JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

フィールドデーコンテストの時間帯が21-翌5時に復帰へ

2020-11-30 | シャック便り
JARLコンテスト委員会は毎年8月開催の「フィールドデーコンテスト」について、現行の「8月第1週土曜日の18時-翌12時」を「8月第1週土曜日の21時-翌15時」に改める方向で方針を固め、第53回理事会で承認されたようです。以前の時間帯に戻す形です。

このほか1.9および50MHz帯でコンテスト周波数の変更、紙ログでの提出廃止に向けた規約改正が行われる見込みです。


フィールドデーコンテストについてはJARLコンテスト委員会が日程変更を提案し意見募集を行っていましたが、「JARL NEWS夏号にお知らせしておりました意見募集の受付が7月31日に終了いたしました。ご協力いただき、ありがとうございました。 」という内容がwebサイト上に掲示されていますが、結果については現時点で公表されていません。

しかしながらネット上での意見を見る限り圧倒的に反対意見が多いようで、結果的にルール改正を諦め元の形に戻したとも受け取れます。


JARLの主催コンテストについては参加局の減少や1エリアへの偏在が著しくなっており、ルールや表彰規程が現状に合わなくなっています。1局QSOしただけでエリア1位で表彰状がもらえるといった極端な例もあり、明らかに抜本的な改正が求められています。2~3年かけてでもコンテストのあり方を白紙から議論すべきだと思うのですが、残念ながら今のJARLコンテスト委員会は日程変更など小手先の変更で問題を解決しようとする姿勢を崩しておらず、変にいじるよりもFDの日程を元に戻した今回の変更は歓迎すべきことなのかも知れません。
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首里 御朱印&風景印巡り

2020-11-29 | 御朱印めぐり
沖縄滞在中にお天気の良くない午前中を使って首里近辺の御朱印と風景印巡りです。

首里は首里城を中心にして琉球王朝の中心となった街で、多くの寺院も集まっています。まだ回っていないお寺のお参りを進めたいと思います。

ゆいレールの儀保駅からスタート。古島駅から首里駅に向けて丘を登る形となり儀保駅からは晴れていれば慶良間諸島も見えます。


車窓から見えるところに盛光寺があります。

周囲は道が複雑でゴチャゴチャした感じがありますが案内看板があるので迷うことはないと思います。

1718年に温泉良禅師により創建された臨済宗妙心寺派のお寺です。首里のお寺は沖縄戦でことごとく破壊され戦後に再建されたため本堂は鉄筋コンクリートです。

このお寺の境内で売られていたのが「のーまんじゅう」。あんまんに食紅で「の」を書いたあの饅頭です。現在は同じ首里の久場川町に移転していますが屋号は「ぎぼまんじゅう」。儀保の盛光寺で売っていた歴史が背景にあるのですね。久米の天妃宮前で売られていた饅頭が「テンピヌメーまんじゅう(天妃前饅頭)」なのと同じなんですね。

ちょうどご住職が戻って来られたところで色々話ができました。2階の本堂にお参りするよう薦められました。本尊は大日如来です。

琉球王朝は特に妙心寺派と真言宗を保護したそうで、首里のお寺は多くが妙心寺派のお寺なのだそうです。今回回ったお寺も全て妙心寺派でした。

ご住職はこれから仏壇に飾る仏画の開眼法要だそうです。沖縄では仏像の代わりに仏画を飾ることがあるようです。仏画であれば仏像より安いので庶民でも手に入りやすいですよね。・・・これって日蓮宗の曼荼羅と同じ考え方なんですね。

