丸の内に行ったついでに皇居二重橋前に久しぶりに行ってみた。
Photo 2006.2.4
ここから望む皇居の風景には変化がない、というか変化があったら大問題で大騒ぎだ。例えば上の写真の正面奥にひょっこりと超高層ビルが見えてしまうような事態は、さすがに誰もが認めないだろう。石橋と鉄橋が架けられて以降、変わらぬ風景。変わらないことが安心とか信頼、ひいては信仰のようなものを生むんだなと、改めて確認。
でもって、そこから目を転じて振り返ると・・・。
ここ十数年のうちに様変わりした景観が目に入ってくる。
Photo 2006.2.4 皇居二重橋前より丸の内のパノラマ
Photo 1991.10.13 皇居二重橋前より丸の内・15年前のパノラマ
(二点ともクリックすると拡大します)
残念ながらこれ以前の同所からのパノラマ写真は撮っていないが、この15年だけを比べても丸の内界隈には超高層ビルが増え、白砂青松の景観の背景が大きく変貌していることが判る。大きく目立って見えるものだけでも、新たに丸ビル、丸ノ内My Plaza、DNタワー21などが建設された。最近でも三菱商事ビル(114m)がほぼ完成、新丸ビルは丸の内では最も高い197mで建設中、更に東京駅の八重洲口側では、200m超の超高層オフィス二棟の建設が始まっている。
丸の内から大手町にかけてのエリアでは、この15年ほどの間に、十数棟の建て替えが行われ、二重橋前からの景観は松の向こう側に超高層ビルが林立するものに変わった。こうして写真を見比べてみると、特に東京駅に近い丸の内2丁目近辺に新規に建設されたビル群が、山のように景色の背後に建ち並び、街のスカイライン景観をかなり変化させていることに気づく。
1991年時点では煉瓦色の東京海上ビル(1974年竣工・写真左方)が目立っていたが、今では周辺のビル群の中に呑み込まれ、あまり目立たなくなっている。東京海上ビルは建設時には丸の内界隈で最も高く、丸の内景観論争で皇居周辺の美観論争の対象となった建物。論争の結果、当初設計より若干低くし、100mをわずかに切る軒高で建設された経緯を持つが、150mを超えるビルが周辺にどんどん建つ有様を見ると、その当時の議論は一体何だったのかと思う。結果的に、東京海上ビルは丸の内の超高層化への扉を開けることになったのかも知れない。そして今後数年内に、丸の内マンハッタン計画で描かれていた、高さ180m程度の建物が林立する景色が出来上がる。
皇居前には海外からも多くの観光客がやってくる。外国人はそこで、お濠と橋の向こうに、皇居という立ち入ることができない空白のような中心があり、それが東京・日本の中で強い求心力を発していることに興味を覚えるという。二重橋の写真の風景に「Japan」を見るわけだ。彼等が皇居を見た後、振り向いて見る風景は、皇居と同じように日本を代表する景色になるだろうか?
そもそも日本の中心の東京の、そのまた中心の丸の内の美観ってどんなものなんだろう?
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