JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

2022年もありがとうございました

2022-12-31 | シャック便り
2022年最後の更新です。今年も新型コロナウイルスの影響を受けて難しい1年でした。そんな中での活動について簡単に振り返ってみたいと思います。


[離島移動]
瀬戸内海(岡山・香川・愛媛)と沖縄をメインに挑戦してきました。

瀬戸内海では新たに岡山県の前島、香川県の手島、小手島、愛媛県の日振島に初挑戦しました。またJIA最後の年ですので、長年行ってなかった香川県の伊吹島などにも移動し多くの方にコールを頂きました。

沖縄はようやく年2回の予定通りでしたが、新型コロナウイルスの影響で小規模離島は見送ったものの古宇利島、慶留間島などを回ることができました。

この他佐賀県唐津市の神集島、宮城県の女川町の江島などに初挑戦しました。

本日をもってJIAが終了しますので、来年以降の活動は大きく変わると思われます。


[機材の再整備]
2台持っているFT-817のうち1台をオーバーホールに出しました。今のところ問題なく使えています。

新年は2日からQRVの予定です。よろしくお願いします。
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岡山県瀬戸内市(JCC 3114)移動運用報告

2022-12-30 | 移動運用結果報告
12/30(金)に岡山県瀬戸内市(JCC 3114)前島に移動運用に行ってきましたのでご報告します。

JIAが終了しますので今年最後の移動運用に行ってみましょう。場所は岡山県瀬戸内市の前島にしました。瀬戸内市は人口約3.7万人。旧邑久郡の邑久町・長船町・牛窓町が合併してできた市です。大正ロマンの象徴的存在である竹久夢二の出身地です。

前島は牛窓港の沖1kmにある人口110人の島です。牛窓港から30~60分毎にフェリーが出ています。漁業や畑作が行われており、小規模ながら宿泊施設やキャンプ場もあります。前島からは今回が初めてです。

牛窓港へはJR西大寺駅からの東備バスかJR邑久駅からの瀬戸内市営バスがあります。約1時間毎で所要20~30分、フェリーとの接続は考慮していないようで、日生諸島に比べるとアクセスに難がありこれまで行っていませんでした。最後なのでまぁいいやと行ってみましょう。


始発の新快速では昼過ぎになるので、それより早い電車で出発です。姫路まで快速、そこから赤穂線で播州赤穂に向かいます。

播州赤穂からは総社行きに接続です。

おい、こんな古いシートまだ残っていたのか・・・調べてみたら1975年製で当初は中央本線、国鉄民営化直前に岡山に来て一旦京阪神の快速に転じたもののまた岡山に戻ってきた47年の大ベテランです。

ようやく西大寺駅に到着です。西大寺は1967年までは西大寺市でしたが岡山市に合併され、以来人が岡山市内中心部に吸い上げられ衰退しました。岡山市の政令市移行により東区となっています。いま売り出し中の俳優・鈴鹿央士さんは西大寺の出身だそうです。

赤穂線では大きな駅ですが、改札は無人です。みどりの窓口も閉鎖され券売機になっています。

西大寺からは東備バスの牛窓南線があります。南線は県道28号を神崎経由でトレースする路線で、今年まで牛窓北線がありましたがこちらは瀬戸内市営バスに移管されました。

牛窓行きが来ました。これは両備バスの源流であった西大寺鉄道の気動車に似せたバスだそうです。西大寺鉄道が下津井電鉄と出資して作ったのが両備バスで、のち資本分離で西大寺鉄道系となり、最終的には親会社の西大寺鉄道を吸収合併しています。

このバス、ご覧の通り座席が横向きになるため不評だったようで子会社の東備バスに押しつけられてしまったのでしょう。乗客4人では文句も出ないでしょう。

30分で終点の牛窓に到着。目の前が牛窓港です。牛窓港は前島が天然の防波堤の役目を果たしていて参勤交代の船も立ち寄っていました。しかしながら手狭で船が大型化すると役目を果たせなくなり、宇野港などに役割を譲りました。

その後オリーブの栽培が行われるなど「日本のエーゲ海」として売り出されましたが、その後のベネッセによるアートによる観光開発には選ばれず施設の老朽化で衰退しています。瀬戸内市となった旧邑久町・旧長船町には赤穂線の駅がありますが、牛窓町にはバスしかなく不便で、人口減少が著しくなっています。

