この夏、永井荷風の『葛飾土産』の文庫本(今年3月に中公文庫から刊行)を『浮沈』(同時期に岩波文庫)に続いて、寝る前や移動中に、ぼちぼち読んでいましたら、
文庫本も後半の「木犀の花」(昭和22年に書かれた随想)に嘉納治五郎が出て来たのでびっくり仰天。
思春期の荷風と嘉納治五郎に接点があったとは、面白すぎる。
はい、嘉納治五郎は、NHK大河の『いだてん』で初めて知りました。
日本の役者さんではダントツに敬愛している役所広司さんが、熱くて愉快な嘉納像を体現されているので、実在人物にも興味を持っていたわけです。
しかも、戦前、東京オリンピック招致で、海外にでかけると嘉納治五郎の人望はけっこう厚くて、IOC委員会のメンバーやムッソリーニから「ジゴロ、ジゴロ」と呼ばれてるのが、デヴィッド・ボウイしか連想しない私たち世代には、Gigolo ジゴロにきこえて非常に面白い。
脱線しましたが、荷風が高等師範学校付属中学校に落第しつつ通っていた頃のこと。
(引用)わたくしが病気の為再度落第をした頃、羽峯先生の論語講義は廃せられ、その教室には突然畳が敷き詰められて柔道の練習場にされてしまった。中学生に柔道を習わせるようになったのは恐らく此時が始めであろう。これには理由があった。
われわれの中学は後年文理科大学と改称された高等師範学校の附属であって、久しく本校師範学校の校長であった高峰先生が引退されて、新に嘉納先生という柔術家が熊本の高等中学校長から転任して来られた。(中略)見れば、その時新任の校長は今までわれわれがこういう時いつも式場で見馴れたフロックコートの洋装ではなく、黒羽二重か何かの紋服に袴をはき、三人の若い門弟らしいい男を従え悠然として講壇に上がった。(引用:pp.195-196 in 中公文庫『葛飾土産』所収「木犀の花」)
役所さんの嘉納治五郎が荷風の前に現れたと想像してみると可笑しい。
でも、荷風は以前かかった病気を口実に毎日1時間の柔道の授業はさぼってたみたい。
さらに愉快なのは、
柔道が始まってから生徒の間にそれまで曽て聞かれた事のない男色の噂が言伝えられ、「賤(しず)の小田巻」と云う男色の伝奇などが読まれるようになった。わざわざ上野の図書館へ行って男色大鑑をよんで来たというものもあった。(後略。引用p.197;同上)
やっぱり荷風の目のつけどころというか、感受性のアンテナはそちらに働くのだな。
多くの学友のように汗を流して柔道に励むかわりに、男子風俗の変遷を興味深く観察していたというのが荷風らしい。
きょう(番組では)嘉納先生はカイロからの帰途、洋上で肺炎で亡くなられました。
無念! もう役所さんのチャーミングな治五郎が見られないなんて・・・。