盛光寺の御朱印です。


ここから少し歩いて首里高校の近くに安国寺があります。

1457年に創建されたお寺で、こちらも臨済宗妙心寺派のお寺です。1557年に現在地の首里寒川町に移転、明治時代には沖縄における本山格となりました。

沖縄戦で破壊され2009年に現在の伽藍が完成しています。本尊は不動明王です。

安国寺の御朱印です。


安国寺からさらに歩くと首里観音堂です。残念ながらコロナの影響で御朱印を休止中とのことです。


首里観音堂から坂を下ると首里寒川郵便局があります。

郵便局の看板の手前にある赤い舗装の道を下りてきました。ご覧の通りの急な坂です。

首里寒川局の風景印です。焼失してしまった首里城正殿と金城町の石畳がデザインされています。なかなか細かいデザインです。


寒川局の付近はバスがなく(あるけど1日数本)、安里駅まで歩きとなります。

途中にいい具合に大道郵便局があります。

大道郵便局の風景印です。琉球舞踊の上り口説と帆船がデザインされています。

大道局から安里駅はすぐです。


今回の御朱印情報です(御朱印料は特記ない限り300円)。
盛光寺   1種を本堂内で授与。
安国寺   1種を寺務所で授与。書き置きのことが多いようです。
首里観音堂 新型コロナウイルスの影響で現在御朱印を休止中。

このほか首里では「だるま寺」の西来院でもいただけます。
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神戸市中央区(AJA 270108)移動運用報告

2020-11-28 | 移動運用結果報告
11/28(土)に神戸市中央区(AJA 270108)布引公園に行ってきましたのでご報告します。

沖縄から帰ってきて落ち着いてきましたから移動に出たいと思います。しばらく移動運用を休んでいた間に一気に寒くなりましたしコロナもまた広まってきています。

#この状況で「それ見たことか」と言わんばかりの自称知識人の連中のダメっぷりって・・・何もできないのなら家の掃除でもしてなさいって言いたいです。

ということでご近所移動地から神戸市中央区に行ってみることにしました。中央区は三宮などの繁華街が含まれ、モービルでもなかなか難しい場所なので常に一定のニーズがあり有り難い移動地です。バンドは7MHzだけでいいでしょう。


ということで毎度おなじみ始発の新快速で三ノ宮へ、ここから地下鉄で新神戸に向かいます。

北神急行線を6月に神戸市が買い取り地下鉄に編入しました。なのでこんな掲示が。

大阪市の面積にほぼ匹敵する北区は冬が寒い上に交通が不便で人口減少が進んでおり、神戸市の人口は福岡市に追い抜かれてしまいました。北区を立て直さないことには人口を維持できないため市は必死でテコ入れをしています。有馬温泉も道場もイオンモール神戸北も北区ですが、あまりに広すぎて手が回ってないんでしょうね。

2分で新神戸に到着。いつもの場所に向かいます。紅葉になる木がないためハイキング客が少なく有り難いです。

アンテナを展開し8時50分にスタート。寒くなってきましたので地面にコミ袋の中に新聞を入れたものを敷き、その上にいつものレジャーシートを敷いて地面からの寒さを遮るようにしています。

今日はCondxがいいのかバンド内が結構混み合っています。何とか空き周波数を見つけてCQを出します。1~6エリア中心にオープンしており、今日はファーストの局が多いです。離島移動とは顔ぶれが違うのが面白いですね。

もちろんアクティブな局も出てきており、先日の沖縄移動のお礼を言いながらになります。コロナがまた広まってきており移動がしづらくなっており、7月頭に続き今回も悪くないタイミングでの沖縄移動でした。年内は福岡移動を予定していますが、情報収集をしっかり続けながら移動できるか慎重に判断するしかなさそうです。

10時30分を回るとバンド全体でSが弱くなってきました。59で強力に入感していた1エリアもカスカス、さらにはほとんど聞こえなくなります。風が吹き始めたこともあり、この辺が潮時のようです。11時過ぎで片付けましょうか。


新神戸から三宮に戻り、センタープラザの地下にある「幸福源」でお昼です。ここ蛍光灯が3本しかついてなくて暗いので写真が撮れませんからリンク先で確かめてください(涙)ここは600円の麻婆豆腐定食が美味しいです。豪華な中華料理もいいのですが、こういった街中華のレベルが高いのも横浜と神戸ならではですね。

