人の出会いとは不思議なものだと、毎日の人との関係を、私は日常生活の中でどのようにしていたのだろうと反芻しています。
というのは、昨日も思いもしなかった人が、挨拶をしてくださったのです。 「ご苦労様でした」と。
そんな何気無い挨拶のようなものにすら、その人が挨拶に込めた微妙なニュアンスが伝わって来るのですね。 心入れの違いがそのままに。 そんな配意が私は出来ていたのだろうか。
確かに美術館運営にも、全体的に「家族的な」運営を提案してきたようです。しかも日常も・・。
・分掌を処理するときは主担当が仕上げを確認する。・仕事をいつも気に懸けながら、4.6時中、心を傾けながら過ごす。・ニュースや、微妙な経過を出来るだけ共有する。・自分の周辺をその中でお互いに紹介して思いの共有を図る。 などを、当たり前に確認しあってきたはずです。 つまり、最終的に「今やるべきことが、全体で協力して仕上がるように」との美術館家族として処理する手法をとってきたのでした。 やや、非現代風の運営形態を目指したのです。
「迷った時には、家庭ではどう判断しますか?」が、運営のコンセプトでもあったのでした。
4月に入ると、新しい形でスタートします。 それを機会に、少ないスタッフとサポーターが新しい展開を作り上げて頂くことを願うのです。 ただね従来しいてきた手法を見直しながら、当面はよく似た運営になるはずです。 ぜひ、地域の美術館を愛情を持って、訪ねてほしいと願います。
私は、atelierへは午後になって「キャンバスの下地づくり」に出掛けました。
コラージュに近い薄手の布をベースに、厚紙や、印刷物を張っていく手順で、仕上がりをイメージしながら2時間ばかり続けました。
もう1点のm100号は、
おおむね地塗りの終わった制作緒端の作品です。
その部分もアップしてみます。 まるで皆さんと一緒に制作して行っていくような手順ですね。
制作の過程で、いつもこのatelierや、「田舎絵描き」を取材撮影して頂いているsさんのシャッター音が続いています。 この音も何となく馴染んできました。
帰路に糜粥間に立ち寄ると、館の学芸担当のK君の現場実習を指導して頂いたというWさんと妹さんが鑑賞に見えていました。
折角でしたので、珈琲を一緒に飲みながら、話がついつい佳境に入って仕舞ったのです。
この出会いも、ひょっとして長いお付き合いになるやも…。
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