#高校時代の同級生に牛窓町から通学していた人がいました。岡山の県立高校は学区制を敷いており、牛窓は学区外であったので特例枠での入学で、東大に進学した優秀な人でした。

船が前島からやってきました。前島フェリーは瀬戸内緑の杜公社が運航しており、船は「第七からこと」です。1993年に神原造船で建造された197t・航海速力8ノットの双頭型フェリーです。0.9kmしかないのでいちいち船を回頭させる手間のない双頭型を採用しているようです。なのでたった5分で到着できます。

乗船券は船に入ってすぐの券売所往復分の運賃を払って購入します。帰りは乗船券を提示すればOKとのこと。乗降が終わるとすぐ出航です。

この「第七からこと」、年末年始の輸送を終える1/6で引退することになっており客室内も疲れた感じです。

早くも前島に近づいてきました。最後の松飾りが映り込んでいますね。


前島に到着。早速設営を始めましょう。google mapでは港近くにジャングルジムがあったのですが撤去されていました。何とか工夫して設営完了。11時35分にスタートです。西風があるので防波堤で風よけしながらになります。

ややノイズがあるものの2~6エリアが中心。1エリアもそこそこ強いです。スタートから比較的コンスタントに呼ばれます。とりわけ2エリアは出てきたら非常に強く入ってきています。

今年最後ですから季節のご挨拶込みになりいつもよりはペースが落ちますがそれはそれですよね。

実は今回まだ決めていないことがあります。それは終了時刻。牛窓発の東備バスは西大寺行きが14時5分発、邑久駅行き市営バスが毎時0分です。前島フェリーの時刻は13時、14時、14時30分発で所要5分です。邑久駅行きは55分待たないと乗れません。東備バスは牛窓での下車時に運転手に聞いたら「フェリーとの接続は特には取っていない」とのことでした。

なので
(1)13時発の船に乗り14時発の邑久駅行きに乗る
(2)14時発の船に乗り14時5分発の西大寺行きに乗る
(3)14時30分発の船に乗り15時発の邑久駅行きに乗る
と3つの選択肢があります。時間効率を考えると(2)がベストですが秒単位での賭けになります。出航や到着が少しでも遅れたら間に合いません。(3)は在島時間が最長になりますし、牛窓での待ち時間も25分で済みます。ただし邑久駅で播州赤穂行きまで58分待たされます。

さてどうしましょう。幸い港にいるので1km弱先の牛窓港の様子はQRVしながらでも確認できます。12時発・13時発の船の様子を見て決めることにしました。

12時発の船は所定の5分よりやや遅れて牛窓に到着。13時の船は5分より僅かに短い時間で着いています。可能性はゼロではないので(2)に賭けてみましょう。このため片付け時間を考慮し13時30分終了としました。


そうと決まればラストスパート。Condexが落ち気味ですが頑張りましょう。13時30分過ぎで終了しました。

待合所には丸々した猫がいました。14時発の船に乗り込みましょう。

幸い14時ちょうどに出航。可能性はありそうです。間もなく到着のアナウンスがあったので車両甲板に降りてゲートが開くのを待ちます。ゲートが開いたら即ダッシュ。既にバスのドアが閉まっていましたが、幸い運転手さんが気付いてくれて乗せてもらえました。14時5分のバスに0秒乗り換えの成功です。

西大寺駅からは30分弱の乗り継ぎで15時13分発の播州赤穂行きに乗り換えです。この電車、日生15時51分発で何のことはない24日の帰り便の電車でした。おかげで姫路でたこ焼きを食べても19時前には帰ることができました。


本日はちょうど100局でした。ありがとうございました。これにて本年の移動運用・JIA対応の移動運用は終了です。JIA最後のQRVは前島となりました。前島までの離島移動のQSLは1月に発送を完了させる予定です。

JIAがなくなる来年からどうするかは正月中に考えたいと思っています。それでは良いお年を。
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12/30 岡山県瀬戸内市[前島]移動

2022-12-29 | 移動運用予定
以下の日程で岡山県瀬戸内市の前島(JCC:3114 JIA:31-116)に移動します。


日時:12/30(金) 11時30分~12時30分頃(スタートが1時間ずれる場合あり)
   ※当日荒天の場合は中止します。

場所:前島からQRVの予定です。

バンド:7MHz帯(SSB)