元町まで歩いてエストローヤルでケーキを買って帰宅です。


本日は48局でした。Condxは冬のものになってきましたね。ありがとうございました。
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11/28 神戸市中央区移動

2020-11-27 | 移動運用予定
以下の日程で神戸市中央区(AJA 270108)に移動します。


日時:11/28(土) 9時頃~12時頃まで

場所:中央区内からQRVの予定です。

バンド:7MHz帯(SSB)

よろしくお願いします。
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11月分QSL発送しました(2回目)

2020-11-26 | QSL発送情報
11月分のQSLを本日ビューロー宛発送しました。今月2回目になります。

・10/2~4の福岡移動の全て
・10/11の兵庫県宝塚市移動の約半分

を発送しました。

しかしながら
・10/11の兵庫県宝塚市移動の残り半分
・10/23~24の香川県移動の全て
・11/6~10の沖縄移動の全て
は送りきれず未発送となっています。

年内あと1回発送する予定ですので沖縄移動のQSLは来年1月以降本格化する見込みです。順次発送しておりますのでご理解のほどよろしくお願いします。
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西国岩間寺&穴太寺御朱印巡り②

2020-11-25 | 御朱印めぐり
西国の岩間寺と穴太寺巡りの続きです。


大津からは京都乗り換えで亀岡に向かいましょう。

亀岡駅からは京阪京都交通のバスがあります。京阪京都交通は元の京都交通が経営破綻した際に南丹市以南の路線を京阪バスが引き継いだものです。その際に京阪バスと同じデザインに変更されています。

京都交通は京都市内から亀岡・園部・舞鶴や果ては天橋立までの広大な路線網を持ち、中でも国道9号を走る急行バスや快速バスは山陰線に対して本数で圧倒していました。ところが国鉄の分割民営化で山陰線の本数が増加、一方で京都市内の慢性的な渋滞で定時運行が難しいなどの理由から客を奪われ最後は倒産に追い込まれます。あまりにも広大な路線網であったため南半分を京阪が、北半分を日本交通が引き継ぎ京都交通グループは解体されました。

このため京都市付近では京阪バス・京都バス・京阪京都交通と京阪系の3社が存在することになります。


穴太寺前バス停で下車します。

周囲は昔ながらの集落で、道が狭くてバス停を設置できず穴太寺の駐車場内にバス停があります。

穴太寺は705年に大伴古麻呂が創建した天台宗の寺院です。明智光秀の丹波攻めに遭い焼失、江戸時代に再建されるものの1728年に再び焼失し1735年に再建されています。「麒麟がくる」では二条城の築城でバラバラにされる石仏を見つめていましたが、実際の光秀は坂本の西教寺の再興に手を貸した一方、穴太寺を焼いたことも事実のようです。

穴太寺の本来の本尊は鎌倉時代作の聖観音像(国の重文)なのですが1968年に盗難に遭い現在まで見つかっていません。このため2010年に新しい聖観音像が作られています。

境内は西国の札所とは思えないほど静かで人が少ないです。納経所も一人で対応しています。石段を何段も上って混み合う納経所で順番待ちをするという毎度のパターンが全くない珍しいお寺だと思います。

穴太寺の御朱印と御詠歌です。

穴太寺は壺阪寺や長谷寺などと同じく復刻印での御朱印も行っています。「太字」と呼ばれる御朱印の印を復刻印に差し替えたもので、復刻印の時のみ「和州 長谷寺」と記される長谷寺などとは少し趣が異なっています。

京都に戻りましょう。


岩間寺のバスについてまとめると以下の通りです。
・曜日に関係なく毎月17日のみ。
・縁日の行事や曜日によりバスのダイヤや本数は違っています。岩間寺のサイトで必ずその月のダイヤを確認してください。
・運賃は無料です。
・山道が続き混み合うため座りたい方は早めに乗り場へ。
・帰りは石山寺前で下車できますが石山寺前からの再乗車はできません。


