JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

名古屋熱田御朱印巡り③

2024-03-26 | 御朱印めぐり
名古屋熱田の御朱印巡り、熱田駅前まで戻ってお昼は「みどりや」で。

味噌カツがメインですが、冬はカキフライがあります。名古屋ですので味噌カキフライもあります。これにしましょう。

結構大きなカキフライで満足です。ちょうど1,000円でした。


お腹を満たしたので〆は高座結御子神社へ。

こちらは熱田神宮の境外摂社です。熱田神宮と同時期の創建とされるもののはっきりせず、9世紀の文献に出てくることから、遅くともこの頃には存在したと考えられます。信長が修理したなどの記録が残るものの、いつ熱田神宮の境外摂社になったかなど明らかになっていません。熱田神宮とその摂社の歴史については今も解明されていないことが多く、高座結御子神社についても祭神が途中で変わっているなどの謎が残されています。

本殿は1945年の熱田大空襲で焼失し、1963年に再建されています。

高座結御子神社の御神印です。


熱田にはまだまだ御朱印を頂けるお寺が残っています。少し時間をかけて回りたいと思います。


今回の御朱印情報です。
弥勒院     1種を庫裏で授与。
清雲寺     5種を庫裏で授与。書き置きのみ。
秋葉山円通寺  2種を授与所で授与。書き置きのみ。
熱田神宮    1種を授与所で授与。オリジナル御朱印帳あり。
八剣宮     1種を授与所で授与。
上知我麻神社  1種を授与所で授与。
高座結御子神社 1種を授与所で授与。
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名古屋熱田御朱印巡り②

2024-03-24 | 御朱印めぐり
名古屋熱田の御朱印巡り、熱田神宮に行ってみましょう。

社伝では113年に創建されたとされ、天照大神や素戔嗚尊、日本武尊などを祀っています。素戔嗚尊が出雲で八岐大蛇を退治した際に大蛇から見つかったとされる草薙神剣をご神体として祀っています。草薙神剣は天皇の地位の象徴である三種の神器の一つですが、本物は熱田神宮のご神体であり、皇居には形代(レプリカ)があるとされます。

ちなみに承継者である天皇陛下ですら三種の神器を見ることができないのだそうです。

こちらは信長が桶狭間の戦いで勝利したことへの礼として奉納した塀です。熱田神宮の宮司は千秋家が務めていますが、戦国時代には社領を守るため兵力を持っており、当時の千秋季忠も織田方として参戦しています。信長が善照寺砦に着陣したのを見て佐々政次と共に今川に攻め入ったものの討ち取られたとされています。信長は季忠の子である季信に対し所領を安堵しています。

現在の本殿は1955年に完成したものです。熱田には太平洋戦争中に海軍の航空機などを製造していた愛知航空機(愛知時計電機の分社)の工場があったため熱田神宮も空襲に巻き込まれ、先代の本殿は1945年に焼失していますが、ご神体は無事で、飛騨高山に避難させたそうです。

熱田神宮の御神印です。熱田神宮では御朱印を御神印と呼んでいるようです。


実は正門のところにこのような看板が出ています。

こちらの八剣宮と上知我麻神社も御神印を頂けるのです。

こちらが八剣宮です。708年に創建されたとしており、熱田神宮と全く同じ日に同様の神事を行う別宮だそうです。熱田神宮同様に時の権力者から保護され、1893年に現在地に移転しています。2013年には改修が行われています。

こちらが上知我麻神社です。

創建についてははっきりせず、江戸時代には「源太夫社」として熱田区伝馬一丁目付近、東海道と美濃への道の分岐点にあたる場所にあったようです。その後戦災復興に伴い現在地に移転、本殿は1965年に完成しています。

八剣宮と上知我麻神社の御神印です。


熱田神宮の名物と言えば「あつた蓬莱軒のひつまぶし」「宮のきしめん」などがありますが、お土産は「きよめ餅総本家のきよめ餅」が知られています。

お土産に買って帰りましょう。

まだまだ続きます。
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名古屋熱田御朱印巡り①

2024-03-22 | 御朱印めぐり
ちょこちょこ続けている名古屋の御朱印巡り、今回はその佳境と言える熱田区を回ってみたいと思います。

熱田は熱田神宮のお膝元で、江戸時代には「宮」と呼ばれた海に面した宿場町で、当時熱田神宮は岬の突端にあったそうです。東海道はここから名古屋を経由せず「七里の渡し」で桑名まで海路となります。

