あかまど(仮)

net初心者で自称ソフト技術者。Gamer属性。netは人の望み?それとも?

かっこいい理系。

2007-02-11 19:50:21 | ことば
Slashdot日本語版で、「超能力研究室閉鎖」というトピックが上がってました。

SlashdotJ: プリンストン大学の超能力研究室が閉鎖

で、実はあんまり読んでないのですが、関連ストーリーにある「エスパー清田 再臨」のコメント群をみててちょっと気分が悪くなりました。
Slashdotって理系の巣窟だと思ってたのですが、何か、違います。何と言うか一言で言えば、科学教の巣窟な感じです。がっかりです。非科学的というか、科学「的」過ぎて非論理的です。

理系っぽい人は、常に「再現不可能な事象は論じるに値しない」とか、「目の前に見えている地面が存在するかどうか確証はない」とか、うっかりすると日常生活に破綻を来たすような、科学的な論理を振り回して欲しいです。
既存の理論で解釈不能な事象に出会ったら、無視するか、思い付きの仮説を持ち出して科学考証するか、いっそSF考証するのが理系です。「常識的に考えてウソだよねー。マグレだよねー」というのは理系的にかっこよくないです。理系はかっこよくあってほしいです。

あるいは、もしかすると、イマドキの世代というか社会は、日常がオカルト(確実に観測されてるけど、解釈しがたい事象)でいっぱいで、常に消化不良でおなかいっぱいなのかもしれません。
常識人ぶる態度も、一歩下がって見ると日常生活との齟齬が激しい、破壊的論理に見えて、かっこよかったりする、そんな世の中なのかもしれません。
30年ぐらい前のオカルト映画で流行った「この科学万能のご時世にそんなことは有り得ない!」みたいな、「一見常識人ぽく振舞いつつも、落ち着いて10秒も考えればあまりに無茶な論理」みたいな、「常識人ぶること自体が理系っぽいネタ」だったりするのかも知れません。

うーん。なるほど。
ネタをネタと見抜けませんでした。やっぱりわたしはまだまだnet初心者です(ちなみにキヨタ氏のトピックは6年ほど前の物です)。


SlashdotJ: プリンストン大学の超能力研究室が閉鎖

Diska

タイトルに関する散文。

2007-02-11 08:52:25 | tech
タイトル。題名。文書にタイトルは必要なのか?まぁ、ミもフタもない言い方をすれば「場合による」なんだろうけど、前々から気になってる。

e-mailで「こんにちは」、「Hello」というタイトル(Subject)のものがある。
ぼくがメールのタイトルに期待するのは、複数メールがあるときの一覧性だ。なので「こんにちは」というタイトルは無意味。メールのタイトルに、なごむことを期待する人も世の中には多分いるんだろう。ケータイ文化だのSNS世代のことは、net初心者のぼくは知らないのでよくわからない。
とはいえ、実際、「ご機嫌いかがですか」みたいな内容のメールだったら、ある意味「こんにちは」でも用は足りるというかある意味正しいんだとは思う。
多分、日常的音声会話の代替とか延長としてメールを使ってる人の場合、「Subject:って何だろう」という壮絶な葛藤があった時期があって、それを乗り越えた結果、「何も書かないよりはよかろう」とか、「旧態依然としたシステムに付き合ってやるか」とか、そんな気持ちでSubjectに「こんにちは」と書いてるんだろうと言うのは想像がつかないこともない。

Wikiだとタイトルは命だ。実装次第とか運用次第と言えばそうだけど、WikiWordだURLを決定するのがWikiの生命線。名前の付け方が、そのエントリが活きるかどうかと直結している。とはいえ、日本語だとURLの扱いがブラウザでまちまちだったりで、日本語のWikiではなんかどうでもいい感じではある。WikiWordという概念自体ない感じだし。

ファイル名は必要なのか。メモを書き散らしてて、ファイル名を思いつかなくて悩むことは昔からあったはず。Appleの「名称未設定」というデフォルトファイル名は大発明だとか思ったこともある。ファイル名が必須かといえば、あれば便利なことが多くはあるけど、なくてもぼくがコンピュータ使うような用事の範囲ではgrepなり何なりで大体事足りる(根性なしなのでもっぱら秀丸のgrep)。Windowsのことはよく知らないけどMSオスミツキなソフトなら全文検索もやってくれてたような気がする。検索掛からないようなソフトを使った上にgrepも使えない上にろくな文書タイトル付けないのは、80年台のフロッピーベースワープロとか、墨と硯で文通な世界にいるようなものだ。それも優雅でよし。世界にはアクセス可能な情報は多すぎるし。

バランスの悪い散文終わり。

KimI