都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

Field 調査 アレウツスカヤ通り1

1992-10-07 | ロシア  

1992.10.7(Wed) Vladivostok ウラジオストク第3日

 8:30 起床。のどが痛い。風邪をひいたか?。朝はやはり寒い。集中暖房なので、自分でコントロールすることはできない。暖房は入れないのかと尋ねたところ、10月はまだ暖房を使う季節ではないとのこと。そのへんの感覚は日本人とは全く異なる。お湯に関しても集中的な供給体制になっている。お湯が出ないのはウラジオ市の熱供給施設が本格的な冬を前にしてメンテナンスを行っているためだという。1ヶ月間お湯が出ないというのも結構すごいことだ。あ〜あ。

 9:00 朝食。だいぶんロシア食にも慣れてきた。風邪で鼻が馬鹿になると、やたら酸っぱいサラダなど、やや苦手な食べ物でもあまり気にせずに食べられるようになってくる。

ウラジオストク駅構内  Google Map

 10:00 フィールド調査へ向かう。20分後、中央広場でバスを降りて、各調査班はそれぞれ通りへ向かった。私もO氏とアレウツスカヤ通りを南の方から調査するべく行動を開始する。最初に駅へ行く。中央広場から見える長い跨線橋を渡って線路を越え、駅の表側へ出る。

郵便局  Google Map

 O氏は駅前の郵便局で絵葉書を出す。全部で4枚、これで60RB.=24円。全く安い。郵便局の内部は、一昔前の日本の郵便局の様に殺風景で、役所然としている。事務員の応対も何だかつっけんどんで、お世辞にも心地よいとは言えない。しかしこれからはこういうのも少しずつ変わるのかなと期待を持っておくことにする。

アレウツスカヤ(Алеутская・Aleutskaya)通りにて
Google Map
木造2階、下見板張りの古い建物(1920年代以前)。
通りには日本車も多い。

 駅近くの中心部にも木造下見板張りの2階建ての古い建物がある。レンガの煙突があるので、どうやら暖炉で暖房をするようだ。

 秋の日差しは日中だというのに何だかとても頼りない。駅から歴史博物館や美術館のあたりまでの間は、午前中は日陰ができ、また駅周辺なので、どうも溜った雰囲気がある。朝鮮系の人が声をかけて来る。どうやら取り引きらしいのだが、良くわからない。話が通じないとみると、「ニッポニア?」と訊いて来る。そうだとわかるとチェッと一言二言吐き捨てて立ち去っていく。なんだか極めて不愉快な場面だ。ロシア人も物陰に隠れてこそこそ何かやっている。様子がおかしい。ちょっと危ない空気を感じて僕らもそこを離れる。因みに後年、この近辺ではベトナム人が増加したとのことだ。外国人では、朝鮮系、中国系、ベトナム系と、やはり旧東側系の人々が多い。

 道を渡ろうとするが車が多くてなかなか渡れない。道路中央にある市電の軌道のあたりに立ち止まってしまうと、その内に電車がやって来てしまい、慌てて反対側まで無理矢理渡ってたどり着くことになる。O氏は歩幅×歩数で道幅を測ろうとしてやはり道路中央で立ち往生したが、歩みを変えることなく最後まで渡り切ることに成功した。しかしこのような行為をそうそう何ヶ所でもやれる訳ではないので、この測量はここ一ヶ所にとどめることにした。道のずっと先を見ても大して道幅が変わっていなさそうなので別に構わないだろう。

沿海地方美術館(1899〜1903に完成)
後方は沿海州共産党本部ビル

 沿海地方美術館の脇の路地の坂で、トラックが荷台からじゃがいもを落としてしまい、大量のじゃがいもが坂をごろごろ転がっていき、運転手が慌ててそれを追いかけていた。坂道に止まったトラックの荷台のストッパーが外れてしまったのだろうが、日本ではトラックの荷台に直接芋を積むこと自体がまずないので、こんな絵に描いたような珍事は起こらない。しかし今考えてみるとこのような場面こそがいわゆる「決定的瞬間」なのかもしれない。その時すかさず写真を撮っておけば、かなり印象深いものになっただろう。でもその時はただひたすらに「あーっ、落ちちゃった!」であって、またその次の瞬間には、拾ってあげたいのはやまやまだけど、言葉通じないからなぁ、であって、写真を撮るなんてことは全く考えなかったのだった。

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#街並み 海外  #鉄道  #郵便局 
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