B面でかせごう!

京都なまりのフランス語通訳
*人見有羽子のポップでキュート*

ソール・ライター 2017年に続いて再びの。

2020-01-24 16:40:47 | アート・文化

一気に書いてますが、インプットしたものが溜まってくると、宿題をためている気がして落ち着かない。

詳しく書くだけの余裕はないですが、とにかくおすすめということで「永遠のソール・ライター」展です。

写真が可能だったのは、このコーナーだけですが、

ライターの彼女だったソームズがとても魅力的で、彼女が描いたこぶりの絵画がいくつか。

展示の仕方も可愛くて、柱時計、鏡など、2人の暮らしを思わせる小道具。

ええなあ。

 

もうちょっと近づいて見ると・・

ライターも高く評価していたソームズの色遣いのセンス。

うん、彼が好きだった画家ボナールやヴュイヤールも描いた、なにげない暮らしのひとこまですね。

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吉野太夫ゆかりの常照寺のつづき

2020-01-24 16:31:24 | ひとりごと

常照寺の朱色の門は、吉野太夫が寄進したもの。吉野門と呼ばれています。

ちょっと色のはげた感じがよろしおすな。

受付のマダムは「みなさん、バスを降りて光悦寺のある西にむかって歩かれるので、東にある常照寺は見過ごされるんです。とくにこのあたりで春の桜はこのお寺だけで、それは素晴らしいですよ」

ということで、4月には吉野太夫を偲んで吉野太夫花供養の道中があるそうな。

ええなあ。

 

常照寺で、ひとり、お抹茶と新春の梅の和菓子。朝早かったので、11時のおやつは、ほとんどパディントンの世界だ。

ほんとうに誰もいなくて、なんという贅沢なひと時。 

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くらくらっとするくらい。

2020-01-24 16:22:54 | 好きなもの

好きなもの。かわいいテキスタイル。

刺繍大好きです。

皆川明さんの展覧会へ。

 

こちら、プリントのものもあれば、機械刺繍を施されたものもあります。機械といっても、皆川さんの手描きデッサンを忠実に再現した、オートクチュールのテキスタイルです。

圧巻です。

ワンピースやらコートやら、みんな生きた木々のように森を構成しています。

若いカップルの男子の方が「あれ、かわいいよね」といって指さすワンピースの方を見ると、わたしにとってはそれほどでもない一点。やっぱり人の好みはそれぞれなんだなあ。

わたしにとって好きな作品は、「あれとあれとあれとあれと・・・」というふうに一瞬にして選べます。

そこにほぼ迷いはない。

幸せな瞬間です。

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遅まきながら冬枯れの鷹峯散策

2020-01-24 16:16:23 | ひとりごと

冬の光悦寺の入り口にあたる小道。紅葉がなくても美しい石畳。

鷹峯三山、このむおうにあるすべての山を写真1枚におさめるのはむつかしいので、手描きのイラストで。

 

その後、源光庵が拝観お休み(長期)でしたので、吉野太夫ゆかりの常照寺へ。日蓮宗のお寺です。

吉野窓とよばれる窓。下の部分が欠けている○は、おのれの未熟さに思いを馳せるためだとか。

なるほど、ですよね。お茶室の壁にあります。

いちど、きちんとした説明つきでブログにアップしたのですが、間違って消してしまった。

その後、力尽きてました。

 

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数字は苦手

2020-01-20 22:22:27 | ひとりごと

今年は確定申告対策として、今月からせっせと経費や請求書を集めて、税理士さんへの提出にそなえてます。

宿題、という感じで準備しないと、いつもぎりぎりか、締め切り越えてしまうのが常。3月中旬は、ここ何年も東北大震災の3月11日で、福島に行ったりなにかと忙しかったから、なおさら。

でも、基本的に数字が死ぬほど苦手。

大学受験までは、なんとか数学ともつきあってきましたが、文学部に入った時点で、これを限りに、数字さん、さよなら〜の人生と思っていたら、今になって、ああ、個人事業者って大変よね、とほほ。

平成の年号と西暦の合致もピンぼけで、う〜ん、平成30年って何年? って、もう西暦に統一しましょうよ。

言葉と違って、数字からは表情が読み取れない。

0が多かろうが少なかろうが、1が7になってようが、数字は「なんか、おかしいよ」とは言ってくれない。漢字だと、ちょっとごまかすと「え、なんか変なことない?」って、アラームを鳴らしてくれる。それで、しぶしぶ辞書やネットで調べるのですが、

数字はねえ。

料理の分量もしかり。

わたしには抽象的で、レシピを見ながら、う〜ん、なんでこれは砂糖大さじ11/2 でお醤油大さじ2?

ガッテンしてないので、毎回、「あれ、なんだっけ?」と記憶がない。

覚えられない。

砂糖大さじ11/3でもええんとちゃうの。とか、無限の選択肢の前に茫然となる。

数字というものに直感が働かないんですね。

 

昨年は自分の年を間違って1才、多く勘定していた。

母の年齢も1才、多く。母さえも気づいていない!

遺伝ですかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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