宮の宿場は規模が大きく、賑わった熱田は経済力があったことから「熱田百ヶ寺」と呼ばれるほどお寺が多いのも特徴です。そのため熱田神宮以外にも御朱印を頂ける寺社が多いのです。


振り出しはJR熱田駅です。普通しか停車しないので名古屋か金山で乗り換えとなります。

お隣の金山駅は東海道線と中央線に加え名鉄線や地下鉄も乗り入れる大きな駅ですので、熱田駅は小さな駅になっています。

駅からすぐが熱田神宮の北端にあたりますが、ぐるっと反時計回りで南にある正門までお寺を回りながら進みましょう。


まずは弥勒院から。真言宗豊山派のお寺です。

1532年に焼失した際に史料が失われ寺伝がはっきりしないのですが、現在の名古屋城三の丸の地にあり、斯波氏の祈願所となっていたとされます。1538年に再興されたものの名古屋城築城にあたり廃寺となりますが1629年に再興、1685年に熱田の現在地に移転しています。

本堂は1959年の伊勢湾台風で被害を受け、その後再建されたものだそうです。熱田区では伊勢湾台風による高潮で当時の人口の8割が被災したとされています。本尊は弥勒菩薩です。

弥勒院の御朱印です。お茶を頂きました。ありがとうございました。


次は清雲寺です。

1610年に清雲上人が芳池院として創建した西山浄土宗の寺院です。1816年に康空澤存が荒廃した本堂と庫裡を修繕した際、寺院名を清雲寺と改めています。1945年6月の熱田大空襲により焼失、その後再建されています。

西山浄土宗も浄土宗系の宗派ですので阿弥陀如来が本尊です。御朱印は1945年以降行っていなかったそうですが、近年約70年ぶりに再開したそうです。

清雲寺の御朱印です。


さらに進むと秋葉山円通寺があります。曹洞宗の寺院で、大きな本堂が目印です。

尾張の豪族であった尾張氏が熱田神宮の神宮寺として開いたとされています。14~15世紀にお寺としての整備が行われ、さらに1757年にも整備が行われています。しかしながら1891年の濃尾地震や1945年の熱田大空襲で被害を受け、仮本堂が1960年に再建され、さらに1985年に現在の本堂が完成しています。

本尊は釈迦如来です。

秋葉山円通寺の御朱印です。


それではいよいよ熱田神宮です。続きます。
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香川西讃御朱印巡り③

2024-03-16 | 御朱印めぐり
香川西讃の御朱印巡りの続きです。

今日は丸亀からの高速バスを利用する予定なので海岸寺駅から丸亀へ。時間が残っているので市内中心部にある妙法寺に行ってみましょう。

妙法寺は8世紀に行基が現在の観音寺市に創建した寺院で、その後日蓮宗に改宗しています。長宗我部元親の侵攻で焼失し1959年に現在の観音寺市役所の近くに移転、さらに1597年に藩主生駒親正の命により丸亀の現在地に移転しています。しかしながら妙法寺は日蓮宗でも池上本門寺や京都の妙覚寺と同じ不受不施派に属していたため、幕府からの弾圧を恐れて1669年に天台宗に改宗し、山科の毘沙門堂の末寺となっています。

生駒氏にかわって丸亀藩主となった京極家から保護を受け、1766~1768年に俳人で画家の与謝蕪村が讃岐に逗留する際に妙法寺にも滞在し絵を残しています。

蕪村が残した絵や小堀遠州作と伝わる庭は拝観できます。お願いしたら名誉住職(先代住職)が案内してくれました。名誉住職によると現在も不受不施派の本山である岡山の妙覚寺(江戸時代に禁教となった不受不施派を明治に再興するにあたり不受不施派の中心であった京都の妙覚寺にあやかり名乗ったお寺)を訪れるなど日蓮宗とは僅かながら縁は残っているそうです。

太平洋戦争の空襲被害がなく本堂や蕪村の絵などは残ったそうです。本堂の襖絵だった蕪村の「寒山拾得図」、庭のソテツを描いた「蘇鉄図」などを鑑賞できます。寺に残された6点の蕪村の絵は一括して国の重要文化財に指定されており、現在はデジタル複製されたものが飾られています。

