熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立文楽劇場・・・「良弁杉由来」「傾城恋飛脚」

2018年01月24日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   第二部は、追善及び披露公演とは、直接関係ないのだが、「良弁杉由来」と「傾城恋飛脚」の「新口村の段」と言う非常に意欲的な作品であった。

   特に、「良弁杉由来」は、非常に上演機会が少ない感じで、これまで観たのは、文楽では、8年前の国立小劇場での公演で、良弁が和生、渚の方が文雀、歌舞伎では、12年前の歌舞伎座で、良弁が仁左衛門、渚の方が先代の芝翫、夫々、非常に感動的な舞台であった。
   今回の文楽は、良弁が玉男、渚の方が和生で、二月堂の段の浄瑠璃は、千歳太夫と富助であり、非常に感動的な舞台を紡ぎ出して感動ものである。
   何度も訪れて、東大寺の二月堂下の良弁杉には、お馴染みなので、この場が最後の感動的な幕切れの二月堂の段の舞台だと言うことでもあり、親しみを感じている。

   東大寺の開山・良弁は、近江国の百済氏の出身で、2歳の時に、母親が桑を摘む野良仕事の最中、突然舞い降りて来た鷲にさらわれて、東大寺の二月堂前の杉の木に引っかかっているのを、義淵に助けられて育てられ、高僧となり、全国を流浪して探し続けた母と30年後に、再会したと言う良弁杉由来に基づいた物語で、真偽はともかく、非常に格調の高い感動的な舞台である。
 
   菅丞相を演じれば絶品の仁左衛門が演じると言う良弁僧正であるから、歌舞伎や文楽の中でも、最高峰の高潔な人物像であり、文楽の場合には、初代玉男が、顔の表情も変わらなければ、殆ど動きのない位置づけであるから、人形遣いにとっては、非常に難しいと言っており、独特なキャラクターなのであろうが、強烈な印象を与える。
   特に、かしらは、上人と言う白塗りの超美男子で、この良弁杉由来では、もう少し老成していた方がイメージに合うのだが、正に、安珍清姫の安珍、高野聖の宗朝、横笛と恋に落ちた滝口入道を彷彿とさせるような美しい青年像なので、慈愛に満ちた輝くような姿が、観ていて、実に感動的である。

   尤も、これは、文楽のかしらの話であって、私自身は、これまで、寺院や博物館などで、開基、開山など高僧の仏像や絵画を随分見て来たが、殆どは、かなり個性的な老人像で、美男だと思える像などは全くなかった気がしている。  

   30年を経たある日、二月堂の前に聳える杉の木の梢に貼られた紙を観た良弁が、みすぼらしく落ちぶれた乞食の老女に会って、鷲に攫われた経緯を話す内に、渚の方が、幼子に持たせた如意輪観音像を収めた守り袋を、良弁がその錦の守り袋を取り出して、涙の再会。

   母子の生き別れについては、女の狂いをテーマにした「三井寺」や「百萬」などがあり、女物狂いになって東国まで辿り着いた母が亡き子の墓標に対面する悲しい能「隅田川」などがあるなど、他にも、結構物語になっていてり、恰好のテーマのようで興味深い。

   この「良弁杉由来」の人形については、良弁は、両玉男であり、渚の方は、文雀・和生でなければ、決定版を演出できないような気がする。
   それ程、感動的な素晴らしい舞台なのである。
   それに、二月堂の段は、千歳太夫の義太夫富助の三味線、しみじみとした温かい生きる喜びをも紡ぎ出す熱演。

   傾城恋飛脚の「新口村の段」は、先月、東京の国立劇場で観ている。
   その時は、 亀屋忠兵衛 勘彌 傾城梅川 清十郎 孫右衛門 玉男 であった。
   今回は、孫右衛門が、玉男から、玉也に代わっていて、また、一寸違った感動的な舞台を演出している。
   義太夫は、前は呂勢太夫は同じ(三味線は、燕三から寛治)だが、後は文字久太夫と宗助に代わっていた。
   印象は殆ど変わらなかった。
   
   
   
コメント
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