本日の御朱印情報です。
岩間寺 5種を納経所で授与。
穴太寺 4種を納経所で授与。
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西国岩間寺&穴太寺御朱印巡り①

2020-11-24 | 御朱印めぐり
西国三十三所巡りも残りは1/3ほどになってきました。京都の街中にある革堂や六角堂なんかは楽勝で回ることができますが「難所」とされるお寺がいくつかあり、そうそう簡単に満願できないシステムになっています。

難関のお寺は1つ1つ回ってゆくしかありません。今回はそんな難関の十二番札所・岩間寺に行ってみましょう。


岩間寺は大津市と宇治市の境にある岩間山の中腹にあります。最寄りのバス停(京阪バス 中千町)から徒歩50分の山登りとされています。ところが毎月17日の岩間寺の縁日だけはJR石山駅前から臨時のバスがあり山登りをしなくてもよいのです。曜日関係なく17日で、たまたま今年の10月は17日が土曜なので利用してみたいと思います。

あとは亀岡にある二十一番の穴太寺も回ってみます。こちらは田畑が広がる亀岡盆地にありますが他の札所とは中途半端に離れているため「あえて目指さないと回れない」札所です。


振り出しはJR石山駅から。新快速の停車駅なので便利です。8時14分に駅に到着です。臨時バスの乗り場は駅前から少し離れた西口バス乗り場です。

改札を出て右に進むとペデストリアンデッキがあり、こちらに案内の看板があります。

8時30分のバスが発車待ちをしています。座席はほぼ一杯で残りはあと2つだけ。岩間寺のスタッフがアルコールスプレーを持っています。このバスは岩間寺が借り上げており無料で乗ることができます。立ち客が4人ほどになった時点で密を避けるためこれ以上の乗車を断っています。この日の次便は40分後の9時30分発ですから危ないところでした。

バスは途中の中千町からは山道に入ります。半分くらい行ったところでバス同士の行き違いができない道幅になります。どうもこの区間で鉢合わせしないよう無線で連絡を取り合っているようです。

登り切ったところにバスの駐車場があり、ここが降り場のようです。雨雲の中みたいですね。

山門はなく、受付から歩いて3分くらいで本堂です。

岩間寺は正式には岩間山正法寺といい、真言宗醍醐派に属しています。722年に元正天皇の病を治した泰澄が天皇から援助を受け建立、一時は熊野や吉野に並ぶ霊場であったそうです。近年はぼけ封じ観音が信仰を集めており、この縁日ではぼけ封じの焙烙灸をやっていました。

現在の本堂は1577年に再建されたもので、本尊は元正天皇の千手観音像です。秘仏とされ、きわめてまれに開扉されます(1990年以前は365年間開扉されなかったそうです)。

こちらの池は芭蕉の句「古池や」に詠まれた池だと言われています。

納経所は本堂にあります。バスでどっと参拝客が集まるので短時間でこなすことになるようです。

岩間寺の御朱印と御詠歌です。


行きが大変ってことは帰りも大変ってこと。発車15分前にバスの行列に並びました。なんとか全員乗車でき発車です。帰りは十三番札所の石山寺前でも降りることができます。半分くらいのお客さんが降りてゆきました。

石山駅に到着。少し時間に余裕があるので大津中央郵便局に行ってみます。夏の間に回った「戦国ワンダーランド」の小型印があります。

大津中央郵便局は京阪の石場駅近くです。石山から京阪に乗ります。

601号車が来ました。1984年製で元は三条と浜大津の間で準急として使われ、地下鉄東西線の開通で石山坂本線に転籍し活躍を続けています。製造から36年ですが車体はそれ以前の車両をリメイクして使っていますので50年以上になるそうです。

石場駅で下車し大津中央郵便局へ。

風景印と小型印をお願いします。

風景印は中央郵便局にありがちな名物をゴチャゴチャ詰め込んだデザインです。大津絵に瀬田の唐橋に鮒寿司の二ゴロブナ、さらに竹生島まで詰め込んでいます。鮒と竹生島を外したらスッキリしません?

