熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

科学技術振興は国家の最大の義務

2012年10月11日 | 学問・文化・芸術
   iPS細胞の山中伸弥京都大教授のノーベル賞受賞に、日本中が湧いており、非常に素晴らしい快挙で、喜ばしい限りである。
   私も、山中教授の講演を聞いたり本を読んだりしたのを、このブログでも書いたので、久しぶりにそれらの記事のヒットの数が激増して、日本中のフィーバーぶりが良く分かる。

   ところで、山中教授の京大iPS研究所や他のiPS細胞関連で政府が予算措置を行ったと言うことが報道されたのだが、スーパー・コンピューターに対して「何故一番でないとダメなのか」と愚問を発した大臣を頂いて、仕分とかと言う蛮刀を振るって文教予算を切りに切った民主党政府のやることだから、信用できないが、10年程度を見越したその程度の資金援助では、不十分だと言うことは、京大研究所のスタッフの90%が、非正規職員で、有期雇用であって先の保障がなく、山中教授が、一番頭を痛めて奔走しているのは、スタッフの生活の安定とその保障だと言うことからも分かることで、手放しでは喜んでは居れない。

   貧困撲滅に精力的に活躍している、アメリカで最も良識的な学者であるジェフリー・サックスが、「世界を救う処方箋 The Price of Civilization」で、政府の最も重要な役割として、教育、特に、科学技術の知識が官民共同で大いに増進されるべき公益であることを認識してサポートすべきであると強調している。
   教育に公的融資が必要であることは、自由市場の有力な推奨者で、政府や公的機関の介入を強力に排除したフリードリヒ・ハイエクとミルトン・フリードマンさえも含めて、アダム・スミス以降の総ての経済学者によって認められれている大原則だと言う。

   地球温暖化で環境が悪化し、自然資源の枯渇が心配され、貧困の増大と格差の拡大で、益々窮地に立つ人類にとって、自由市場経済単独では、問題を解決して、実りある21世紀の知識社会を作り出すことは、到底不可能であり、そのブレイクスルーは、一に、グリーン・イノベーションなど、サステイナブルな地球環境を維持しながら、新しい革新的なイノベーションを生み出して、グローバル社会を変革して行く以外に道はなく、そのためには、科学技術の振興発展が、最も重要であり、かつ、必須であることは、明々白々たる事実である。

   この口絵写真は、ペンシルベニア大学のキャンパスに立つ創立者ベンジャミン・フランクリンの銅像である。
   5~6年前に、MBAで過ごした同校のウォートン・スクールを久しぶりに訪れた時に撮った写真で、2年間暑い日も寒い日も仰ぎ見ていたので非常に懐かしい。
   ところで、iPS細胞でノーベル賞に決まった山中伸弥教授の記事が1面を飾っていたその日の日経朝刊の、根岸英一教授の「私の履歴書」に、ノーベル賞受賞の発端となる勉強を始めたペンシルベニア大での非常に恵まれた留学生活が書かれていたのである。
   私よりも10年ほど前に居られたようだが、根岸教授もキャンパスでこのフランクリン像をご覧になっていた筈で、その後、私がフィラデルフィアに行った時には、秋篠宮妃紀子さまの実父川嶋辰彦教授も、ここで、勉強されていたので、もしかしたら、幼児の頃の紀子さまも、像の前庭の芝生で遊んで居られたのかも知れないと思うと、不思議な思いがしたのである。

   私が言いたいのは、アメリカと言う国は、途轍もなく懐の深い国で、日本人ノーベル賞学者の過半を育ててくれたばかりではなく、惜しみもなく、我々のようなビジネスマンに対しても、正に、グローバル・ビジネスで、何所へでもフリーパスで動けるパスポートとなるMBA教育の場を与えてくれるなど、高度な学問教育を享受する機会を与えてくれていると言うことである。
   衰えたと言えども、今でも、アメリカは、唯一の覇権国家であり、高等教育と知の集積においては、聳え立っており、雲霞の如く世界中の俊英が集っており、切磋琢磨していて、これ以上大切な人類の資産はない筈である。
   成熟した経済大国である日本は、少なくとその資格はあるので、足元程度には近づける、アメリカのように知的立国を目指すべきだと思っている。