本年の移動運用およびJIA対応の移動運用はこれで最後です。
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妙心寺退蔵院・壽聖院の特別公開を見てきました

2022-12-28 | 御朱印めぐり
妙心寺の塔頭・退蔵院と壽聖院で開催されている「退蔵院方丈襖絵プロジェクト退蔵院・壽聖院 特別公開 村林由貴が描く禅の世界」を見てきました。

妙心寺の塔頭で常時公開されている退蔵院の方丈(禅寺の本堂に相当)には桃山後期の狩野派の絵師である狩野了慶の襖絵がありました。しかしながら400年を経て傷みが激しく、複製画ではなく新たな襖絵を作ることになりました。

2011年に始まったこのプロジェクトは「若手芸術家の育成」を意識し、当時京都造形芸術大学大学院を修了したばかりの24歳の村林由貴さんが起用されています。村林さんはお寺をアトリエとして住み込み、禅寺の修行をしつつ制作を行ったそうです。禅寺とは全く縁のない村林さんにとっては過酷なもので、体調を崩し一時は寺を離れたこともあるそうですが、まずはアトリエを置いた壽聖院の襖絵を2012~14年に描いて完成させ、さらに退蔵院の襖絵も2019~22年に描いて完成させています。

新たな襖絵も了慶の作品と同じく400年持つことを目指し、最高級の越前和紙や奈良の墨など現存する技術の粋が集められ、制作の全てがアーカイブされて今後の修復が容易になるように配慮されたそうです。

こうして進められた10年以上の壮大なプロジェクトで76枚の絵が完成し退蔵院と壽聖院でお披露目されています。12/24(土)~1/9(月)まで退蔵院・壽聖院で開催されています。


それではJR花園駅から歩いて妙心寺へ。

南総門を入って左手奥に退蔵院があります。1404年に創建され、応仁の乱で焼失するも1597年に再興されています。このときの襖絵が狩野了慶のものであったようです。

退蔵院は常時公開寺院ですので受付で拝観料を支払います。通常の御朱印はこちらで。いつもと違うのは玄関が公開されていることですが、そちらは後で。

冬の庭も手入れされていて趣があります。

一通り見てからいよいよ方丈へ。玄関には村林さんの手がけた大きな鳳凰の絵があります。内部は撮影禁止ですので、どのような絵だったかは御朱印でご覧下さい。最近京都市内の複数の寺に細川護熙元首相の襖絵が奉納されていますが、あっちは撮影可のことが多いんですけどねhi

こんな感じです。襖絵は5つの部屋それぞれでテーマが異なり、白梅であったり鷹であったりと様々です。じっくり鑑賞することができます。

なお玄関近くで書き置きの御朱印&御朱印帳の販売があります。こちらは今回のプロジェクトのもので、拝観受付の御朱印とは異なっています。


それでは壽聖院へ。

奥まった場所にあります。目印は「ゆりかご保育園」の「智勝院」で、ここの角にこのような看板が出ています。

1599年に石田三成が父の正継の菩提寺として創建しています。その翌年に三成は関ヶ原の戦いで敗れて処刑されますが、三成の長男であった重家は壽聖院に出家することを条件に助命され、三世住職となっています。ただし壽聖院の境内は1/4ほどに削られ、現在の本堂は当初書院として建てられていたものだったそうです。

重家は記録が正しければ104歳まで生きたそうですが果たして事実であったかは定かではありません。この当時だと川越の御朱印巡りでご紹介した天海がそれくらいまで生きたとされています。

壽聖院は通常非公開で予約すれば拝観できるみたいですが、今回特別公開となり一般の拝観を受け入れています。近年は様々な催しも行っており、今年秋には初音ミクの「千本桜の世界展」が壽聖院で開かれています。


壽聖院では6つの部屋に9作が展示されています。撮影は禁止ですが今回の特別公開では襖絵の側まで行くことができます。ぜひ近くで細かい描写を見て、その後少し引いて全体を鑑賞してみてください。

壽聖院の御朱印です。書き置きのみ5種類となります。石田三成の故事に因んだ「三献の茶」と村林さんの「春爛漫図」をいただきました。「京の冬の旅」でもこれらの御朱印を出すそうです。また襖絵をあしらったオリジナル御朱印帳もあります。


