都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

沿海州都市計画研究所

1992-10-05 | ロシア  

 15時、ウラジオ中心部にある沿海州都市計画研究所に到着。所長のユーリ氏(Yuriy.V.Smolyaninov)に会い、ヒアリング。

沿海州都市計画研究所が入居する建物  Google Map

 まず前回、研究室の先輩が訪問した際に頂戴したウラジオの昔の写真について質問する。絵葉書は1915年頃のものが多く、ウラジオが自由都市で多くの人種の人々が住んでいたときに撮られたものだという。従って絵葉書には4種類の言語で写真の説明が付けられている。そしてこれらはこの事務所が1970年頃から収集したものだという。また港のパノラマ写真については、5年ほど前に撮られたものだという。

 この他、建築関連の法律について、歴史的建造物の保存についても話を聞いたが、いまひとつ理解して貰えない状況で参った。しかも先方の事務所長氏は、自らの最近の設計事例の載ったカタログを見せて、資金があればこのようなプロジェクトができるので合弁企業を作らないか、と持ちかけて来る始末で、あまり歴史的建物の保存などには興味がないようだった。

 日本の場合、戦災もあり、また戦後、急速に建築や街並みが変化したので、築百年以上の建物は珍しい。それに木造建築は比較的速く朽ちるので、80年も経つと文化財的に認識されがちだ。だが一般に、ヨーロッパ圏の都市の旧市街には築200年程度の建物がごろごろあり、「古い」という物差しが全然違うようだ。築100年ぐらいの建物は大して古くないじゃんみたいな感じ。こちらは、ウラジオに80年前とほとんど同じ街並みが残っていることを貴重だと思うが、もっと古いのが多いので、これはまだ文化財じゃない、という感じ。

 また、私達がロシアを訪問したのは、ちょうどソビエトが崩壊して新生ロシアが誕生した直後で、それまでの考え方が急激に変化していた時期だった。あまりにもいろいろなことが激しく変化しつつあったので、歴史的建造物の保存などについて配慮できるような状況ではなかったのかもしれない。

 外国人に対するヒアリングは非常にまどろっこしい。しかも今回は、ロシア語と日本語を、専門用語も含めてダイレクトに通訳できる人が用意できず、仕方なく一度英語を介したりしたため、エラク厄介なことになった。

 日本語で質問をすると添乗員のS氏がロシア語に訳すが、建築や都市計画に関する適切な言い回しができないため、先方がすぐには理解してくれない。仕方がないので英語で補足するが、先方もこちらも英語に堪能ではないので、これもなかなか伝わらない。でもって、探り探りようやく伝わったところで、今度は質問に対する見解が返ってくるが、これもよく分からなかったりする。伝わったのかと思ったら、やっぱり伝わってなかった・・・、みたいな徒労感満載のインタビューなのだ。また、答えが単にダー(Yes)とかニェット(No)だけだったりして、時間が掛かったのにそれだけかよ・・・、みたいなこともある。
 時間が異常に掛かる上に、わかりにくくてしかもつまらないやりとりを聴いていたら、眠くなってしまって全く参った。

 更に、通訳をかってでてくれた現地の男性が、日本語を話す際、必ず「あのですねぇ」とか「そのですねぇ」を最初に言うのが可笑しくなってしまい、話の内容がまるで頭に入ってこなかった。連続して「あのですねぇそのですねぇ」と一生懸命話してるのは、失礼ながら爆笑もので、以後しばらく私たちの間ではその口真似が流行ってしまった。

 ヒアリングの後、都市計画部の事務スペースを見せて貰う。圧倒的に女の人が多い。賃金が安いため、このような職場には女性が勤めるのだそうだ。それから男性は頭脳労働が多く、女性は単純作業もしくは肉体労働が多いという。そこら辺も妙な差別感覚だ。だから市電の運転手に女性が多かったりする。

 事務室には“つた”が室内中に這っていて、なかなか環境的には良いようだ。写真を撮っていたらBirthday Cardをなぜかくれた。事務所の片隅にあった都市計画の模型を見せて貰う。山の上に高い建物を造るという都市計画は西欧型のものだろうか。高台に超高層ビルが建ち、金角湾には吊り橋が掛かっているという、結構壮大なプランだ。確かに地形から見ても、湾の両側をつなぎたいという願いはとても良く理解できるが、はっきり言って、今、ウラジオにそんな資金的能力があるかどうかはなはだ疑問だ。凄い大風呂敷だなぁと思ったが、そこで、はたと、先程の所長の合弁持ちかけの態度も理解できたのでありました。海外からの投資大歓迎ということなのだな。

 17:00、事務所を出て建物の前で記念撮影。

市内を走るトラム

 前の通りには市電が走っている。ウラジオでは2輌連結でいくつかの種類の車体が走り回っている。何故かは良くわからないが、市電というのは何だか夢のある乗り物のような気がいつもする。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#オフィス  #鉄道 

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