妙法寺の御朱印です。

今は街中の大きくはないお寺ですが、蕪村の絵や小堀遠州の庭などを見ることができるのは驚きでした。


今回の御朱印情報です。
琴弾八幡宮  1種を社務所で授与。
観音寺    1種を納経所で授与。
神恵院    1種を納経所で授与。観音寺と一緒にもらえます。
本山寺    6種を納経所で授与。
海岸寺大師堂 2種を納経所で授与。不在の場合は本坊へ。
海岸寺本坊  1種を納経所で授与。大師堂の御朱印も可。
妙法寺    1種を拝観受付で授与。
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香川西讃御朱印巡り②

2024-03-14 | 御朱印めぐり
香川西讃の御朱印巡り、お次は70番の本山寺です。

観音寺駅のお隣の本山駅が最寄りです。

出入口が駅舎の端っこにありますが、真ん中付近にはかつてJR四国が経営していたパン屋さんがありました。跡地を借りる人もないのでしょう。

駅から寂しい参道を歩くと本山寺の五重塔が見えてきます。五重塔は1910年に完成したものです。

本山寺は807年に創建された高野山真言宗のお寺です。

空海が刻んだとされる馬頭観音が本尊です。馬頭観音を本尊とするお寺は西日本では珍しく、四国霊場では本山寺のみ、西国でも29番の松尾寺だけです。兵火にかからなかったため1300年に完成した本堂が今も残り国宝に指定されています。

本山寺の大師堂です。

納経は本堂の北にある納経所で行っています。

リストを出してわかりやすくしています。

本山寺の御朱印です。

本山寺の御影です。


本山駅に戻り次は海岸寺を目指します。国道11号や高松道は鳥坂峠を通過しますが、予讃線は詫間から海沿いを回り込んで多度津に抜けています。その道すがらの海岸にある駅とお寺があります。

海岸寺駅で下車します。

海岸寺は807年に空海が創建した真言宗醍醐派の寺院です。海岸寺は本坊が駅前の道の突き当たりにありますが、奥の院が別にありそちらから先に行ってみましょう。予讃線の踏切を渡った先です。

奥の院が別にあるのはここが空海の生まれた地とされているからで、生誕地に大師堂を置いています。空海の生まれた場所については善通寺の西院だともされており、古くからどちらが正当か論じられてきました。善通寺西院のある場所は佐伯氏の屋敷のあった地で、ここで母の玉依御前が空海を産んだとするのが善通寺の主張、海岸寺奥の院のある場所は玉依御前の実家があった場所で、玉依御前が実家に戻って空海を産んだといのが海岸寺の主張です。これについては江戸時代に「善通寺は誕生所、海岸寺は弘法大師出化初因縁の霊跡とする」との裁決を嵯峨御所(大覚寺)が下し決着しています。

ともあれ海岸寺は古くから番外札所になっており、四国霊場別格18番となっています。


それでは本坊へ。

こちらには本堂があります。1856年に完成したものです。隣には鉄筋のユースホステルもあるようです。

右が海岸寺大師堂、本堂の御朱印です。

海岸寺本堂の御影です。恐らくモノクロ写真から起こしたものでしょうが、珍しい御影です。


さらに続きます。
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香川西讃御朱印巡り①

2024-03-12 | 御朱印めぐり
少しずつ続けている四国の御朱印巡り、今回は香川の西讃を中心に回ってみます。

西讃地方は三豊市・観音寺市などで、難所の鳥坂峠で善通寺や多度津などの中讃地方と分かれています。このため高松などとは文化がやや異なっています。

それでは観音寺駅からスタートです。

駅から少し歩くと財田川を渡る三架橋が見えてきます。

現在の三架橋は1935年に完成し、90年近く現役で活躍しています。幅が7mしかないので歩行者用の橋が脇にかけられています。ちなみに観音寺駅の屋根の飾りは三架橋をイメージしたものだそうです。


三架橋を渡ると小さな山があり、琴弾八幡宮の境内になります。

琴弾八幡宮は703年に創建された神社で応神天皇などを祭神としています。日証が宇佐八幡宮を勧請したとされています。大相撲の佐渡ヶ嶽部屋の力士は全員しこ名に「琴」が付きますが、これは観音寺市出身の初代琴錦(のちの初代佐渡ヶ嶽親方)に因んだものだそうです。琴錦のしこ名は琴弾八幡宮に因むとのこと。