今回の完成にあたり、村林さんご自身の説明とお茶を楽しむイベントも開かれるようです(要予約:チケットは既に完売)。400年後どころか100年後ですら我々は生きていないでしょうが、絵は残り続ける訳で、画家としては大変名誉なことではないかと思います。


なお壽聖院は1/7(土)以降「京の冬の旅」でも公開されます。冬の旅では石田三成関連の展示を行うため、一部の襖絵は見ることができないそうです。1/7~9は退蔵院の公開も合わせて見ることができますから、ぜひ退蔵院にも足を運ぶことをオススメします。


今回の御朱印情報です(特記ない限り御朱印料は300円)。
退蔵院 方丈内で特別御朱印6種を授与。500円。オリジナル御朱印帳あり。
    通常の御朱印は拝観受付で授与。
壽聖院 本堂内で特別御朱印4種(各500円)+通常御朱印1種を授与。
    全て書き置き。オリジナル御朱印帳あり。
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埼玉川越御朱印巡り③

2022-12-27 | 御朱印めぐり
川越御朱印巡りの続きです。

喜多院からはもう1社独立した神社があります。

こちらの仙波東照宮です。

家康は1616年に駿府(静岡)で亡くなりますが、翌1617年に日光へ改葬されることになり、この年の3月に喜多院に遺骸が持ち込まれ天海が法要を行っています。その縁で1633年に東照宮が建立されます。1638年の火災に巻き込まれてしまいますが、1640年に現在の社殿が再建されています。

再建にあたり喜多院は大規模な造営が行われており、仙波東照宮と喜多院の間には防火帯として空堀が造営されています。その土砂を盛ったため仙波東照宮は小高い位置にあります。家康を祀るのですから高くしないといけなかったのでしょうね。この空堀は当初城跡かと思っていたのですが、仙波東照宮の境内にいた案内役の地元の方に聞いたら江戸時代に造営されたものとのことでした。

仙波東照宮の御朱印です。こちらも無人授与となっています。


そろそろ昼前の時間となり観光客が増えてきました。

お土産を買って川越駅方面に向かいましょう。


締めは川越八幡宮です。

1030年に源頼信が創建したとされます。1457年に太田道灌が川越城を築城し、城内に川越八幡宮を分祀しています。

その後も歴代川越城主から保護されています。

現在の本殿は1975年に完成しています。大きな銀杏の木が見えていますが、これは1933年に現在の上皇陛下の生誕を祝って植樹されたものだそうです。

川越八幡宮の御朱印です。

帰りの飛行機がありますのでそろそろ池袋に戻りたいと思います。川越にはまだまだ御朱印を頂ける寺社があります。時間をかけて回るのも楽しそうですね。なお川越の観光スポットには随所に案内のボランティアスタッフの方がいます。道が分からなくなったら聞いてみると教えてもらえます。


今回の御朱印情報です(御朱印料は特記ない限り300円)。
川越氷川神社 1種を授与所で授与。書き置きのみ500円。オリジナル御朱印帳あり。
川越熊野神社 限定含め多数を授与所で授与。500円~。オリジナル御朱印帳あり。
本行院    5種を本堂下授与所で授与。300円~。
喜多院    1種を本堂で授与。500円。書き置きのみ。
日枝神社   1種を本殿に置かれた箱で無人授与。書き置きのみ。
仙波東照宮  1種を本殿に置かれた箱で無人授与。書き置きのみ。
川越八幡宮  多数を授与所で授与。書き置きのみ500円~。オリジナル御朱印帳あり。
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埼玉川越御朱印巡り②

2022-12-26 | 御朱印めぐり
埼玉川越の御朱印巡り、続きです。

川越熊野神社から東に行ってみましょう。10分弱で成田山川越別院の本行院があります。

ペリーが浦賀に来た1853年に石川照温が創建しています。石川は下総の国の人で両目を失明し自殺を図るも死ぬことができず、成田山新勝寺で断食行に入ります。すると目が見えるようになり石川は生涯を不動明王の霊徳を広めることに捧げ諸国を回っていました。川越の人たちは石川の徳を慕い、廃寺となっていた本行院を成田山の別院として再興することを川越藩主に願い出て認められたそうです。

