かなり方向が見えてきた気がして来ました。 (画面クリックをして、拡大してみて下さい。)
「寓話シリーズー語りつくべきもの」 を丹念に画面に構成して見ようと思います。
11日に2時間ばかり、同じ感じの「白」を意識的に整理したり、塗り重ねたりを続けたのです。
地道な作業ですので、表面的にはほとんど変化が出ていません。
その部分もついでにご覧ください。
何を描き加えて、どこを消し込んでいくかと言うような作業は、何時もの作業の延長ですので、逆にその展開を楽しんだり、深く思考を繰り返したりの連続でもあるのです。
昨夜は、瀬戸内寂聴の「随筆・烈しい生と美しい死を」(新潮文庫)を、2時間ばかり読んでいました。平塚らいてう・田村俊子・岡本かのこ・伊藤野枝・管野須賀子等奔放に生きた「青鞜」のメンバーたちの、大胆に、奔放に、正直に生きた作家たちの恋愛や活動を楽しんで読んだのです。
相手役の岡本一平や与謝野鉄幹、牧水等も登場する恋のスクランブルを、想い出と推量を加えて綴っていました。 まだ半分ぐらいまでしか読めていません。いくらか「瀬戸内寂聴」自身の、「自分の正当化」の匂いもしますが、楽しい読み物ですね。
高見雅博さんは、今までにお越し頂いたことがあるものですから、いきなり「子どもの美術」について、話が進んだのです。 教員を卒業されていて、今では「美術協会」の会長さとして加西市の文化活動のけん引力になっていらっしゃいます。 「示現会」の洋画部会員です。
教員を永らく続けられたこともあって、真面目な写実画を描き続けています。
もう一人は中野一彦さんは、このところ絵がどんどん変わって来て、物語性の高い「半具象」作品を追及されています。
お父さんの節夫先生とは、長いお付き合いをしたことをお話ししました。 1960年頃には、文化活動の活発な地域であったのは、加西市には、彫刻家や画家に名のある実力者が多く、私なども随分影響を受けたように思います。 その上行政、さしずめ市長が文化人だったのも大きな力だったと思います。
今では「北條の五百羅漢」が整備されて、沢山の写真家や、画家が、制作の素材にしたことも懐かしく思い起こしました。