*昨日、ブレイキング・ニュースでこちらのほうのお話が途中になったため、泣き別れのないよう再掲から始めます。
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627´‐ヨッフム バンベルク ブル8 カーネギー 1983.10.6
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1983-1984シーズンについて書いてます。
これまでエイヴリー・フィッシャー・ホールとメトロポリタン・オペラハウスだけでしたが、リンカン・センターから河童ハウスをやりすごし、街中方面に歩いて15分ぐらいのところにあるカーネギー・ホールでもシーズンたけなわ。
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当時の公演からひとつ。
ダサい文章ですがほぼそのまま。
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1983年10月6日(木)8:00pm
カーネギー・ホール
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ブルックナー/交響曲第8番
(1890年版)
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オイゲン・ヨッフム指揮バンベルクSO.
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第4楽章コーダにおいて、全てのそれまでの主題が全ての楽器によって演奏されるとき、そこにはブルックナーの名とともに、ドイツ形式音楽が全身を震えさせながら迫ってくる圧倒的な威光がある。
また、オーボエによって突然導かれる金管群の5回のアウフタクトからの咆哮。ここにはこのオーケストラと指揮者が俄然一体となった深い同一性を感じとることができる。
この再現部を聴いただけで、この演奏のとりことなってしまう。
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この組み合わせによる同一のプログラムは約1年前NHKホールで聴いた。こうやってまたすぐに聴けるとは思ってもみなかった。
前に聴いたときは指揮自体すごく柔軟で若々しく観えたのだが、今回こうやって近くで見るとさすがに年齢は隠しようがなく手先などは震えている。
しかし、演奏のほうは以前より若々しいというか、何か感情的な思い入れの強い演奏になっていたような気がする。
たとえば第3楽章。ブルックナーのため息であり、ロマン音楽そのものだと思うのだが、これが素晴らしい。
フレーズが変わる瞬間の呼吸のタイミング。あれは練習により回数を重ねた結果ではなく、練習の回数の多さも一つの要因になっているにすぎないということだと思う。、演奏者ひとりひとりが指揮者とともに完全に曲に没頭している姿そのままなのです。
特に各主題を出した後の変奏曲ともいえる曲想のもつあやの見事な表現。これはバンベルクSO.のもつ弦の一見きらびやかで、なおかつ腰の据わった低弦に起因している。
また、第3楽章唯一の頂点ともいえる全楽器の咆哮。金管の絶叫。ここまで坂をのぼりつめるまでのヨッフムの棒の速かったこと。金管と弦がばらばらになってまでもヨッフムは表現したいものをもっていたのだ。これはフルトヴェングラー的な表現と言えるかもしれない。
そしてこのフォルテッシモの絶叫のあとの音楽はハープの音を残しながらピアニッシモに移る。なんという世界の変わりよう。そしてなんというブルックナーのため息。
そして延々5分にも及ぶ長大なコーダ。ホルンの響きの素晴らしさ。こんなに素晴らしい演奏がかつてあったか。ロマン主義の頂点に音楽が浮遊している。
前の演奏のときもそうであったが、ヨッフムはこの第3楽章が終わった後、すぐに第4楽章に移るようなことはせず、十分に間をとって感動の揺れを抑えているようだった。
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第4楽章の金管群はとりわけ素晴らしく、特に第1主題におけるトランペットの明快な演奏はあいまいさを取り除くのに十分である。
ブルックナーの場合、金管の明快さは必要なものであり、そのアインザッツ、ハーモニー、バランスはひたすら妥当性をもたなければならない。その点、バンベルクSO.の金管の実力は完全にその知名度を越えているように思われる。また全体を包み込むような弦の強力なアンサンブルは金管の咆哮をもおさえる、といった雰囲気があり、これはとりもなおさずオーケストラ全体のバランスの良さを示している。このようなとき、カーネギーホールはその音響効果の素晴らしさをいかんなく発揮する。
この曲は第4楽章のコーダに重大な意味があり、ここをあのように明確なバランスで主要主題を奏すれば、まさにその意味についてたしかに理解できるのである。前述した金管のアウフタクトから始まる5回の咆哮。これはヨッフムが以前指揮をしたことがあるベルリン・フィルとの実況録音(注)からさえ感じられなかったものだ。見事なアウフタクトとアインザッツの融合。呼吸の一致。
そして最後に3つの打撃音がホールに吸い込まれるとき、なんという深い感動がそこからまた生まれ始めるのであろうか。
おわり
注:
1978年11月11日
フィルハーモニー・ザール、ベルリン
ブルックナー/交響曲第8番
オイゲン・ヨッフム指揮ベルリン・フィル
NHK-FM1979年8月10日
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