今年2007年2月にもうすぐフィンランド放送交響楽団が来日するというのに、昔1989年のことを書くのはどうか、ということはあるけれど、機会があれば、これを読んで聴き比べてみてください。
この1989年フィンランド放送交響楽団は、5月28日から6月9日まで9回公演を行った。
絶対外せないシベリウスのヴァイオリン協奏曲のある日にいってみた。
1989年6月3日(土)18:30
東京文化会館
シベリウス/交響曲第6番
シベリウス/ヴァイオリン協奏曲
ヴァイオリン、エヴァ・コスキネン
シベリウス/交響曲第5番
ユッカ=ペッカ・サラステ指揮
フィンランド放送交響楽団
聴きたい曲が同一日に全部入っているプログラム。
なかなかありそうで、ない。
フィンランドRSO.の音は、塊になって響いてくる特徴的なものである。
オーケストラの音がホールで拡散せず、やや硬いながら、なにか中心がそこにあり、それにむかって集中して凝縮するような充実感が前面に押し出されたオーケストラ・サウンドであった。
また音色は、例えばアイスランド交響楽団のような非常に透明感のある響きまでには至らないが、やや太めの透明感が、寂寥感にあたたかみを加えているようだ。
合奏での一致団結型清涼感は放送オケの特色か。
印象的な音である。
シベリウスの交響曲第6番の響きを聴くといつも思い出す曲がある。
ザ・タイガース/モナリザの微笑み
雨がしとしと日曜日
僕はひとりで君の帰りを待っていた
なんとなく似ている。
シベリウスのほうは雨というよりも、ドリア調の非常に特徴的な音楽である。
清涼感、寂寥感、透明感、第1楽章冒頭のヴァイオリンの響きからすぐに引き込まれてしまうような心の耳に響く素晴らしい曲だ。
サラステは最初から充実すぎると思われるぐらいの気の入れよう。
第2,3、楽章で少し糸が、ipodのイヤホンのコードのようにもつれたとは思わないが、第4楽章でもう一度気を入れなおして頑張った。
指揮者にとって、このような曲は難しいのだ。
珠玉のような曲に珠玉のような演奏、それでも理解できる聴衆は多くない。
東にこの曲あらば、雨にも負けず。
西にこの曲あらば、風にも負けず。
どことなくきいたことがあるような科白ながら、ゲオルグ・クーレンカンプフのヴァイオリン、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの、怒髪天を衝く、とんでも演奏でつま先の神経まで覚醒されてしまってからは、このヴァイオリン協奏曲をはずすわけにはいかない。
エヴァさんの音は、そのようなクレイジーな音ではないし、また誰もそのようなものは求める時代でもない。
フィンランドRSO.に、はまった音・演奏である。曲自体のものすごさに耳をかたむけよう。
空白が先か音が先か、音楽における空白の緊張感を示す格好の曲が第5番。
一音が空白の間を何度も打撃するとき、頭の中で調性を整えてしまう人間の感性は素晴らしい。
ブルックナーもそうだし、スクリャービンの第3番の結びもそうだ。
とはいっても、この5番、形式的にはゴツゴツしており最初は慣れが必要だ。
それも束の間、ノンストップ超加速の3拍子=3連符で第1楽章の最後の一小節を決められなければ男ではない。女でもない。とにかくここが決め所。そうすればあとは流れるように第3楽章まで自然体でいく。
上野のホールで聴くこの5番は充実した響きである。
フィンランドRSO.の音というのは、その土地で育まれたものであるのは明白ではあるが、演奏会を行っているホールの嗜好そのままのものであろう。
そのホールでさえ北欧の意思を反映したものと言えるかもしれない。
曲と演奏がマッチしたベストなイヴェントであった。
来月のオラモの棒はどうだろうか。
おわり