都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

カトリック教会と新興住宅地

1992-10-11 | ロシア  

1992.10.11(Sun) Vladivostok

 バスでまた少し東へ行き、山側へ入っていく。さあ今度こそはロシア正教の教会か?と思うが、見えてきたのはカトリック教会。しかし何回か写真で見たような記憶もある教会だ。

古いカトリック教会   Google Map

 レンガで出来た赤い教会。それにしてもウラジオにはレンガ建築が多い。ほとんど全てといって良い。木造の住宅は街中に老朽化したものが数軒と、郊外の農家などだけだ。やはり寒いのと火事の心配からだろう。ただ石造は多くない。レンガに比べてコストが掛かるせいかもしれない。レンガ造で、表面をモルタル、ペンキで塗り固めたものが多く、明るいパステルカラーの建物が目立つ。ヨーロッパの石造建築に比べると安っぽくてちゃちな感じも否めない。極東のヨーロッパとして美しい様式建築を並べようとしたが、力及ばずという感じかもしれない。

 教会の中には入れなかったが。シックで感じの良い建物だった。ただこの教会には十字架は取り付けられていなかった。この街というかロシアでは、旧ソビエト時代の宗教排除により、まだ多くの教会建物のクロスは取り外されたままだ。今は宗教ブームで、ロシア正教も復活し人気を集めているといい、ウラジオでも教会再興の動きがあるようだ。しかしここはまだ人影もなくひっそりしていた。

 2013年になって改めてネットで情報を検索したところ、修復されて双塔が復活した教会の写真がPanoramioに掲載されていた。また、観光案内らしきページには教会の由来や近年の経緯が書かれていた。例によってロシア語がわからんので、ネット翻訳をした。およそ分かったのは以下のこと。

 20世紀初頭、ウラジオへの移住民には多くのポーランド人がいた。このため1912年にカトリック教会の建設が始められ、1921年に東ヨーロッパのゴシックスタイルの教会堂が完成した。しかし、ソビエト連邦の成立と共にロシア正教だけでなくカトリック教会も同様に弾圧され、1935年に教会は閉鎖。その後は完全に廃墟となっていた。
 しかしペレストロイカに伴い宗教弾圧が弱まり、90年代初頭に建物はカトリックに引き渡された。1992年にアメリカから牧師が着任して教会の活動が復活、その後、アメリカのカトリック教徒の支援によりステンドグラスや双塔が復活し、オルガンも設置されたという。

 


 

 丘の上の土地は景色がよい。日本だったら人気の場所になるのだが、坂がきついのと水が不便であるという理由で、ウラジオではあまり裕福ではない階層の人々がひっそり住んでいるようだった。いつかTVで見た「黒いオルフェ」のように、貧しい人々の小屋が山の中腹に点々と並ぶ。このエリアは舗装もされていない。井戸までバケツで水を汲みに行く生活がここでは続いている。午後の日を浴びながら、老婆がゆっくりと坂を上っていく。哀しみの色彩を帯びた風景だ。

新興住宅地   Google Map
Panoramio掲載の写真:Photo of 3-я Рабочая

 バスはこの地区を更に山の方へ上る。狭い山道をガタガタと10km/h程度でようやく上りきると、次の谷へと抜ける。峠から谷間が見下ろしたとき、一瞬ロシア正教の教会が見える。しかし無情にもバスは山の裏側へ回ってしまう。後でわかったのだが、そのまま谷へ降りられないので裏へ回ったらしい。山の裏側からは沢山のアパート群が見える。生半可な数ではない、ものすごい量のアパートが建設中だった。元の山の姿がほとんどわからなくなってしまうのではないかという危惧を抱いてしまう。そしてこれも皆、RCパネルもしくはレンガ造であるから恐れ入る。こんなに一度に建設したら、また水や電気、熱供給が不足して生活に困るのではないかと心配になる。

 山を一回りして再度スヴェトランスカヤ通りに出て、とある坂道を上る。坂の入口では、花嫁が結婚式を終えて車に乗って、満面の笑顔で今まさにどこかに行かんとするところだった。問題の多い国だが、庶民の生活の端々には、幸せそうな表情も垣間見られるのだった。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#新しい建物 海外  #古い建物 海外  #教会  #住宅系 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 寺院と眺望点を巡るバスツアー | トップ | ロシア正教の教会 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