戦国ワンダーランドの小型印です。大津市なので坂本城主であった明智光秀の桔梗紋です。「麒麟がくる」はあの芦田愛菜さんがガラシャ役に起用されるなど興味深くなってきました。

大津中央郵便局からJR大津駅へはバスがあります。うまい具合に4分後の発車。待たずに乗れました。

11時になりましたので早めのお昼。雨が降り寒いので「ちゃんぽん亭」でチャンポンです。

ゆずチャンポンにしました。ゆずが結構合いますね。


お腹を満たしたので後半の穴太寺に続きます。
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「2つめのアンテナ」を整備していますか?

2020-11-23 | JF4CAD技研
先日の沖縄移動、荒天の渡嘉敷島から何とか脱出し翌日浦添市から出ていたのですが、とある局から「今回の沖縄移動で渡嘉敷村の予定はありませんか」と言われました。この局は私が前日に渡嘉敷から出ていたことすら知らないようです。

他にも間もなく期間が終了となる某アワードの掲示板で「○×村がQSOできません どなたか移動をお願いします」との書き込みも見られます。

こういった局が持ってないのがアマチュア局にとって必要な「2つめのアンテナ」なのです。


[現代のアマチュア局には2つのアンテナが必要です]
「1つめのアンテナ」とは電波を出したり受けたりするアンテナです。HFで言うならモービルホイップや短縮GPよりもフルサイズのダイポールの方が飛びますし、八木にすればさらに飛びます。アンテナの重要性は今更言うまでもありませんよね。

1980年代や90年代のアマチュア局にとってはこの「1つめのアンテナ」だけでも十分楽しめました。アマチュア局が今より多かったからです。ところがアマチュア局の数が減った現代ではもう一つのアンテナが重要になってきました。それが「2つめのアンテナ=情報のアンテナ」です。


[情報のアンテナがないと・・・]
情報のアンテナを持たないまま365日日がな一日VFOを回し続ければ移動局しかいないとされる東京の利島村や沖縄の渡名喜村はいつか聞こえてきます。でもそんなことはできませんよね。

それを補うのが情報のアンテナです。

アマチュア局が減った現代ではもはや情報のアンテナを持たず「メール使えません」「ネット使えません」ではアワードを追うことすらできないのがアマチュア無線なのです。電波を出すアンテナがないのと同じ状態と言えます。


[クラスタはアンテナの一つに過ぎません]
情報のアンテナとして真っ先に思いつくのがクラスタです。いま・どこの周波数で・誰が・どこから出ているのかが一目瞭然です。もちろん情報のアンテナとして重要なのですが問題もあります。

一つは書き込む局が少ないこと。閲覧はしても書き込まない人が多いのでクラスタから漏れている珍しい局が多いのです。沖縄からのハイバンドはこの時期でも昼前後は本土がオープンします。でも誰も書かないから開いていないと思っている方が多いようです。積極的に書いてゆかないとクラスタ自身の情報価値が落ちてしまうことになります。

もう一つは気が付いたときには既に猛パイルになっていて余程の設備でないとパイルを抜けない状態になっていることがあること。「1つめのアンテナ」が平均レベルの局でさえ手の打ちようがない場合もあります。場合によっては「クラスタで見つけてももはや手遅れ」というケースがあるのです。


[「情報のアンテナ」のエレメントを増やしましょう]
クラスタだけでは不十分ですから他の情報手段も合わせて使ってみるといいと思います。あらかじめ「いつ誰がどこからどの周波数で出るのか」分かっていれば網を張ってあとは待ち構えるだけです。