1877年には成田山新勝寺の別院となっています。成田山の別院は大阪(香里園)など各地にありますが、川越が初の別院だったそうです。

1932年に現在の本堂が完成しています。

このように授与される御朱印が分かりやすく掲示されています。

成田山川越別院の御朱印です。


本行院のすぐ近くに喜多院があります。

830年に慈覚大師円仁が勅願で創建した天台宗の寺院です。その後兵火と再興を繰り返し1599年に家康のブレーンである天海が入山します。1613年には徳川秀忠より「東叡山(東の比叡山)」の山号を与えられ、関東の天台宗の総本山となります。その後「東叡山」の山号は上野の寛永寺に移っています。

将軍家の保護を受け広大な寺領を誇るお寺となり、1638年に焼失したときも江戸城の建物が移築されるなど厚い保護を受けています。このため家光が誕生した建物が喜多院に残されています。

1645年に完成した大きな本堂では「元三大師」で知られる慈恵大師の像を如意輪観音として安置しています。比叡山の横川と同じように元三大師の護符も売っていました。

喜多院の御朱印です。


お隣には日枝神社があります。

比叡山延暦寺と坂本の日吉大社の関係と同じで、喜多院の創建時に近江から分社された神社です。

その後1478年に太田道灌が江戸赤坂にこちらの日枝神社を分祀し、これが溜池山王にある日枝神社になっています。

その後明治の神仏分離で日枝神社として独立、大正時代に県道の開削により古墳のあった現在地に移転しています。

こちらは現在無人ですが、本殿の賽銭箱の脇に御朱印を入れた缶があります。御朱印料は賽銭箱に入れればOKだそうです。無人授与ですね。

日枝神社の御朱印です。③で出てくる予定の川越八幡宮が日枝神社を管理していますので、川越八幡宮でも御朱印を頂けます。

日枝神社のすぐ目の前に紋蔵庵という和菓子店があります。名物は「つばさかりん」という芋餡の入ったかりんとう饅頭です。多部未華子さんが主演したNHKの朝ドラ「つばさ」(2008年)は川越を舞台にしており、この時期に作られたお菓子だそうです。


川越の御朱印巡り。まだまだ続きます。
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埼玉川越御朱印巡り①

2022-12-25 | 御朱印めぐり
今回は埼玉県川越市の御朱印巡りです。

「蔵の街」「サツマイモの街」として知られる川越は江戸時代以前の武蔵国では最も大きな都市で、江戸時代に川越藩が置かれ江戸への食糧集積地として栄えました。新河岸川から隅田川に下ると江戸ですので舟運でサツマイモや木材などが運ばれています。

1893年に大きな火事があり、その後蔵造りの商家が立ち並んで今の町並みが作られます。一方で1894年に中央線の国分寺から東村山・所沢を経由し本川越に至る川越鉄道(現在の西武国分寺線・新宿線)が開業、さらに1914年には池袋から最短で結ぶ東武東上線が開業しています。

1922年12月に埼玉県初となる市制を敷き川越市となります(浦和や大宮より早かったのです)。1940年には大宮から川越線が開業し、3線が市内に乗り入れることになりました。戦災の影響がほとんどなかった川越は市街地が南の川越駅周辺に移ったものの蔵造りの町並みが残り、サツマイモを活かしたスイーツも人気となり東京から手軽な観光地となっています。しかしながら埼玉県の急速な人口増加の中で取り残されてしまい、現在の人口は35万人です。さいたま市発足直前の旧浦和市(49万人)や旧大宮市(46万人)を下回っています。

川越の中心付近には西武新宿線の本川越駅、東武東上線とJRの川越駅、東上線の川越市駅があります。東上線で川越までは30分前後なので東上線が便利です。


それでは池袋から。駅の券売機で「小江戸川越クーポン」を買います。池袋から川越市までの往復運賃で東上線に加え川越中心部の東武バス乗り放題がプラスされます。

急行や快速であれば川越に早く着きます。次の列車は快速急行。途中の停車駅は和光市・志木のみです。以前は成増以遠が各駅停車となる準急が主力でしたが、副都心線への乗り入れなどで急行以上の種別の運転本数が増やされています。

