現在の日本の経済思想は、財政赤字を圧縮して資金を余らせ、法人減税をして資金を余らせ、金融緩和をして資金を余らせ、成長戦略と称する各種優遇策で資金を余らせ、社会保険料抑制と雇用流動化で人件費に係る資金を余らせ、あとは、規制緩和を叫べば、成長するというものである。
もちろん、これでは失敗する。成長の原動力である設備投資は、需要を見込んでなされるからだ。経営者というのは、いかに資金が潤沢で、機会利益があろうとも、リスクを恐れるものである。これは、経済学の教科書にある利潤最大化に反する「不合理」な行動になるが、嘘だと思うなら、実際に聞いて回ったらよろしかろう。
この経済思想に従った政策は、痛みが伴うため、必ず抵抗する人が出る。それゆえ、思い切った実践は難しい。その結果、「成功しないのは不十分だからだ」と言い募ることができる。効果が見られなくても、思想が的外れだと疑われることはない。そして、比較的、痛みの少ない金融緩和については、声高かつ執拗に唱えられるようになる。
………
北野一さんの「デフレの真犯人・脱ROE[株主資本利益率]革命で甦る日本」が出たので、さっそく読ませていただいた。一般の方には、数多くの「意外な事実」が書かれていると思うが、筆者にとっては、納得のいくことばかりである。ただ唯一の難点を挙げるなら、「救い」がないことであろう。
北野さんの主張は、デフレの原因は、経営者が高い利益率を志向していることにあり、売上高の増大を目指すようになれば、解決するというものである。確かに、そのとおりであり、多くの経営者が改心し、行動を変えるなら、日本はデフレ脱却に向けて大きく前進するだろう。しかし、問題はその後にある。
経営思想の変革によって、日本経済が名目3%成長を達成し、物価上昇率も1%になったとしよう。すると、待ってましたとばかり、財政当局によって消費増税が断行され、需要の吸い上げが実施される。すると、売上高の向上を目指し、果敢に設備と人材への投資に打って出た経営者は、軒並み討ち死にすることになる。
………
筆者には、経営者がROEに拘るようになったことは、デフレの原因ではなくて、結果であるように見える。むろん、それが固まった後は、原因にもなるわけであるが。北野さんも書いているように、1997年のハシモトデフレ以前は、経営者に株主重視の志向はなかった。当時は、薄れつつあったが、銀行融資の間接金融が経営の支えであった。
それが変わったのは、無謀な一気の緊縮財政によって、バブル崩壊で体力を消耗していた銀行が危機に陥り、金融不安へと進展したことからだった。頼れるのは自己資本になり、銀行を始めとする株式の持ち合いが解消されていけば、株主に高い利益率を約束して引き付けようとするのは、当然の成り行きである。
日本は、資金のダブついている国であるが、直接金融の底は浅い。欧米などと比較して、日本は、良くも悪くも格差の少ない社会であり、ハイリスク・ハイリターンの資金の出し手が限られる。いきおい、外資の助けを仰ぐこととなり、日本経済にはそぐわないと分かっていつつも、8%もの高いROEを約束せざるを得なくなる。
もし、本当に脱ROE革命を成すのであれば、経営者の思想を変えるより、低ROEでも我慢する国内の資金の出し手を確保することが早道かもしれない。国債投資よりは有利なはずだから、リスクの許容量を拡大するよう整え、銀行や生保、更には年金や郵貯が買えるようにするという方策である。
もっとも、そうしたところで、一気の消費増税のような過激なことをされたら、株価が大きく下がり、揃ってヤケドすることになりかねない。穏健な経済運営は必須の条件となる。むしろ、穏健な経済運営さえしていれば、リスクが低下するだけでなく、緩やかな成長を通じて、国債投資から株式投資へのシフトが起こる、好循環へとつながるかもしれない。
………
こうして見れば、「デフレの真犯人」が誰であるかは明らかだろう。一般の方には、毎年、膨大な赤字を出す財政が元凶とは納得しがたいかもしれないが、大事なのは、前年度からの赤字の増減である。ハシモトデフレ以降も、小泉政権下で輸出の追い風を受けていながら、デフレ脱出前からの定率減税廃止でブレーキをかけたり、安倍政権では選挙の年に4兆円もの国債削減を誇って自滅したりしている。
民主党政権下でも同様で、リーマンショックから癒え切ってない2010年度に、前年比で10兆円もの財政の段差を作って円高を招いたかと思えば、大震災のショックに見舞われても財政を緩めず、半年も経ってから、執行難でなかなか需要にならない「巨額」の復興予算を組んだりしている。その一方、消費を殺ぐ約2.2兆円もの増税や負担増は、世間に悟られぬ形で画策されてきた(2011/11/27参照)。
