熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

思い出の雛人形を飾る

2020年02月24日 | 生活随想・趣味
   遅ればせながら、雛人形を出して、居間に飾った。
   思い出深い雛人形ながら、毎年一回の年中行事なのだが、結構大変なので、ついつい、遅れてしまう。
   
   アメリカ留学の後すぐにブラジルのサンパウロへの赴任を終えて帰ってきた年、長女のひな祭りのために、買った雛人形で、もう、40年くらいたつのだが、次女を経て、今、次女の長女、すなわち、わが孫娘のために飾っているので、3代目のお勤めである。
   その後、8年間のヨーロッパ勤務で、会社の施設に預かってもらっていたりしていたのだが、管理が行き届いていた所為もあって、幸いびくともせず、紙類の退化以外は、全く新鮮なままである。

   残念だったのは、この雛人形をヨーロッパに持って行けなかったことで、これには、苦い経験があって、赴任の移転直前の家財搬送の手配を会社の担当者がミスったのか業者がミスったのか、その日になっても業者が来ず、すった転んだのあげくに、深夜に搬送して、むちゃくちゃになってしまったのである。
   その前に、アメリカで2年、ブラジルで4年、海外で仕事をしていて、日本文化を通じてでの欧米人との交流がいかに有効であり大切かを知っていたからである。
   後で振り返って見ても、アムステルダムとロンドンでは、事業の創業から、相当大がかりな仕事をして、ヨーロッパの人々と公私ともに、非常に親密な付き合いをしていたので、日本文化伝承のためにも大いに役立ったのではないかと思っている。
   ドナルド・キーン先生の頃は、イギリス人は、徹底的に日本を馬鹿にしていたようだが、私が仕事をしていた頃は、Japan as No.1の時代で、日本経済も、日本人の海外活動も破竹の勢いで、オランダ人もイギリス人も、好悪を別にして、日本に一目置いて、日本に関心を持ち始めていたのである。
   シェイクスピアの合間に、紫式部や歌舞伎文楽が話題になることも結構あって、私など、自宅に、イギリス人などを招待して会食をすることが結構あったので、客たちは、我が家にある日本のものなどに興味を示して、必然的に話題が、日本の生活や文化などに移ってゆき、結構、日本の話が弾んだのである。
   そんな時に、一ヶ月でも雛人形があれば、かなり、リビングやダイニングが広いので、日本文化についてのレセプションなど何回かは開けたのに、と思っている。

   この人形、浅草橋で買って、新宿から、千葉、そして、鎌倉へと、引っ越しして今に至っている。
   最初は、3LDKの社宅で、狭いところに窮屈な思いをさせていたが、今は、どうにか、のびのびした雰囲気で、孫たちも、雛まつりの歌を歌って楽しんでいる。
   日本の伝統行事として貴重な存在だが、男びな女びなの位置が、明治天皇の洋風儀礼への転換に合わせて、左右ひっくり返ったのは、文化文明の変遷を反映していて面白い。
コメント
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