東上線は川越駅と川越市駅がありますが、バスは川越駅発着ですから川越で下車します。

バスに乗って川越氷川神社から。氷川神社に直接行くバスは少ないので、本数の多い喜多町で下車すると便利です。

欽明天皇の時代に創建されたとされ、1457年に太田道灌により川越の総鎮守とされて整備されています。

毎年10月に市内を山車が練り歩く川越氷川祭はこちらの例大祭です。

本殿は1849年に完成し、川越大火を免れたものです。

川越氷川神社の御朱印です。


少し戻って川越熊野神社です。

1590年に紀州の熊野より近くにある蓮馨寺二世の然誉が勧請しています。

熊野本宮大社から八咫烏の紋を掲げる許可を頂いているそうです。ご存知サッカー協会もこの八咫烏をモチーフとしていますよね。これは明治時代に初めてサッカーを紹介した中村覚之助が那智勝浦町の出身であったこと、神武天皇を勝利に導いた縁起の良い鳥であることが理由だそうで1931年に制定されています。

こちらは御朱印に力を入れており、季節限定の御朱印を多数出しています。窓口も整えられていて分かりやすくなっています。

川越熊野神社の御朱印です。帳面書きのものだけ頂いてみました。

秋葉神社と厳島神社の御朱印も帳面書きで頂けます。

今回はここまで。続きます。
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岡山県備前市(JCC 3113)移動運用報告

2022-12-24 | 移動運用結果報告
12/24(土)に岡山県備前市(JCC 3113)大多府島に移動運用に行ってきましたのでご報告します。

JIAアワード終了まであと少し。1週間前は寒波で荒れるとの予報でしたので移動運用を中止しました。今週末も寒波が襲っていますが残るチャンスが少ないので出かけることとしました。

場所は備前市の大多府島にしました。モービル局では行けない場所ですし、今年はまだ日生のカキオコを食べていないのでちょうどいいでしょう。バンドは7MHzのみです。


3エリアから間に合う大生汽船の船は日生12時発です。余裕があるので先にカキオコにします。1時間あれば十分でしょう。

「のりなはーれ」に乗船します。

日生 (12:00発)→大多府(12:40着) ※大多府島滞在時間2時間35分
大多府(15:15発)→頭島 (15:25着) 

乗客はたったの3人。私以外は鴻島で下船してしまいました。

貸切状態で12時40分に大多府到着。

いつのも場所で設営です。こんなに寒いのにバンド内は混んでいます。13時5分にスタートです。

バンド内ノイズズレベルが高く、あまりCondxがよくありません。2~6エリアの近場が中心です。それでもあまりコールが途切れず呼ばれます。

JIAの終了まであと少し。何度か来ている大多府島ですがそれでも「ファーストです」という方がいるのが有り難いです。寒さはあるものの、風がそれほど強くないので何とかしのげます。

あまりCondxが良くないのですが、それでも沖縄から呼ばれるなど飛んでいるようです。

とはいえ寒いので14時45分で終了します。片付けて港に戻りましょう。

この船、調べてみたけど何も出てきません。19tであることは間違いなさそうですが。

帰りは大多府15時45分の日生行きではなく15時15分発の頭島行きに乗ります。逆方向なのですが、終点の頭島で備前市営バスに接続しており、日生行きの船に乗るよりも1時間早く帰宅できます。

日が落ちるのが早いこの時期ですし、とりわけ今日は早帰りがベターでしょう。

備前市営バスの頭島線は備前日生大橋が完成した際に開設された路線で、ワゴン車が使われています。運賃は一律200円です。

日生駅に戻りました。播州赤穂行きに乗りましょう。

クリスマスイブですから、ちょうどいいアルバムとして松田聖子さんの1984年11月のアルバム「Seiko・Avenue」を聴いてみましょう。

「Seiko・Avenue」は今やどのアーティストもやらなくなったクリスマス企画アルバムで、1~5曲目は1982年のクリスマスアルバムだった「金色のリボン」からの再録、7曲目以降は聖子さんの映画で使用された曲を収録しています。

「なんだよ再録ばっかりじゃないかよ」と思うかも知れませんが、「Seiko・Avenue」はCDのみが発売されたタイトルだったのです。1982年10月に世界初のCDが発売されていますが、1984年でもまだプレーヤーが高価でして、翌12月のオリジナルアルバム「Windy Shadow」なんかもLP盤の方が多く売れていた時代でした。しかも「金色のリボン」は長年CD化されず、最初にCD化されたのがなんと2006年でしたので、「Seiko・Avenue」は「金色のリボン」の代わりとなる貴重な音源だったのです。

