都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

墓参団と宴会

1992-10-08 | ロシア  

1992.10.8(Thu) Vladivostok

 バスでウラジオストクホテルへ向かう。今日の昼食は先の墓参団の人達と一緒にとることになっていた。彼らが日本に帰るのでお別れパーティーをするという。豪華な食事で楽しい宴になるからついでに一緒に食べに来いというのだ。これだからロシアはよくわからない。どうしてそんな合わせ技になるのか、不思議な国である。

 私たちは14:30前にホテルに着いたが、件の墓参団はまだベリョースカで買い漁っているらしく、なかなか到着しない。(日露友好)平和委員会から招かれたという体になっているためか、人数が多いせいか、墓参団の方が優先されるようで、彼らが到着するまではレストランに入ることさえもできなかった。仕方なく私たちは14:30に一時解散し、それぞれ散歩をして到着を待ったが、彼らはいつまでたってもやってこない。昼食が15時になっても食べられないのはつらい。腹が減って、添乗員ともども腹が立ったので、レストランと交渉して先に食べ始めてしまう。

 15:00頃になってようやく墓参団が到着。正式に宴会が始まり、私たちはここぞとばかりがつがつ食べる。F氏はVodkaを飲んで早速赤鬼化する。

ウラジオストクホテルにて  Google Map

 途中で黒い制服姿で勲章を沢山つけたおばちゃんがぞろぞろと多数入ってきた。僕らがナンダナンダと思っている間に、おばちゃんたちは整列してテーブルを取り囲み、合唱を始めてしまった。歌はロシア民謡のオンパレード。カチューシャにカリンカ、赤いサラファンなどなど。ついでに日本の桜を歌ったりしてサービスバッチリなのだが、恰幅のいいおばちゃんたちが席の後ろから大きな声を張り上げてくれると、僕らは何だか食べづらい感じになってしまい、複雑な笑いを浮かべながら小さくなってしまうのだった。聞くところによると、おばちゃんたちは第二次大戦以来唄い続けてきたとかで、数々の場面で唄ったことを勲章が物語っているのだった。

合唱団に囲まれて食べる

 日本の歌をいくつか歌ってくれたので、何故そのような曲を知っているのかと尋ねてみたところ、ダークダックスがやって来て歌ってるからということだった。それを聴いた私が「そうそう、彼らはロシアに何十回も行ってあちこちで歌ってたんだっけなぁ。」と言ったところ、「何故そんなこと知ってるーっ!」とまたしても言われてしまった。知ってたんだからしかたないのだ・・・。

 盛り上がって来ると、コサックダンス調のロシアンダンスも始まり、こちらとしても日露友好ということで、調子を合わせて盛り上がらざるを得ない状況になってしまった。で、ダンサーの女性とS氏が一緒に踊ってしまったり、K氏がみんなと一緒に跳ねてしまったりでもう大変さ!、の世界になって行ったのだった。

 18:00 狂乱?の宴会は日露友好万歳!!ということでようやく幕となった。いやはや・・・。

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