都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

バスで市内観光 1

1992-10-13 | ロシア  

1992.10.13(Tue) Moscow

 14:30、ロシアホテルにて昼食。まだ朝食から2~3時間しかたっていない。飛行機の関係で全ての予定が狂ったので、クレムリン観光も超特急だった。モスクワは広いのでバスで連れてってもらうのが便利そうだが、この先どうなるか全く見当がつかない。またShoppingなどの自由行動が出来るかも不明だった。といっても、こんなに大きな街でいきなり放り出されても困ってしまうから、とりあえずバスツアーに頼る他なさそうだ。

 ガイドのユラ氏はエラク日本語がうまい。しかしホテルのレストランのテーブル係のおばちゃんとつるんでいて、キャビアの缶詰を買うことを頻りに薦める。

 キャビアは乱獲も問題になっているそうで、正規のところで買わないと出国時に税関がうるさい。しかしあまりに彼等がうるさいのでO氏が少しだけ買って収拾をつける。こういう場合、横流し品で正規のものが高くなっているか、安いと思っても、偽物もしくは粗悪品をつかまされるかどちらかだという。O氏のものは値段は普通より少し高めだったが、少し汚い以外は本物で横流し品のようだった。

 日本語が上手く、テキパキしてるので、最初はユラ氏に対する僕等の評価は高かったのだが、この一件で評価は急落してしまった。そこら辺のイメージが後々どういう結果をもたらすか、彼等はまだあまり考えていないらしい。

 15:30 バスで市内観光することになる。今度はターニャさんという女性が案内してくれる。ターニャさんは日本語はそれほどうまくない。学校に勤める公務員だという。

 ユラ氏が、とにかく君らは細かいことを気にせず俺に付いてくればOKだという、ちょっと詐欺師っぽい雰囲気を漂わせているのと比べると、こちらは極めて真面目というか失礼ながらバカ正直な感じの人だ。でもこの時我々は、感じのいい人だなーと好感を持ったのだった。

 公務員の給料は安い。インフレが続くロシアではその給料だけでは全く生活できない。そこで仕事の合間にこのようなアルバイトをしているという。大変なことだが、公務員が仕事の合間にバイトが出来るというのも不思議な状態だ。


Google Map

 バスから市内中心部の街並みを見る。モスクワでは、集合住宅の平均的規模がウラジオのそれより大きい。ウラジオでは5階建て程度までだが、モスクワでは9階建て程度のものが道沿いにズラッと並ぶ。

Google Map

 寺院、工場、劇場などが次々に車窓に現れる。ウラジオならバスを降りて一つ一つ見るところだが、モスクワではこの程度は当たり前で、観光地はもっとあるし街も広いので、ここらへんはどんどん通り過ぎる。そこら辺、やはりモスクワはロシアの首都、ウラジオやハバロフスクは極東(Far East)の地方都市(田舎町)なのだなあと実感する。

 遠くに塔状の建物も霞んで見える。モスクワにはスターリン時代に、7つの塔状の高層建築が市内各所に造られたが、どうやらその一つが見えているようだ。滞在中に是非近くまで行って見てみたい建物だ。

ボリショイ劇場   Google Map

 バス車中から市内の著名な建物を見る。ボリショイ劇場はやはり立派だ。1992年当時はまだヨーロッパに行ったことがなく、本場の劇場を見たことがなかったので何とも言えなかったが、日本のいわゆる文化会館に比べると、遙かに壮麗な建物であるのは一見して判る。著名な建物は全体が良く見えるように広場に面して建てられているようだ。周辺の空間を従えて、迫力のある景色が創られている。

旧KGB   Google Map

 別の広場には旧KGB(秘密警察)の建物が威容を見せていた。黒く重々しい石造ベースの2Fに、黄と茶の上階が載る9F建てで、左右対称で権威的で堂々とした構えの建物だ。

 広場には銅像の台座がそびえるが、そこに像は載っていない(写真右手)。ここには旧KGBの創設者であるジェルジンスキーの像があったというが、民主化の流れの中でKGBの役割も変わり、ジェルジンスキーは悪者に変わり、像は台座を残して撤去されたということだ。ここでもスターリン様式同様、時代の変化による街並みの変貌を見せられることになった。

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