1曲目は「赤鼻のトナカイ」「ジングルベル」などのクリスマスソングのメドレーです。スタンダードなナンバーですが、聖子さんらしい歌い方と大村さんの編曲が面白いです。

2曲目が「恋人がサンタクロース」。ユーミンが1980年にリリースしたアルバム「SURF&SNOW」に収録されていた曲を聖子さんがカバーしたものです。聖子さんのカバーにより知名度が上がり、1987年にユーミン盤が映画「私をスキーに連れてって」の主題歌に起用され大ヒットします。

カバー曲のため「赤いスイートピー」などと違って呉田軽穂ではなく松任谷由実でクレジットされています(これが唯一の例)。大村さんの編曲によりギターが特徴的なロックテイストに仕立てられており、82年当時の伸びのあるボーカルが聖子盤の魅力です。ユーミン盤とお互い聞き比べてもお互い引けを取りません。むしろ「ユーミン=となりのお姉さん」「聖子さん=私」というイメージすら浮かんできます(8歳差だそうです)。

3曲目は松本さん作詞・財津さん作曲の「Blue Christmas」でバラード調の落ち着いた曲、4曲目は大村さん作曲の「ジングルベルも聞こえない」で一転してポップな曲。元々「金色のリボン」のキーになっていた曲でした。5曲目も大村さん作曲の「星のファンタジー」の伸びやかなボーカルがクリスマスを最高潮に盛り上げてくれます。

ここまででお腹いっぱいで後半は省略しますが、6曲目に「HAPPY SUNDAY」が収録されています。聖子さんがパーソナリティをつとめていたラジオ番組のテーマ曲で、CD化された例が少ないレア曲です。

この時期に聴くにはぴったりのアルバムです。こういったクリスマス企画盤を作ることすらなくなった今の音楽界、大丈夫ですかね?


本日は64局でした。ありがとうございました。可能であれば30日に締めの移動をしたいと思います。
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12/24 岡山県備前市[大多府島]移動

2022-12-23 | 移動運用予定
以下の日程で岡山県備前市の大多府島(JCC:3113 JIA:31-114)に移動します。


日時:12/24(土) 13時~14時45分頃
   ※当日荒天の場合は中止します。

場所:大多府島からQRVの予定です。

バンド:7MHz帯(SSB)

鴻島(31-115)が必要な方はTwitterもしくは当日お知らせ下さい。可能であれば後日対応します。鴻島以外のリクエストは既に終了していますのでご遠慮願います。
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京都嵯峨野穴場御朱印巡り②

2022-12-22 | 御朱印めぐり
秋の紅葉見物を兼ねた御朱印巡りの続きです。

嵐電に乗って帷子ノ辻で乗り換えて妙心寺で下車します。毎年この時期妙心寺の塔頭・大法院の特別公開があります。妙心寺の境内は広く、多くの塔頭が建ち並んでいますので迷いそうになりますが、要所要所に看板があって迷わず着くと思います。

大法院は1662年に真田幸村の兄で初代松代藩主・真田信之の菩提寺として創建されています。幕末の兵法学者佐久間象山の墓や横綱千代の富士の顕彰碑があります。

こちらの特徴は庭を眺めながらお茶を頂けること。800円の拝観料を支払うとお茶のチケットが付いてきます。京都では観光地の茶店でしたらお茶とお菓子だけで800円なので安いと思います。

赤い絨毯の敷かれているところに座って庭を眺めていればお茶とお菓子を持ってきてくれます。

ゆっくり庭を眺めて時間を過ごすことができます。

U2のボノさんもこの庭に感銘を受けたそうです。

大法院の御朱印です。春の時期も特別公開がありますのでチャンスがあれば訪れてみてください。


嵐電で北野白梅町に出てみます。白梅町の駅から歩いてすぐにパン屋さんのエトルタがあります。

大山崎のJR山崎駅前にあり、天王山に登るときはお世話になったエトルタですが、パン作りと子育てとの両立が難しくなり、この6月に北野に移転しお店の上に住む形を取っています。

顔を覚えてくれていたようです。パンも大山崎時代と変わらず美味しく、良かったと思っています。


今回の御朱印情報です(御朱印料は特記ない限り300円)。
清涼寺 本堂内で1種を授与。書き置きのみ。
厭離庵 庫裏で1種を授与。
大法院 本堂内で2種を授与。
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