私は飲みが好きか嫌いかと言うと、嫌いな方に入る。
まずアルコールを飲まないし、金と時間の無駄な上に、タバコの煙が必ずついてまわって肺が痛くなることもあるからだ。
そして「飲みニケーション」と言うくらいには、相手のことは分かってチームワークも良くなるのだが、しかし長期的には自分に全く返ってこない。
私が飲みに出席するのは、欠席した場合、人としての礼儀に欠けると言う意味合いから出席している。
そしてそういう場では、なるべく自分の話をしないようにし、周囲の人に「ここが良かったね、あれが良かったね」と言って楽しい場にしようと努めている(それができているかどうかは分からないけれども・・・)。
じゃあ、それを踏まえて一般論として飲み会に出るべきか否か、と言うことなのだが、それは性格のいい人の集まりだったら、極力出席した方がいい。
人間は、社会での関係性構築をすると、喜びを見出すようにできている。友達が多いと幸せそうに見えるあれだ。
個人的意見になるが、ここでは友達を多く作れ、と言うことではなく、他の人に自分を認識してもらうのと、自分が他の人を認識するということに、人間としての喜びが発生し、人間の喜びにはそれが根底にあると言うことになると私は思っている。だから、意味がないように見えても出席をすべきだということなのである。
また功利的に見れば、自分が知らない話題、例えば、最近の技術はどうだとか、今の世間の概況はどうだとかという話題がポンポンと出るので、世間を知るための情報収集ができるというのも利点の一つである。
あるいは料理だけ見るのもいい。自分が知らない料理をできるだけ食べることで、「こういう調理法があったのか」と感銘を受けることもあるし、今まで自分がやってこなかった新しい料理のレパートリーを増やすチャンスになるかもしれない。
冒頭にあげた飲みニケーションの功利点も外すことができない。
仕事で打ち解けて、くだけて表現したり意志疎通するのはなかなかハードルが高いから、飲み会を設けることでそれをやわらげることができる緩衝材になるのだ。
私が願うには、できればチーム形成の一環として、そういうのを会社側がセッティングし、会社の金で平日昼間にやるべきだとは思うのである。
まずアルコールを飲まないし、金と時間の無駄な上に、タバコの煙が必ずついてまわって肺が痛くなることもあるからだ。
そして「飲みニケーション」と言うくらいには、相手のことは分かってチームワークも良くなるのだが、しかし長期的には自分に全く返ってこない。
私が飲みに出席するのは、欠席した場合、人としての礼儀に欠けると言う意味合いから出席している。
そしてそういう場では、なるべく自分の話をしないようにし、周囲の人に「ここが良かったね、あれが良かったね」と言って楽しい場にしようと努めている(それができているかどうかは分からないけれども・・・)。
じゃあ、それを踏まえて一般論として飲み会に出るべきか否か、と言うことなのだが、それは性格のいい人の集まりだったら、極力出席した方がいい。
人間は、社会での関係性構築をすると、喜びを見出すようにできている。友達が多いと幸せそうに見えるあれだ。
個人的意見になるが、ここでは友達を多く作れ、と言うことではなく、他の人に自分を認識してもらうのと、自分が他の人を認識するということに、人間としての喜びが発生し、人間の喜びにはそれが根底にあると言うことになると私は思っている。だから、意味がないように見えても出席をすべきだということなのである。
また功利的に見れば、自分が知らない話題、例えば、最近の技術はどうだとか、今の世間の概況はどうだとかという話題がポンポンと出るので、世間を知るための情報収集ができるというのも利点の一つである。
あるいは料理だけ見るのもいい。自分が知らない料理をできるだけ食べることで、「こういう調理法があったのか」と感銘を受けることもあるし、今まで自分がやってこなかった新しい料理のレパートリーを増やすチャンスになるかもしれない。
冒頭にあげた飲みニケーションの功利点も外すことができない。
仕事で打ち解けて、くだけて表現したり意志疎通するのはなかなかハードルが高いから、飲み会を設けることでそれをやわらげることができる緩衝材になるのだ。
私が願うには、できればチーム形成の一環として、そういうのを会社側がセッティングし、会社の金で平日昼間にやるべきだとは思うのである。
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