本殿は山の上にあり、381段の長い階段を上る必要があります。

やっとこさ本殿です。

琴弾八幡宮の御朱印です。


琴弾八幡宮の社務所で観音寺への道を聞いて少し進むと名物の銭形が見えます。

寛永通宝の砂型で、八幡宮の山から見ると円形に見えるよう実際には楕円で作られているそうです。

山を少し下ると観音寺の境内です。観音寺市の市名の由来になっています。

観音寺は703年に創建された真言宗大覚寺派の寺院です。琴弾八幡宮を創建した日証が琴弾八幡宮の神宮寺として創建した宝光院が起源で、807年に空海が伽藍を整備し観音寺となっています。空海ゆかりの寺ですので四国霊場69番札所になっています。

ここまでの話であればすんなり分かりやすいのですが、観音寺にはもう一つ四国霊場の68番札所の神恵院があり、四国では唯一1つのお寺に2つの札所が存在しています。68番は元々琴弾八幡宮でしたが、納経は観音寺で行われていたようで少なくとも江戸時代から2つの札所が存在していたことになります。明治の神仏分離により移さざるを得ず、68番は観音寺の院号であった神恵院を名乗ることとなり、観音寺の薬師堂を神恵院の本堂としています。

観音寺の本堂です。1677年に完成しており、国の重要文化財に指定されています。

こちらが大師堂です。

神恵院の本堂は2002年に移転し、こちらのコンクリート打ちっ放しのモダンなお堂になっています。

もちろん神恵院の大師堂もあります。

納経は2つ一緒に行うことができます。もちろん納経料も2つ分になります。

観音寺と神恵院の御朱印です。

観音寺の御影です。

神恵院の御影です。

続きます。
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太宰府御朱印巡り②

2024-02-27 | 御朱印めぐり
太宰府の御朱印巡り、後半です。帰り道で梅ヶ枝餅を引き替えて太宰府駅に戻り、お隣の五条駅に向かいましょう。

五条駅付近が太宰府市の中心で、徒歩圏には西鉄ストアや市役所があります。少し歩くと観世音寺があります。

観世音寺は746年に天智天皇の勅命で創建された寺院です。天智天皇が母の斉明天皇の菩提を弔うために創建したのですが、造営は遅々として進まず、斉明天皇が亡くなったのが661年ですから約80年かかってようやく完成しています。その後弘法大師空海が唐からの帰国後滞在したり、源氏物語の中でも触れられる九州を代表するお寺でしたが、1064年に火災に遭い、さらに1102年に台風被害を受けるなどで建物が次々と倒壊します。現存する仏像はこの時期に再製されたものとされています。

秀吉の九州平定の際に秀吉を立腹させる事件があって領地を取り上げられて荒廃し、1630年に金堂が倒壊してお堂がない状態となりましたが、黒田家などの援助により金堂と本堂が再建され現在も残されています。

明治になって東大寺の末寺から離れて華厳宗から天台宗のお寺となり、1959年には仏像を守るため鉄筋コンクリート製の宝蔵が完成、仏像はこちらに移されています。

こちらが宝蔵です。「九州の地方の寺の宝物なんて大したことないだろう」と思ったら大間違いで、京都でもなかなか見ない高さ5m前後の大きな仏像が並んでいます。観世音寺の仏像のうち18体が国の重要文化財に指定されており、その多くを一度に見ることができます。これは圧巻です。

観世音寺の御朱印です。なお観世音寺の宝蔵は「太宰府散策きっぷ」を買うと一緒にもらえるクーポンで団体料金になります。


観世音寺のすぐお隣が戒壇院です。

764年に聖武天皇により創建されています。元々は観世音寺の一部であり、唐から渡来した鑑真が753年にこの地で初の授戒を行っており、以後奈良の東大寺、下野の薬師寺と並んで全国で3ヵ所しかない戒壇の場となっています。この当時僧侶はいわば国家資格で、戒壇を受けないと正式な僧侶にはなれなかったため、西国唯一の戒壇の場として貴重な役割を果たしています。