日本の経済思想では、緊縮財政をするほど国民は安心して消費を増やすとされ、デフレは「貨幣的現象」であって、財政による需要削減は気にしなくて良いことになっている。筆者のような、所得を抜けば消費は減るし、物価下落は需要不足で起こると考える者は異端に属するため、そもそも需要管理がどうなっているかを知ろうともしない。
北野さんは、「買えば上がるし、上がるから買う」といった経済における循環論に何度も言及されているが、筆者は、普通の景気回復における設備投資の拡大もまた、投資が所得と消費を拡大し、それが更なる投資を呼ぶ循環の中にあると考える。それだけに、早々と循環をカットし、景気回復の芽を摘んでしまう財政当局の行動を重大視するわけである。
………
さて、今回、「異常な低金利と巨額の財政赤字は、ともにデフレの結果」とする北野さん言葉がとても印象深かった。結局、緊縮財政は、成長を阻害して金利を低下させ、財政赤字の膨張を可能にし、また、実現もさせる。財政再建を目指して、痛みを強いるほど、目標は遠ざかるというのは、何とも皮肉な理(ことわり)である。
マクロ的には、経営者がROE重視で、株主に多くを分配したとしても、株主が昔の資本家よろしく散財をしてくれれば、需要不足とはならない。得たものを株式に再投資してくれるなら、株価上昇につながり、ROE病も癒されよう。問題は、海外に持ち出されたり、銀行預金や国債投資に流れる場合である。それも、財政赤字を可能にし、必要にしてしまう。
本来、経営者は成長を望むものである。設備にだって、人材にだって投資したい。経済思想に毒された人々が財政当局を支持することで生じている「売上も成長も見込めない現実」にさらされ、適応した結果が今なのではないか。確かに、デフレの真犯人は「思想」である。ただし、それは個々の経営者のものでなく、経済運営に与るエリートのそれである。
(今日の日経)
スマホ素材で日本が攻勢。不動産投信が今年は7500億円に。温暖化ガス削減に46業界が目標。地方のサービス業が海外進出。利下げ続くブラジル。イスラム台頭で焦る王族。セイタカアワダチソウが被災農地で増殖。読書・幕末維新変革史。
もちろん、これでは失敗する。成長の原動力である設備投資は、需要を見込んでなされるからだ。経営者というのは、いかに資金が潤沢で、機会利益があろうとも、リスクを恐れるものである。これは、経済学の教科書にある利潤最大化に反する「不合理」な行動になるが、嘘だと思うなら、実際に聞いて回ったらよろしかろう。
この経済思想に従った政策は、痛みが伴うため、必ず抵抗する人が出る。それゆえ、思い切った実践は難しい。その結果、「成功しないのは不十分だからだ」と言い募ることができる。効果が見られなくても、思想が的外れだと疑われることはない。そして、比較的、痛みの少ない金融緩和については、声高かつ執拗に唱えられるようになる。
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北野一さんの「デフレの真犯人・脱ROE[株主資本利益率]革命で甦る日本」が出たので、さっそく読ませていただいた。一般の方には、数多くの「意外な事実」が書かれていると思うが、筆者にとっては、納得のいくことばかりである。ただ唯一の難点を挙げるなら、「救い」がないことであろう。
北野さんの主張は、デフレの原因は、経営者が高い利益率を志向していることにあり、売上高の増大を目指すようになれば、解決するというものである。確かに、そのとおりであり、多くの経営者が改心し、行動を変えるなら、日本はデフレ脱却に向けて大きく前進するだろう。しかし、問題はその後にある。
経営思想の変革によって、日本経済が名目3%成長を達成し、物価上昇率も1%になったとしよう。すると、待ってましたとばかり、財政当局によって消費増税が断行され、需要の吸い上げが実施される。すると、売上高の向上を目指し、果敢に設備と人材への投資に打って出た経営者は、軒並み討ち死にすることになる。
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筆者には、経営者がROEに拘るようになったことは、デフレの原因ではなくて、結果であるように見える。むろん、それが固まった後は、原因にもなるわけであるが。北野さんも書いているように、1997年のハシモトデフレ以前は、経営者に株主重視の志向はなかった。当時は、薄れつつあったが、銀行融資の間接金融が経営の支えであった。
