を払っただけでは、老後の給付は確保されない。2倍負担は、支えてくれる子供がいなければ、代わりにお金を自分で用意しなさいという理屈を示すものである。

 もちろん、子供のない人に2倍の負担をさせることだけが政策の選択肢ではない。現実には、国民全体で負担している。筆者は、これが正しいと思っている。この結果、給付より負担が多くなる「損」は避けられないが、それは仕方のないことだ。積立方式に転換したとしても、移行期において、親の年金を負担しつつ、自分の年金の積立を始めるという「二重の負担」が生じる。この「二重の負担」と先の「損」は数理的に同じものである。

 「子供のない人の権利を侵害するな」という主張も分からないでもないが、子供のある人にとってみれば、親の年金を支え、子育てもし、更に子供を持たなかった人の年金の負担までしなければならない。これが現実である。子供のない人に特別な負担をさせない選択肢は、子供のある人に、より重い負担をさせることで確保されている。こちらは、権利の侵害にはならないのだろうか。

 結局、「損」だろうが、「二重の負担」だろうが、少子化を解決するしか脱する道はない。現実には、少子化対策をすることで、それらを減らそうとしているし、子供のある人の年金での負担を実質的に軽いものにしている。筆者の概算では、出生率を1.75まで回復させれば、「損」は解消できる。それは若い世代の希望をかなえれば、届く数字だ。だから、若い人には、年金の損得や方式で騒ぐより、少子化の解消を考えなさいと説いているのである。

※なお、積立方式をめぐる学説史は、権丈先生の「勿凝学問381」を参照したら良い。

(今日の日経)
 デジタル家電が半年で半額。防災計画なければ再稼動は困難。国債発行来月にも停止。米が日中仲介へOB外交・春原剛。韓国は隠密介入を武器に。転嫁拒否なら公取委勧告。ロシア陰る成長。中国・消費変調。日本郵船・船増やさぬ勇気。大機・安倍対日銀・横風。経済教室・都市安全へ税・福井秀夫。放射性物質拡散予測マップ。

※春原さん、読ませるね。※ロシアも中国と道連れだ。※30km圏の人口の多さよ。

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