1992.10.6(Tue) Vladivostok
20:30 いちど部屋に戻ってから外に水汲みに出かける。
昼から既にそうだったのだが、今日はトイレその他の湯水が一切出なかった。つまり断水である。半日、野外の道路上で写真を撮ったりして埃だらけになっているので、風呂に入りたいところだったが、水が出ないのではいかんせんどうしようもなく、仕方なく風呂はあきらめる。歯磨き、洗顔もできないが、トイレだけは何とかしなくてはならない。そこで外の井戸へ水を汲みに行くことになった。
このような状況に対応すべく、S氏はグム百貨店に立ち寄った折にプラスチック製のバケツをいくつか買ってきていた。しかしそれだけでは各部屋3人のトイレのために備える水としては全然足りないので、僕らは部屋にあった花瓶などを手当たり次第に持って寮を出た。外は街灯もほとんどなくかなり暗い。懐中電灯で足下を照らしながら寮の前の道を少し上り、道の反対側の住宅地の中を数十m歩くと、目指す井戸があった。
手押しポンプで水を汲み、また寮に帰る。街灯もなく暗い中、路面がガタガタになった歩道を、片手に懐中電灯を持ち、もう一方の手にバケツを持って、水をこぼさぬようにゆっくり歩いて帰る。必要に迫られて手押しポンプの井戸を利用したのは、正直なところこれが初めてだった。まったくロシアくんだりまで来て不思議な体験をするものだ。
しかしよく考えてみると、ロシアだからこそ、このような体験をすることになったのかもしれない。まぁそこらへん何事も面白い体験ということで納得しようかなと私などは思っていた。だが、同行者のなかには、お金を払ってちゃんと旅行してるのに水汲みとはねぇ、と憮然としている者もいた。それもそうだとも思う。普通ならサービスが行き届かなかったということで、陳謝されて、お代はいただきませんという状況なのであるなと、改めて自分の置かれている状況を理解したりもした。ロシアだからしょうがない等と言っていると、いつまでも甘んじてしまうのかもしれないなぁとも思う。そろそろそこらへんの考え方も改めて貰わねばならんのだろうなぁと、やや複雑な気分になるのだった。
21:00 ようやく水汲みも終了し、就寝前のひととき、しばし部屋で休息を取ることにする。今日も一日よくあちこち動いて活動した。そこで忘れない内に今日のフィールド調査の結果を整理しておく。どこをどう歩いて、どこで何番のフィルムで誰がどう写真を撮ったか等ということを青焼きの地図に書き込み、ノートに補足説明をし、4年生の2人に教えてあげるという作業だ。後輩はヒアリングをしたりもしなければならないので、僕らに比べると路上調査は少ない。だからできるだけ分かりやすく教えてあげなければならないかなぁと思い、細かく報告してあげる。
宿泊していたウラジオ技術大学ドミトリー・3人部屋の見取り図
24:00 日記をつけてから就寝。今日も疲れた。深く沈み込むベッドで、翌朝、またまた背中が丸まってしまって辛いとはわかっていたが、疲れて朝まで全く目覚めないのだった。
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