その後僧侶は各宗派が認めるようになり戒壇院は衰退、15世紀頃まで授戒が行われてきましたが観世音寺の衰退と運命を共にしています。廃寺同然となって観世音寺を黒田藩が再興する際に戒壇院は博多の聖福寺などの禅宗寺院が管理することとなって観世音寺から独立、1873年に聖福寺と同じ臨済宗妙心寺派に属することになりました。

本堂は1743年に再建されたものです。本尊は毘盧舎那仏で、12世紀半ばの作とされています。

戒壇院の御朱印です。


福岡市内から日帰り可能ですのでゆっくり回ってみてください。太宰府では他に光明禅寺もありますが、長らく改修工事を理由に拝観を受けていない状態です。

今回の御朱印情報です。
太宰府天満宮 1種を朱印所で授与。オリジナル御朱印帳あり。
天開稲荷社  1種を太宰府天満宮内の授与所で授与。
観世音寺   1種を宝蔵の受付で授与。
戒壇院    1種を本堂で授与。書き置きのみ。
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太宰府御朱印巡り①

2024-02-26 | 御朱印めぐり
各地の御朱印巡り、今回は福岡県の太宰府です。

太宰府は朝廷が九州の防衛や支配のために置いた大宰府のあった場所で、現在は太宰府市になります。大宰府は平安時代までは存在していましたが鎌倉時代になると幕府は鎮西奉行→鎮西探題となり博多に拠点を置くようになってその役割を終えています。

太宰府の寺社として真っ先に思い出すのが太宰府天満宮で、市内にあまり観光名所のない福岡にとっては手軽な日帰り観光スポットとなっています。もちろん他にもありますので回ってみましょう。


太宰府へは西鉄の電車が便利です。天神駅で「太宰府散策きっぷ」を買うのが安くてお手軽です。都府楼前-二日市-五条-太宰府の区間が乗り降り自由の往復乗車券に天満宮参道にある各店の梅ヶ枝餅2個(好きな1店で2個を引き替え)の引換券がセットになって1,000円です。

土休日は乗り換えなしの急行も数本ありますが、一般的には天神から特急に乗って二日市で太宰府行きに乗り換えることになります。

太宰府駅に到着。駅からすぐが天満宮の参道で、梅ヶ枝餅を焼く香ばしい香りが漂っています。商店街を抜けると天満宮の敷地になります。


太宰府天満宮は919年に菅原道真を祀るため創建されています。

道真は藤原時平の讒言により太宰府に流され、903年にこの地で亡くなります。その後909年には時平が亡くなるなど不吉な事件が続いたため醍醐天皇の命により道真の墓所の上に社殿が造営されています。それでも不吉なことが続き、道真の怒りが収まらないとみた朝廷は947年に京都の北野に創建されたのが北野天満宮です。このため太宰府天満宮と北野天満宮の両方を天満宮の総本社としています。

北野天満宮はその後麹の製造権を握るなど京の中で政治力や経済力を握りますが、政治経済の中心が博多に移った太宰府は寂れてしまい、再興されるのは近世になってからです。

本殿は現在改修工事中で、このように屋根の上が草木で覆われている面白い仮社殿になっています。

太宰府天満宮の御朱印です。


太宰府天満宮の境内にはもう一つ御朱印をもらえる神社があります。

本殿の裏に回り、梅園を抜けるとこのような案内があります。

天開稲荷社に行ってみましょう。

途中から山道になりますが、「福岡くん」がのぼり旗を奉納していますね。ここからさらに山を登ると社殿があります。

天開稲荷社は鎌倉時代末期に京都の伏見稲荷から分祀された神社です。九州最古と名乗っています。文字通り「天に道が開け運気が上昇する」縁起のよい神社としてお参りする人も多いです。

天開稲荷社の御朱印やお守りなどは太宰府天満宮の朱印所のとなりで扱っています。門を挟んで反対側には同じように竈門神社の授与所もありますが、こちらは御朱印は竈門神社まで行くよう案内しています。

天開稲荷社の御朱印です。


帰り道で梅ヶ枝餅を引き替えて太宰府駅に戻り、お隣の五条駅に向かいましょう。
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京都古文化保存協会の非公開文化財特別公開の概要公開

