河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1492- シベリウス5番、シューマン3番、ダニエル・ハーディング、新日フィル2013.6.28

2013-07-05 21:00:00 | インポート

2012-2013シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2012-2013シーズン
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2013年6月28日(金)
サントリーホール
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シベリウス 交響曲第5番
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ヴィトマン トイフェル・アモール (日本初演)
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シューマン 交響曲第3番ライン
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ダニエル・ハーディング 指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
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3曲ともに30分軸の曲、前半の2曲で1時間越え、オール16型、お尻の底から絶えず振動が伝わるような巨大編成で、それが指揮者の意であることを絶えず考えさせるような演奏。
ヴィトマンは横に置くとして、シベリウス、シューマン、こうゆうのをシンフォニックな響きとでも言うのでしょうか、低弦が地べたをのたうち回りながら突き進む。かなりの迫力です。分解能ではなくマスサウンドの威力。張りぼてにならないのはオーケストラの能力。これだけぶ厚くてもきっちり流れていくから大したもんだ。マスの流れだけ取るならば昔の巨大編成オケのほうが一枚上で、堰き止めダム湖の決壊みたいな演奏は今は流行らないのだろう。
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シベリウスは正三角形の音場が、そのままの状態を保ったまま進んでいく感じ。迫力あり。大海の弦サウンドのなかに、漂い浮遊するようなウィンドも魅力的。第1楽章の細かい振動のエンディングはエキセントリックにならず、シンフォニックな響きだなぁ。ものすごい迫力だ。(席のせいもあるかも)
フィナーレは、この指揮者の一つの特徴通り、スローさ繊細さを加えていき、最後の打撃音なんて一個多かったんじゃないかというぐらいパウゼが効いていた。ここでもオーケストラの響きを堪能できました。
5番は6番ほどウェットではなく、このオーケストラに合っていると思います。ハーディングはマーラー・チェンバー・オーケストラも抱えてますし、今はそれぞれ響きの多様性を楽しみながら経験を広げているようにも感じます。彼のこの5番聴きものでしたね。
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シューマンの方針はシベリウスと同じです。この3番ウェットな感じはあまり出ず、晴れ続きのライン川というところか。
昔、ライン下りをしたとき、ローレライのあたりになると、船のスピーカーから「ローレライ」が流れ、ローレライ方向を見るとブリキのような看板にカタカナで「ローレライ」と書いてあった時代、古い話で恐縮ですが、あれがインターナショナルだとはだれも思わない。あのように日本人旅行客をむかえてほしくはないような微妙な気持ち。(なんか田舎者同士みたいな)
ハーディングの棒は、泥臭さを排した今風のインターナショナルな表現で、それにしてはヘヴィー級のサウンドとオーケストラ編成で、無理やり軽快さを出しているような気配はないのですが、これはこれでシンフォニーのハーディング流表現であるのだと思う。
一つの都市に行ってそこで彼の演奏を聴くと、そこから世界につながっていくことが出来そうな気持にさせてくれる、都市型の演奏ですね。
ヘヴィー級のサウンドがハリケーン状に縦にゆらゆらと揺れながら進行するさまは、オーケストラを聴く醍醐味そのもの。
清涼飲料水的な鳴りとはまた一味違う、生理的快感がはしる響きと海原のような流れ。満喫しました。
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前半2曲目のヴィトマンは、音の流れを追ったものではない。音楽は律動、流れであるということを拒否したもので、単に音をそこに置いていくだけの駄作。「音楽」ではないと思う。やらなきゃわからないだろう、という同時代としての演奏行為の意義はあるかもしれない。それにしても長すぎた30分。
おわり


1491- ショパン、pf協2、ヤン・リシエツキ、ヤクブ・フルシャ、英雄の生涯、2013.6.26

2013-07-05 20:02:00 | インポート

2012-2013シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2012-2013シーズン
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2013年6月26日(水)7:00pm
サントリーホール
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ショパン ピアノ協奏曲第2番
 ピアノ、ヤン・リシエツキ
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(アンコール)ショパン
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シュトラウス アルプス交響曲
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ヤクブ・フルシャ 指揮 東京都交響楽団
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(本文一部割愛してます)
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ただ、このトラブルのためその日の集中力が一気にどこかへ消えた。不思議なことにそのトラブル以降のことだけでなく演奏会全体まで意識が波及してしまい、何をどう聴いたのかわからなくなってしまった。不思議と言えば不思議、ほんの最後の出来事が全体に影響を与えた。音楽とはときとして時間軸を取り払ったイメージ上の出来事のときもある。
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この指揮者はお初です。
そういえば、もう一つありました。隣の席に隣の大国の成金2人組が横柄に場所を占有で反り返っている。演奏が始まったら寝ていたので、かなりひどい行儀以外は問題ありませんでした。こんな日でした。指揮者の事はあまり見ておりません。
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ショパンの2番コンチェルトは、滴る情緒なのか、とまりそうな停滞音楽なのか、それぞれギリギリのところで踏みとどまっているような、あとは聴き手にゆだねられているような不思議な曲。肩入れの具合によりだいぶ違った曲に聴こえるかもしれない。オーケストラが輪郭を明確にプレイしてくれているのでかろうじて持ちこたえている伴奏。それでもキビシイ。
ピアニストはやたらと若い。1995年生まれというから18才。
この曲を自然な鳴りで弾き切るのはとても難しいと思う。全体バランスを崩すことなく歌いきるには相当な練習量が必要と思われます。歌の間(ま)に不自然さがなく自分のものになっている。こなれている。素晴らしい演奏でした。
ショパンの音楽は日常的に聴くことはほとんどない。昔買ったLPは少しあるけどCD時代になってからショパンを買った記憶がない。まぁ、買うつもりで買ったものはない。ピアノ曲はもっと劇的な方が好み。この曲自体は知っているのでいつかまた聴きたいと思う時があるかもしれない。嗜好が総花的で個別の思い入れは特になし。
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後半のアルプス交響曲は、トラブルが最後にあって、全体印象はあまりいいとは言えない。もちろんオーケストラや指揮者がどうだというわけではなく、飽くまでもこちらの問題。
とはいっても聴いている途中で思ったこと。それはこの絶好調オケのサウンド構成は録音むきじゃないかなということ。マイクが拾いやすい音。
オーケストラが一つの楽器としてマスで鳴るというよりも、アンサンブルや同一楽器群が一つの個体としてまとまって素晴らしい響きとなっている。ややメタリックな感じがしないでもないが、例えばあまり目立たないヴィオラなんかも、その楽器群だけで一つのマスサウンドとして、髪を梳かす様な趣きで滔々と流れていく。
ウィンドなんかもその楽器の束で、ウェットなマシンでもあるかのように響きが流れる。ウィンド特有のメタル・ハードウエアの響き、ときとして人工美の極に聴こえてくる。
マイクがつかみやすいサウンド。ざらつかず隙間なくよく拾える響き。
分解能に優れたデヴァイス向き。これはまさに現代向き。時代のフィーリングと合っている。今の好みを反映している。
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このアルプス交響曲は、登りも下りも下降音が主フレーズをなしているこれまた不思議な曲と思える。登りの時もフレーズが下に突き刺さる。分解能に優れたオーケストラならモヤモヤ感無く、サウンド、クリアにして明瞭なフレーム感覚。だいたい誰が振っても曲の立体感を高性能オケである程度までは達成させてしまうに違いない。山のかたちをした音場の広がりを求めない向きにはジャスト・フィットな演奏であったと思います。
この指揮者との組み合わせは再度聴いてみたいですね。
おわり