例えばCQ誌などの情報、アクティブな局のブログやSNS、友人同士のメールや電話連絡網などの整備など様々な手段があります。まるで八木アンテナをエレメントを増やすかのように情報のアンテナのエレメントも増やしてゆけば確実性が増すことでしょう。


[アワードに挑戦するのなら]
アワードに挑戦される方は「頑張れば達成できる」と思わない方がいいです。まずはリストを見てQSOが困難な市区町村がどこかを見つけ出すことが大切です。一般的には北海道の道北や道東の町村、東北の県庁所在地から距離のある町村、東京の伊豆諸島、鹿児島の奄美やトカラ、沖縄の離島町村が該当します。これらは移動運用でないと取れないからです。

次にそれらの市区町村からQRVができそうな局が誰なのかを考えて早い段階からリクエストを出しておくこと、あるいはその局の動向を掴んでおくことが達成への鍵だろうと思っています。

具体的な局名を出して申し訳ないですが、私とほぼ同時期に奄美に行かれていたJA2KFC 橋本OMと私とでは運用スタイルが大きく違うことを理解できてないとトンチンカンなリクエストになってしまいます。

KFC局の場合は車をフェリーに積み込んでいるため持って行けるアンテナの制約が少なく、車からQRVできますから3.5MHzなどもQRVできます。一方で私は飛行機や船、バスを使って移動地に行くため持って行けるアンテナに制約がありハブの出る夜間にオープンする3.5MHzなどは危険なため無理ですがフェリーのない宮古や八重山にも行くことができます。同じように見えてカバーできる範囲が違っているのです。

私に3.5MHzのリクエストを出しても断られるでしょうし、KFC局に宮古郡多良間村のリクエストを出しても断られるでしょう。その点は理解しておくべきだと思います。


[リクエストは早めに]
言うまでもなく期限まであと1ヶ月といった段階でお願いしても応じてはもらえないはずです。今から渡嘉敷村をお願いしても沖縄近海では波の高い日が多くなっていますから渡嘉敷村への渡島自体が難しい時期に入っています。「年末までに何とかお願いします」と言っても「難しい」との回答になるでしょう。

アワードのスタート直後にリクエストを出しておくくらいがベターでしょう。
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吉野御朱印巡り③

2020-11-22 | 御朱印めぐり
近鉄の「1dayおでかけきっぷ」を使った吉野の御朱印巡り、中千本の続きです。

吉水神社から少し戻って大日寺へ。

真言宗醍醐派のお寺でこの看板が目印です。

この地には天武天皇ゆかりの「日雄寺」というお寺があり、藤原時代の五智如来像が残されています(国の重要文化財)。室町時代に日雄寺は焼失し廃寺になりますが五智如来は難を逃れ、跡地にできた大日寺に引き継がれています。

本堂は18世紀初頭のもので割と小さくまとまっています。拝観と御朱印をお願いして見せてもらいました。仏像は1,000年の時を経ていますが状態がよく、真ん中の大日如来像は穏やかなお顔でした。

ご住職の話ではお寺につながるこの道はかつて県道であったそうです(当然自動車は通行困難)。どこにつながるかと言えば天川や洞川。そのさらに先には高野山があります。

大日寺の御朱印です。


いよいよ金峯山寺です。

7世紀後半に役行者が創建したとされる金峯山修験本宗の総本山です。「修験道」の一派で、古来からの山岳信仰に神道や密教などが融合した日本独自の宗派です。中世の大和は北半分を興福寺が事実上支配していましたが、吉野は金峯山寺が支配し多くの僧兵を抱えていたことから後醍醐天皇のように吉野に逃れる権力者もいました。江戸幕府はこれを嫌い金峯山寺を天台宗の配下に収めて支配します。

明治になると神仏分離令に加え修験道廃止令が出され金峯山寺は一旦廃寺となります。あまりにも厳しい内容から嘆願が出され1886年に再興、1948年には天台宗から独立しています。

