私の親父は5人の男兄弟の末っ子。
とはいっても長兄とは20、すぐ上の四男とも8つ違うので、
物心ついた頃には兄達はすでに家を出ていて一人っ子のようだったらしい。
長男は県下でも秀才の誉れが高かった人だったらしいが、
旧制中学時代に結核を病み、卒業後代用教員を何年か務めた挙げ句22で亡くなった。
大正14年、親父が2歳の頃だ。
親父が65年後に結核の再発で死んだのは小さい頃の感染が原因じゃないかと思う。
死期が近づいた頃、長男が当時苦労していた母親(私の祖母)に
「母さんも一緒に行かないか?」と尋ねたという。
母親はしばらく考えた後で、静かに言ったらしい。
「一緒に行きたいけど、私がいなくなったら誰があんたの供養をするの?」
すごい、そして悲しい会話だと思う。
次男は豪傑だった。
旧制中学卒業後、青雲の志を抱いて家出同然に中国へ渡り、上海の学校に進学。
1年後には連れ戻されて旧制高校に入り直している。
東京市役所福祉課勤務時代は死んだ浮浪者の遺骨を「引き取り手がいないのは可哀想だ」
と自分の下宿に積んでいたこともあったらしい。
2.26事件が勃発した時は、戒厳令の中、現場を野次馬に行ったという。
戦後は長いこと政治に関わったが、贅沢な暮らしや黒塗りの車に見向きもしなかったり、
何度も叙勲の話を持ちかけられながら知らん顔を決め込んだり、
90歳を過ぎた晩年はアパートで一人暮らしをしていて、
心配する周囲に「軍隊時代に自炊をしていたから料理は得意だ」とあきれさせたり。
2年前に96歳で亡くなるまで、おもしろい伯父だった。
三男の話はさらに小説じみている。
なにしろ旧制中学時代、下宿の押し入れに一升瓶が並んでいたという人だ。
長じて、つきあっていた女性と北海道に心中をしに行き、
自分だけ助かったら、こんどは別の女性と駆け落ち。
九州から連れ戻されて見合い結婚したが、その1年後に結核で亡くなっている。
亡くなった時にはまだ30台はじめだったらしいが、
他の人の何倍もの密度の濃い人生だったのではないだろうか。
実は私の顔はこの伯父によく似ているらしい。
私がもっともその人生に興味を持ったのもこの伯父だ。
四男は暴れん坊。
中学時代、同級生の警察署長の息子をぶん殴り、家に帰ったら
「何も言わずにこの荷物を持って今晩の汽車で東京へ行け」と父親に言われ、
東京で待ち構えていた次兄の下宿に転がり込んで以来の東京ぐらし。
今もこの兄弟の中では唯一健在だ。
90間近だが、周囲の心配をよそにいまだに自転車で出掛けていると言う。
末っ子の親父にしても、旧制高校入学に向けて8浪!!
もちろん終戦前後を挟んでの事なので純粋な浪人ではないが、
その後は名古屋の親戚に婿入りすることを条件に大学へ入学。
親戚の家と大げんかして飛び出し、苦学の末帰郷して教員になったと思ったら結核発病。
ストレプトマイシンと手術法ができたばかりだったために命拾いをしたものの、
それから教員に復帰して結婚するまでまた8年ほどかかっている。
昔の事とはいいながら、波乱万丈の人生を歩んだ家族。
平凡な人生を歩んでいる私だが、小さい頃から大好きな物語だ。
とはいっても長兄とは20、すぐ上の四男とも8つ違うので、
物心ついた頃には兄達はすでに家を出ていて一人っ子のようだったらしい。
長男は県下でも秀才の誉れが高かった人だったらしいが、
旧制中学時代に結核を病み、卒業後代用教員を何年か務めた挙げ句22で亡くなった。
大正14年、親父が2歳の頃だ。
親父が65年後に結核の再発で死んだのは小さい頃の感染が原因じゃないかと思う。
死期が近づいた頃、長男が当時苦労していた母親(私の祖母)に
「母さんも一緒に行かないか?」と尋ねたという。
母親はしばらく考えた後で、静かに言ったらしい。
「一緒に行きたいけど、私がいなくなったら誰があんたの供養をするの?」
すごい、そして悲しい会話だと思う。
次男は豪傑だった。
旧制中学卒業後、青雲の志を抱いて家出同然に中国へ渡り、上海の学校に進学。
1年後には連れ戻されて旧制高校に入り直している。
東京市役所福祉課勤務時代は死んだ浮浪者の遺骨を「引き取り手がいないのは可哀想だ」
と自分の下宿に積んでいたこともあったらしい。
2.26事件が勃発した時は、戒厳令の中、現場を野次馬に行ったという。
戦後は長いこと政治に関わったが、贅沢な暮らしや黒塗りの車に見向きもしなかったり、
何度も叙勲の話を持ちかけられながら知らん顔を決め込んだり、
90歳を過ぎた晩年はアパートで一人暮らしをしていて、
心配する周囲に「軍隊時代に自炊をしていたから料理は得意だ」とあきれさせたり。
2年前に96歳で亡くなるまで、おもしろい伯父だった。
三男の話はさらに小説じみている。
なにしろ旧制中学時代、下宿の押し入れに一升瓶が並んでいたという人だ。
長じて、つきあっていた女性と北海道に心中をしに行き、
自分だけ助かったら、こんどは別の女性と駆け落ち。
九州から連れ戻されて見合い結婚したが、その1年後に結核で亡くなっている。
亡くなった時にはまだ30台はじめだったらしいが、
他の人の何倍もの密度の濃い人生だったのではないだろうか。
実は私の顔はこの伯父によく似ているらしい。
私がもっともその人生に興味を持ったのもこの伯父だ。
四男は暴れん坊。
中学時代、同級生の警察署長の息子をぶん殴り、家に帰ったら
「何も言わずにこの荷物を持って今晩の汽車で東京へ行け」と父親に言われ、
東京で待ち構えていた次兄の下宿に転がり込んで以来の東京ぐらし。
今もこの兄弟の中では唯一健在だ。
90間近だが、周囲の心配をよそにいまだに自転車で出掛けていると言う。
末っ子の親父にしても、旧制高校入学に向けて8浪!!
もちろん終戦前後を挟んでの事なので純粋な浪人ではないが、
その後は名古屋の親戚に婿入りすることを条件に大学へ入学。
親戚の家と大げんかして飛び出し、苦学の末帰郷して教員になったと思ったら結核発病。
ストレプトマイシンと手術法ができたばかりだったために命拾いをしたものの、
それから教員に復帰して結婚するまでまた8年ほどかかっている。
昔の事とはいいながら、波乱万丈の人生を歩んだ家族。
平凡な人生を歩んでいる私だが、小さい頃から大好きな物語だ。