   ジェフリー・サックスが言うように、人類にとっては途轍もない貴重なパワーであり、未来を拓くカギではあっても、学問、特に、科学技術は、自由市場経済では、ひ弱な花であり、貴重な公共財として、強力な公共機関のバックアップで大切に保護して育てなければならないと言う鉄則を、今こそ死守しなければならないのだと思う。
   尤も、時には、科学技術は、両刃の剣であって、原子力のように毒にも薬にもなるのだが、それ故に、これをコントロールするために、益々、高邁な精神と高度な識見が、政府公共団体に求められるのである。

   知識情報化産業社会からクリエイティブ時代に突入した今、益々、学問科学芸術等創造的かつ革新的な知が求められており、世界中で、知の争奪戦とも言うべきグローバル競争が、熾烈さを極めている。

   ところで、特許と著作権は、正に、両刃の剣で、一時的な独占・寡占状態が続くと、ブロックされてしまって、それ以上研究が進まなくなったり、イノベーションが止まってしまうなど、弊害が多い。
   市場原理主義で、利益確保を至上命令と考えるアメリカ資本主義に徹したアメリカ企業などは、一刻も早く、特許や著作権を確保しようと必死の戦いを続けている。
   尤も、最近では、オープン・ビジネスやオープン・イノベーションの機会が多くなって、知財を開放する動きもあるのだが、まだ、主流になるには程遠い。

   ところが、山中伸弥教授は、そのブロック状態を避けるために、出来るだけ大切な特許を先取して、研究者や開発者に安くてリーゾナブルな条件で解放しようと決心して、必死になって研究を進めておられる。
   正に見上げた精神で、これこそ、日本人の最も誇りとする日本人魂であり、この精神を国是として推進して、日本が、知の集積によるグローバル知的センターとしての第一歩を踏み出す幕開けにすべきではなかろうか。

   
   脱線ついでに、日本クールと称えられている日本のソフト・パワーの活用について付言しておきたい。
   ジョセフ・ナイ教授は、国力の高揚のためには、ハード・パワーとソフト・パワーの適切なバランスを取ったスマート・パワーの涵養が重要だと言っているが、良かれ悪しかれ、日本は、ハード・パワーの強化に対しては、内外に対して問題があるので、ソフト・パワーの育成強化に傾かざるを得ない。
   ソフト・パワーとは、ウイキペディアをそのまま引用させて頂くと、”ソフト・パワー(Soft Power)とは、国家が軍事力や経済力などの対外的な強制力によらず、その国の有する文化や政治的価値観、政策の魅力などに対する支持や理解、共感を得ることにより、国際社会からの信頼や、発言力を獲得し得る力のことである。”

   私は、欧米で長く生活して来たので、色々な高度な異文化に接しながら、日本の持つソフト・パワーは、歴史的芸術的学問的に考えても、世界最高峰だと思っている。
   しかし、前述した民主党の仕分と言う暴挙によって、芸術文化関連予算が、ずたずたに減額されて、日本の世界に誇るべき珠玉の芸術とも言うべき世界遺産・文楽への公共的補助金を、日本の古典芸能の価値が分からない為政者が、文楽側が公開の場での意見交換を拒否したために、文楽補助金打ち切りを表明するなど、日本人が長い歴史をかけて血と汗で築き上げて来た古典芸能を窮地に追い詰め始めている。
   これこそ、欧米先進国では考えられないような、一種のバンダリズムであって、日本の貴重なソフト・パワーを弱体化させる最たるケースであろう。

   科学技術に対する政府の保護育成については前述したが、文化芸術も、市場原理では律し得ないひ弱な人類の貴重な遺産であって、高度な識見と高邁な英知が育てるべき貴重な人類の財産であることにはかわりはなく、公的保護育成が必須であることを強調して置きたい。
   学者scholarが、ギリシャ語のスコーレ(暇)の暇人から来ていることを考えても、素晴らしい人類の遺産である高度な文化文明、学問芸術、科学技術は、豊かさあって初めて生まれ出るものだと信じているので、金に糸目をつけるべきではないと言うのが私の持論である。
   日本が、国際社会で名誉ある地位を占めたいのなら、世界の知的センターを目指して、更に、価値ある高度なソフト・パワーを涵養することだと思っている。
   
   
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