本堂に当たる蔵王堂です。1592年に完成し国宝に指定されています。奥千本や上千本からもよく見える大きな建物です。本尊は蔵王権現といい、本来の仏教にはない仏です。仏教でもないし神道でもない独特な信仰なのです。

境内では山伏でおなじみホラ貝が鳴り響いていました。

金峯山寺の御朱印です。

金峯山寺から446段の石段を降りたところには脳天大神がありますがまた446段を上らないと帰れないので泣く泣くパスです。既に何キロも歩いているのでさすがに無理です。

金峯山寺のそばに草餅が名物の「萬松堂」があります。お土産に買ってみました。草餅は昭和天皇にも献上されたそうです。昭和天皇はグルメで知られますが、甘い物もお好きだったようで高輪の「松嶋屋」の豆大福を気に入り侍従を遣わせて買っていたそうです。

お店は3階建てでお店があるのが3階にあるそうです作業場は2階、住居は1階なので1日何度も階段を上り下りすることになるそうです。「吉野の店はこういう作りなんですよ」と笑っていましたが、崖のような斜面によく家を建てることができたものですね。


さらに下って銅鳥居。

これも金峯山寺のもので、神道の要素が入っていることが分かります。

その先に弘願寺があります。元は金峯山寺の「上之坊」であったそうですが今は真言宗のお寺になっています。本尊は1260年に造られた阿弥陀如来立像です。

表を吉野杉で作ったオリジナル御朱印帳があります。ブランドとして高値で取引される吉野杉ですが、最近は住宅事情も変わり需要が激減、切り出してもあまりお金にならないそうです。小さなお寺ですがいろいろ話ができて面白かったです。

弘願寺の御朱印です。

弘願寺を過ぎるとロープウェイ乗り場まではもう何もありません。営業しているお店の方が少ないくらいでコロナで大打撃を受けています。

ようやくロープウェイ乗り場。長かったです。

帰りは「もみじ」号。吉野大峯ケーブル自動車はその名の通り大峯山まで路線を延ばしたかったようですが地場資本だけでは叶わず350mほどの今のルートを開業させただけで終わりました。

足がくたくたなので特急で帰りましょう。帰りはこの新しそうな方。

虫のような顔をしており、当初のカラーはスズメバチにを思い起こさせるものでした。

座席はホームベース君からは大きく進化しており座り心地がいいです。近鉄の特急は当たり外れがあるのがなぁ・・・と思います。


吉野がまだの方に簡単なアドバイスを。
・一般にはロープウェイとバスを使って竹林院前まで行き、そこから下ってゆくのが楽です。
・バスが通る道ですが狭いので広がらないように歩きましょう。
・ロープウェイとバスは季節により運行ダイヤが変わります。吉野大峯ケーブル自動車のサイトで確認の上でお出かけください。
・金峯神社と吉野水分神社をどうするか考えておきましょう。金峯神社はバス停から近いので次のバスまでに回る手がありますが、吉野水分神社近くにはバス停がなく相当長距離を歩くことになります。思い切って外すのも一つの手です。
・竹林院などで「吉野山 寺宝めぐり」のパンフをもらいましょう。パンフに記載されているお寺で御朱印が頂けます(あとは吉水神社で頂けます)。
・尾根筋にない如意輪寺も悩ましいです。こちらも思い切って外す手があります。


最後に御朱印情報です(御朱印料は特記ない限り300円)。
・金峯神社   1種を社務所で授与。
・吉野水分神社 1種を社務所で授与。基本的に無人のため郵送対応。
・桜本坊    4種を拝観受付で授与。オリジナル御朱印帳あり。
・善福寺    3種を庫裏で授与。
・吉水神社   3種を社務所で授与。500円。オリジナル御朱印帳あり。
・大日寺    1種を庫裏で授与。
・金峯山寺   1種を授与所で授与。オリジナル御朱印帳あり。
・弘願寺    1種を本堂で授与。オリジナル御朱印帳あり。
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吉野御朱印巡り②

