がんばりすぎて肩こり、そして頭痛。
窓の拭き掃除って、肩をあげて上の方まで拭こうとするでしょ、それでふだん使っていない貧相な肩の筋肉が悲鳴を上げるのです・・・
あああ、明日は小休止かなあ。
がんばりすぎて肩こり、そして頭痛。
窓の拭き掃除って、肩をあげて上の方まで拭こうとするでしょ、それでふだん使っていない貧相な肩の筋肉が悲鳴を上げるのです・・・
あああ、明日は小休止かなあ。
はやばやに実家です。
今年の冬は暖かい、を実感しています。
とはいえ、さすがに目覚めの朝は冷えてます。
窓辺に置いてあったスマホを見ようとお布団の中にひきずりこむと、冷え切っていたスマホに露が浮きます。それだけ寒暖の差が、部屋の冷気と、わたしが潜ってぬくぬくと眠りこけている布団内では大きいということですよね。
内部に露が浮くと大変なので、スマホも布団内に入れていっしょに寝ようか、という感じです。
昨夜のイブには、クリスマスケーキを京都JR伊勢丹の地下で列をして買いましたが、これも、ふだん「ケーキ食べてない」とぼやく母のためでございます。
それにしてもいつまで日本人はクリスマスケーキにこだわるのでしょうか。
罪のない口実として受け継がれていく伝統ですね。
さて、兄家族が帰ってくるまでに、ぼちぼちとまた掃除の日々がつづきます。
ほぼ年内の仕事納めも完了し、さて次は帰省の準備。
といいながら、昨日はふたたび千駄木・団子坂の森鴎外記念館へ。
1月初頭まで開催中の「荷風と鴎外」展の関連イベントで、俳優の今井朋彦氏が『日和下駄』を1時間朗読。
イナルコ(=フランス国立東洋文化言語研究院)でオリガス先生のもとで読解し和仏翻訳に挑んだのが本作。
江戸初期の東京案内である「紫の一もと」からインスピレーションを得たと思われる、十一章仕立ての随筆ですが、鴎外も登場する「崖」や「淫祠」を読んだ記憶があります。
日和下駄ってどうやって訳したか・・覚えていない。
展覧会には荷風が愛用していた蝙蝠傘と日和下駄も展示されていて、あら、これが日和下駄? ふつうの下駄とどう違うのだろう。雨が降っても大丈夫ということで、つま先が爪皮に覆われているのかしら、と思っていたのですが、いたって普通の黒の鼻緒の下駄でした。
当時、東京は湿気ていてぬかるみも多いから便利だそうな。確かに革靴よりは差し歯ぶん高いです。
東京散策随筆『日和下駄』に私がどうも入っていけないのは、東京の町、坂、川の名前に具体的なイメージが湧かないせい。
京都の町名もいわくありげなものばかりなので、荷風に解説してもらいたかったと思いつつ、やはり、幼少時代の記憶につながる土地でないとね。
今朝、テレビ番組で、熊野灘の冬の秋刀魚の丸干し作りが紹介されていましたが、12月のサンマ寿司! は私の幼少時代、熊野の山中での12年間、ほぼ欠かさず登場した食べ物ですから、冬のサンマの美味しさは想像できます。
昨日、離日目前というスイスの男の子とお茶をしましたが、彼にとってはチョコレートなしの生活はあり得ないそうで。
食の記憶、町の記憶はそれぞれ三つ子の魂に刻印されるというわけです。
東京に生まれ育った俳優の今井氏にとっては、朗読した章に登場する数々の地名はやはり小学生の頃の自分にタイムスリップする体験だそうで、そのきびきびとリズム感あふれる朗読は、小学生の男の子の快活な足どりなんだな、と微笑ましく。
たしかに子供の頃、ほぼ毎日片道半時間の通学路がまるで苦痛でなかったのは、子供特有の底知れぬエネルギーと好奇心のおかげだったかな、と思い返しました。
今、田園都市線の駅まで駒沢公園を近道で抜けていますが、脇目もふらずひたすら歩を進めるだけ。せわしない時間との競争。
道ばたの花々にも、路上のアリたちにも目もくれず・・。
年老いて市川に越してからも病に臥すまでは散歩を続けた荷風はやはり永遠の少年のような気がします。
あっというまに日々が過ぎていますが、良いサインです。
つまり、毎日、よく寝ております。8時間マスト。
新作映画さえ観られる余裕。今日は装幀家の菊池信義さんを密着したドキュメンタリー映画『つつんで、ひらいて』。
その前に、「生涯鴎外を敬愛した永井荷風」@森鴎外記念館で、川本三郎さんの講演。
遠足の日、自分の好きなおやつだけを詰めた小学生のリュックみたいな1日でした。
味わう前から楽しくて、聴いて観てるあいだも楽しくて、終わってからも余韻が楽しくて。
仕事に関係のないテーマだからこその解放感。
先日の細野さんの『No smoking』に続いて、自分が好きなものだけぱくついてる日々は幸せです。
「はっぴいえんど」の CDボックスとりだしてきて、夜中にlive 聴いてます。
寝られなかったら、ココアをちょっと入れたホットミルクに、セブンイレブンのずっしりバナナ(=スーパーのバナナは美味しくないことが多くて)を3分の1ほどカットして、食べる。
禁断を破る快感に満ちた反抗的夜食です。
心も体もあたたまります。
細野さんのドキュメンタリー『No smoking』、終わらないうちに銀座まで慌てて観に行きました。
映画関係者との打ち上げでは、やっぱり今年は『ジョーカー』という話で、う・・・ん、観ておかないといけないかな・・と職業的に悩みつつ、絶対、打ちのめされそうだし、心情的には避けたい。
ネットで詳細なストーリーを読んだので、もう、これでいいかしら。
というわけでエピキュリアン的には、ハッピーな作品を観るほうがいい。
それで、細野さん。
細野さんからは、いつも幸せオーラが出ている。
映画の中でも、コンサートを観たばかりのアメリカ人が「ドーパミン出まくり!」と言っていたけど、ほんとにそんな良い気をもらえる人です。
帰ってきて、Hosono Houseを再度、 iPodにアップしました。
ここのところ、そういうハッピー気分についていけなかったので、外してたんですよ。
中島みゆきばかり聴いてましたし。
アサイヤス監督もおっしゃっていましたが、年を重ねると、明るい光の方へ向かいたくなる。
それは健全なこと。
細野さんオーラを浴びた勢いで、西銀座の宝くじ売り場の一番窓口(=最も当たりがよく出る売り場)で、宝くじも買った!
サラリーマンさんたちの退社時刻前だったので、それほど並ばずに(=半時間くらい?日曜はすごい列でした)、ふふふ、当たらない気がしない、などと思いながら(=この強気が大事!)、ささっとカバンにしまいこみました。
というわけで、しばらくはハッピーオーラを浴びながら過ごします。