それが変わったのは、無謀な一気の緊縮財政によって、バブル崩壊で体力を消耗していた銀行が危機に陥り、金融不安へと進展したことからだった。頼れるのは自己資本になり、銀行を始めとする株式の持ち合いが解消されていけば、株主に高い利益率を約束して引き付けようとするのは、当然の成り行きである。
日本は、資金のダブついている国であるが、直接金融の底は浅い。欧米などと比較して、日本は、良くも悪くも格差の少ない社会であり、ハイリスク・ハイリターンの資金の出し手が限られる。いきおい、外資の助けを仰ぐこととなり、日本経済にはそぐわないと分かっていつつも、8%もの高いROEを約束せざるを得なくなる。
もし、本当に脱ROE革命を成すのであれば、経営者の思想を変えるより、低ROEでも我慢する国内の資金の出し手を確保することが早道かもしれない。国債投資よりは有利なはずだから、リスクの許容量を拡大するよう整え、銀行や生保、更には年金や郵貯が買えるようにするという方策である。
もっとも、そうしたところで、一気の消費増税のような過激なことをされたら、株価が大きく下がり、揃ってヤケドすることになりかねない。穏健な経済運営は必須の条件となる。むしろ、穏健な経済運営さえしていれば、リスクが低下するだけでなく、緩やかな成長を通じて、国債投資から株式投資へのシフトが起こる、好循環へとつながるかもしれない。
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こうして見れば、「デフレの真犯人」が誰であるかは明らかだろう。一般の方には、毎年、膨大な赤字を出す財政が元凶とは納得しがたいかもしれないが、大事なのは、前年度からの赤字の増減である。ハシモトデフレ以降も、小泉政権下で輸出の追い風を受けていながら、デフレ脱出前からの定率減税廃止でブレーキをかけたり、安倍政権では選挙の年に4兆円もの国債削減を誇って自滅したりしている。
民主党政権下でも同様で、リーマンショックから癒え切ってない2010年度に、前年比で10兆円もの財政の段差を作って円高を招いたかと思えば、大震災のショックに見舞われても財政を緩めず、半年も経ってから、執行難でなかなか需要にならない「巨額」の復興予算を組んだりしている。その一方、消費を殺ぐ約2.2兆円もの増税や負担増は、世間に悟られぬ形で画策されてきた(2011/11/27参照)。
日本の経済思想では、緊縮財政をするほど国民は安心して消費を増やすとされ、デフレは「貨幣的現象」であって、財政による需要削減は気にしなくて良いことになっている。筆者のような、所得を抜けば消費は減るし、物価下落は需要不足で起こると考える者は異端に属するため、そもそも需要管理がどうなっているかを知ろうともしない。
北野さんは、「買えば上がるし、上がるから買う」といった経済における循環論に何度も言及されているが、筆者は、普通の景気回復における設備投資の拡大もまた、投資が所得と消費を拡大し、それが更なる投資を呼ぶ循環の中にあると考える。それだけに、早々と循環をカットし、景気回復の芽を摘んでしまう財政当局の行動を重大視するわけである。
………
さて、今回、「異常な低金利と巨額の財政赤字は、ともにデフレの結果」とする北野さん言葉がとても印象深かった。結局、緊縮財政は、成長を阻害して金利を低下させ、財政赤字の膨張を可能にし、また、実現もさせる。財政再建を目指して、痛みを強いるほど、目標は遠ざかるというのは、何とも皮肉な理(ことわり)である。
マクロ的には、経営者がROE重視で、株主に多くを分配したとしても、株主が昔の資本家よろしく散財をしてくれれば、需要不足とはならない。得たものを株式に再投資してくれるなら、株価上昇につながり、ROE病も癒されよう。問題は、海外に持ち出されたり、銀行預金や国債投資に流れる場合である。それも、財政赤字を可能にし、必要にしてしまう。
本来、経営者は成長を望むものである。設備にだって、人材にだって投資したい。経済思想に毒された人々が財政当局を支持することで生じている「売上も成長も見込めない現実」にさらされ、適応した結果が今なのではないか。確かに、デフレの真犯人は「思想」である。ただし、それは個々の経営者のものでなく、経済運営に与るエリートのそれである。
(今日の日経)
スマホ素材で日本が攻勢。不動産投信が今年は7500億円に。温暖化ガス削減に46業界が目標。地方のサービス業が海外進出。利下げ続くブラジル。イスラム台頭で焦る王族。セイタカアワダチソウが被災農地で増殖。読書・幕末維新変革史。
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