風の樹人日記

写真付きで日記や趣味を書く

寒い底冷えのatelierに入りました。

2014年12月12日 | アート・文化

  静巣に、もう何年も高い位置の窓辺で佇んでいる「造形作品」。

       それぞれの顔で、それぞれの想いを畳み込んで立ち続けているのでしょうかね。

 

                             花の「はがき絵」ですが、えがくたびに、こんなに変わってきます。10分もあれば描くことの出来る小さな絵なのに、大きな絵も変わりなく、時々の想いで手が動いていきます。

                  帰り間際に、「また明日」と声を掛けながらatelierの画材たちに挨拶をして…。

   昨日の風景でした。  何人かの方に「オリジナルカレンダー」を郵送しました。

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「寓話シリーズー語り継ぐべきものー○○○○」

2014年12月12日 | アート・文化

    この画面が、M100号の現在の進み具合です。

  かなり方向が見えてきた気がして来ました。   (画面クリックをして、拡大してみて下さい。)

 「寓話シリーズー語りつくべきもの」 を丹念に画面に構成して見ようと思います。

 11日に2時間ばかり、同じ感じの「白」を意識的に整理したり、塗り重ねたりを続けたのです。

  地道な作業ですので、表面的にはほとんど変化が出ていません。

その部分もついでにご覧ください。

                    

            何を描き加えて、どこを消し込んでいくかと言うような作業は、何時もの作業の延長ですので、逆にその展開を楽しんだり、深く思考を繰り返したりの連続でもあるのです。

   昨夜は、瀬戸内寂聴の「随筆・烈しい生と美しい死を」(新潮文庫)を、2時間ばかり読んでいました。平塚らいてう・田村俊子・岡本かのこ・伊藤野枝・管野須賀子等奔放に生きた「青鞜」のメンバーたちの、大胆に、奔放に、正直に生きた作家たちの恋愛や活動を楽しんで読んだのです。

  相手役の岡本一平や与謝野鉄幹、牧水等も登場する恋のスクランブルを、想い出と推量を加えて綴っていました。     まだ半分ぐらいまでしか読めていません。いくらか「瀬戸内寂聴」自身の、「自分の正当化」の匂いもしますが、楽しい読み物ですね。

 

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まだ「花」?と聞かれそうです。

2014年12月11日 | アート・文化

   相変わらず「花」の「はがき絵」を描いています。

 と言っても、10分も懸けないで出来る手慰み的作品?ですが、それでも、私にとっては、「心の推移」の記録です。

 私家も繰り返しているうちに、良いのか悪いのか、確実に変化して行くのですから・・・・。

       私にとっては大作のM100号の制作や、一寸した文章などと並行して描き続けているのです。  勿論新聞やエッセイ、小説などもどんどん時間が許す限り目を通しています。

 思うことだって沢山ありますし、この部分はどうでも「頭」にインプットしておかねば、と思うことばかりです。

          

 ただ、ハガキや、メモなど、文字にする作業がだんだん億劫になって行くことに、おそれを覚えています。

    遅い時間のブログupに成りました。

 

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昨日電話を頂いた2人の洋画家がatelierを訪問して下さいました。

2014年12月10日 | アート・文化

  良い表情です。  クリックしてみて下さい。拡大できます。

     高見雅博さんは、今までにお越し頂いたことがあるものですから、いきなり「子どもの美術」について、話が進んだのです。  教員を卒業されていて、今では「美術協会」の会長さとして加西市の文化活動のけん引力になっていらっしゃいます。  「示現会」の洋画部会員です。

 教員を永らく続けられたこともあって、真面目な写実画を描き続けています。

 もう一人は中野一彦さんは、このところ絵がどんどん変わって来て、物語性の高い「半具象」作品を追及されています。

                  

 お父さんの節夫先生とは、長いお付き合いをしたことをお話ししました。  1960年頃には、文化活動の活発な地域であったのは、加西市には、彫刻家や画家に名のある実力者が多く、私なども随分影響を受けたように思います。    その上行政、さしずめ市長が文化人だったのも大きな力だったと思います。

 今では「北條の五百羅漢」が整備されて、沢山の写真家や、画家が、制作の素材にしたことも懐かしく思い起こしました。

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去年の今ごろは、何が何だかわからないような、日々だったのでした。

2014年12月10日 | アート・文化

  交通「災難」にあって、いったいどうなるのだろうと毎日を過ごしていた時期でした。

 「兵庫県立災害医療センター」からの写真です。

 その時期に徳島・鳴門で個展を開催していましたこともあって、友人たちに同行頂いて、個展会場に顔出しをしたのです。

            その往復路は、明石大橋など、長い橋脚を超えたのです。               

  帰るころには、もうすっかり、夜になっていたのでしたね。

 

   そのまま、神戸のホテルに泊まることにしました。

 

       いまでは、ちょっと不便で、「支援」が必要ですが、日常に近い生活を、形の上では過ごしています。

   とは言え、心理的には、何時も一寸した薬を服用しながら、精神の安定を確保しなければなりません。

性格の家系の性なのでしょうかね。

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