玉津島 見れども飽かず いかにして
包み持ち行かむ 見ぬ人のため
と言うわけだ。
冒頭の、玉津島、と言うのは、和歌山県にある、風光明媚なところらしく。
和歌の浦、にあると言う。
そもそも、和歌山県の、和歌も、聖武天皇がゴッドファーザーのようで。
玉津島神社のご祭神は、お三方のようだけど、そこへプラスするに、明光浦霊(あかのうらのみたま)とある。
あかのうら、が、わかのうら、に転訛したんだろうね。
明るい光のさすところかね。
それはともかく、上記、和歌の、包みもち行かむ、と言う語句が、なんともいわく言いがたい。
何年か前に、琵琶湖、湖東三山の紅葉に出会った時に、紅葉狩り、と言う言葉は、こんな時に使うのか。
なんて気分になるくらいの、見事な紅葉を目の当たりにしているんだけど。
それと似たものがあるな、たぶん。
どうしたら、この素晴らしい眺めを伝えることができるものか、と言うね。
でも、伝えきれない、だって、持ち帰ることはできないんだもの、と言う慨嘆。
文学者のような生物学者、福岡伸一さんが、言ってるらしい、芸術は、と。
複製されると命の輝きが失われる。
コピーできない、絶対的なものとしてそこにある、とでも言えるか。
その福岡さん、NHKのEテレで、坂本龍一と対談したらしく。
そこで、また坂本龍一も、音の本質は予測不可能性と一回性、なんてこと、言ってるらしく。
思わず、NHKのアーカイブス、月額980円也、っての、登録しちゃおうかな、なんて気にもなったり、ね。
しなかったけど。
なんてことが、玉津島に連なる感懐として、わが身に起こったわけだ。
それにしても、万葉集ってのは、なん年くらい前になるのか。
2000年はいかないか。
何れにしても、そんな昔、わがご先祖様がたも、これ、わかるかな、わかんねぇだろうな、なんて言うくらいの。
風景を、味わっていたんだよね。
くだんの坂本龍一は、私たちは、宇宙のノイズの中へ入っていく、内部観察者であるべきだ。
とも、言ってるらしく。
さらに、宇宙の本質は、混沌でありノイズであり、なんてことも。
この辺りまで来ると、教授、と呼ばれていたのも、わかるね。
にしても、混沌、と言うのは、いいね。
って、そりゃ、混乱に通じ、よくないことじゃね、くらいに言われそうだけど。
勇気、と言うのか、チャレンジ、と言うのか、そんな気配が濃厚なんだよね。
いや、勇気、とも違うか。
ただそこにある、って感じかな。
この時代には、SNSと言う総称で、わが身を晒す、なんてこと、大流行りで。
かく言うあたくしも、こんなブログ、長の年月、書き連ねているんだけどね。
さらには、Facebookなんてので、日がな一日を暮らす、ってわけだ。
そこへ、マーケティングがなんとやら、みたいな言説も挿入され、現世の時間が、いっぱいいっぱい。
自分の外のものに占領され、気がつけば、一年経つの、早いよね、みたいな。
どうも、今朝は、万葉集の毒気にあたりつつのブログと相成り候、だ。