2020-11-21 | 御朱印めぐり
近鉄の「1dayおでかけきっぷ」を使った吉野の御朱印巡り、奥千本から上千本・中千本への続きです。

ひたすら歩き続けようやく竹林院前バス停です。ようやく中千本に戻ってきたことになります。このあたりで標高400mです。

ここから金峯山寺のあたりまでお寺や神社があります。観光協会で「吉野山寺宝巡り」という企画を行っており、付近に散在するお寺がそれぞれの宝物を公開しています。参加しているお寺では御朱印が頂けますので回ってゆきましょう(お寺の方がご不在などで頂けない場合もあります)。


まずは桜本坊から。

7世紀に天武天皇が創建したとされる、金峯山修験本宗のお寺です。金峯山修験本宗については修験道の一派ですが総本山の金峯山寺のところで触れたいと思います。

本尊は役行者像で国の重要文化財に指定されています。

御朱印だけ頂くことも可能ですが、ぜひ拝観をオススメします。大講堂から吉野の絶景を見渡すことができます。崖の上に立っているのでまるで空から眺めたかのような感覚です。

桜本坊の御朱印です。


桜本坊の斜向かいにある小道を入ると善福寺です。

創建についてははっきりせず、江戸時代には桜本坊の敷地の一部にあったのではないかとされています。吉野には葬儀を行わない修験寺院が多い中で善福寺は菩提寺として活動していたようです。金峯山寺の末寺となっていましたが、1997年に離脱し高野山真言宗の末寺となっています。

本堂は明治の廃仏毀釈で廃寺となった安禅寺のお堂を移築しているようです。本尊は薬師如来です。「本堂でお参りしませんか」と上げて頂きました。

善福寺の御朱印です。檀那寺だけに地域に密着したほのぼのしたお寺でした。


時計を見るともう正午近くです。人が少ないので人気店でも待たずに入れるのが有り難いです。静亭というお店でお昼です。兄の頼朝に追われた源義経とともに吉野に逃げた静御前から名付けたのでしょうね。

冷たい葛うどん定食です。柿の葉寿司が付いているのが奈良らしいですね。


静亭を出てすぐ近くが勝手神社です。

金峯神社・吉野水分神社とともに歴史を誇る神社です。

この通り今は小さな祠があるだけで何もありません。祠の先、壇の上には社殿がありましたが2001年に焼失、ご神体は近くの吉水神社に仮移転しています。再建には4億円かかるとされ吉野町長を会長とした再建委員会が作られていますが、焼失により文化財指定が解除され行政からの補助が受けられないため資金集めは相当に苦戦しているそうです。

広場になっているので春秋にイベントを開いて収益を寄付するってできないのでしょうかね?社殿のあった場所を仮設ステージにしてフェスとかやってもいいように思います。再建のためなら神様だって許してくれるはずですよね。コロナが収まってからでしょうが。


勝手神社のすぐ先に吉水神社の入り口があります。

吉水神社は役行者が創建した僧坊「吉水院」を起源とし、金峯山寺の下にありました。吉野に逃れた後醍醐天皇の行宮となり御座所が残されています。その後秀吉が吉野の花見で滞在しているなど要人の来訪があったところです。

ところが神仏分離により「後醍醐天皇ゆかりの場所だから神社にしろ」と明治政府に指示され吉水院は吉水神社となります。どう見ても神社の入り口じゃないのはこういった経緯からです。

一応拝殿は神社形式で、後醍醐天皇や楠木正成が祀られています。明治に建てられたのでしょう。

後醍醐天皇の御座所などは拝観料が必要なエリアにあります。源義経から秀吉まで様々な人たちの品が残されています。

吉水神社の御朱印です。吉水神社の御朱印は先に触れた勝手神社とセットになっています(片方のみは不可)。勝手神社の再建のためにも少し協力してあげてください。


中千本を半分ほど見て回りました。次回は中心である金峯山寺に行ってみたいと思います。続きます。
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