2024-02-25 | 御朱印めぐり
毎年春恒例の京都古文化保存協会の非公開文化財特別公開が今年も開催されます。詳細はこちら

期間は4/27~5/12で、一部は期間が異なります。今年は丹後(伊根町)の浦嶋神社を含め15ヵ所となります。

しかしながら、多くが上賀茂神社・下鴨神社・廬山寺・東寺など特別公開の常連組であり、初公開は2ヵ所のみとなっています。この2ヵ所に絞ってご紹介したいと思います。

・常照寺(鷹峯源光庵前) 御朱印:あり(御首題)
鷹峯にある日蓮宗の寺院で、吉野太夫ゆかりの品や妙見大菩薩像などが公開されます。常時公開寺院ですので期間外でも拝観は可能です。

パンフ上は「初公開」となっていますが、2020年春の特別公開で予定されていたものの新型コロナウイルスの影響で特別公開が中止となった経緯があります。


・宝筐院(嵯峨釈迦堂前) 御朱印:あり
足利義詮と楠木正行の菩提寺で、書院や谷文中の襖絵などが公開されます。

こちらも常時公開寺院で庭園などは期間外でも拝観可能です。受付のお姉さんの応対が正直塩対応で「三脚持ち込み禁止」などの立て札があった記憶があります。


京都古文化保存協会は東福寺の東司破壊事件(2022年10月に国の重要文化財の東福寺のトイレに誤って車を衝突させた)以来「京都古文化破壊協会」と揶揄される状態で、以降非公開寺院の公開が大きく減った感があります。
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高知御朱印巡り④

2024-02-22 | 御朱印めぐり
高知の御朱印巡り、翌日は日曜市から。

日曜市はJR高知駅とはりまや橋の中間付近にある追手筋で毎週日曜日に開かれる街路市で、近郷の農家さんや飲食店など様々なテントが並びます。

農産物ではサツマイモや文旦やミカン、加工品ではユズの果汁(高知ではお酢の代わりに寿司飯に使う)やお茶にこんにゃくなど、あるいは田舎寿司やタコスにパンなどもありますし、その場で食べられるいも天やアイスクリン、串焼きなども人気です。朝6時からで、冬の時期ですと8時頃以降に行くとお店が出揃って楽しめると思います。

この時期ですので文旦を買い、田舎寿司やユズ果汁なども調達しました。楽しんだら戦利品をホテルに預かってもらい御朱印巡りの再開です。


鏡川の対岸にある潮江天満宮に向かいます。

安楽寺のご紹介で出てきた菅原高視が創建した神社です。

高視の元に届けられた道真の遺品を祀ったのが始まりのようです。その後薫的神社のところで出てきた真如寺を造営するにあたり宮地平兵衛が社殿を建立し守り、1902年に大がかりな整備が行われています。坂本龍馬のひいお婆さんが宮地平兵衛の子孫にあたるそうです。

本殿は戦災で焼失し、戦後に再建されたものです。

潮江天満宮の御朱印です。

あと少し時間があるので「とさのさと」へ。

ファーマーズマーケットや県内各地の特産品を集めたお店などが並んでいます。日曜市が開かれない日に高知の特産品を探すのにいいと思います。いも天や鍋焼きラーメンのお店もあります。

荷物を回収したら空港に向かいましょう。はりまや橋のバス停からは20分と近いです。

帰りはフジドリームエアラインズの神戸行きにしました。

FDAはJALのコードシェア便となっており、JAL名義で購入するとJALの搭乗実績としてカウントされます。

FDAの飛行機はJ-AIRと同じエンブラエルです。J-AIRにないE175というE170の胴体延長版が就航しています。

離陸してベルト着用サインが消えたのはほんの数分で、すぐに降下を始めます。明石海峡大橋の上空を通過しそのまま神戸空港に到着です。早かったです。なかなか快適でしたが、神戸-高知線は今年の夏ダイヤではGWとお盆のみ運航されその後休止されることが決まっています。


今回の御朱印情報です。
土佐神社  1種を授与所で授与。オリジナル御朱印帳あり。
善楽寺   限定御朱印含め数種を納経所で授与。
高知八幡宮 1種を社務所で授与。オリジナル御朱印帳あり。
竹林寺   2種を納経所で授与。
安楽寺   1種を納経所で授与。
薫的神社  3種を社務所で授与。
高知大神宮 2種を社務所で授与。必ず御朱印帳を持参のこと。
潮江天満宮 1種を社務所で授与。オリジナル御朱印帳あり。
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