紫紺のやかた

紫紺のやかた

小町通りから消えゆく和の文化

2021-10-20 10:32:59 | 日記
 新型コロナ感染者がどうゆう訳か激減してきましたね。今後の不安もありますが取り敢えず良かったですね。先週テレビで「コメダ珈琲店」の紹介報道を見ましたよ。逗子には地元創業者スターバックスジャパンのコーヒー店がありますが私は「コメダ珈琲店」には入ったことはありません。名古屋で創業し現在各地に900店舗ほど展開しているそうで妻の話では鎌倉の小町通りにあり何回も入ったと言っていました。翌日14日(木)緊急事態宣言も解除になり行楽日和というので妻と出かけて初めてこの珈琲店に入りました。テレビで見た「シロノワール」と「コーヒー」にパンも味見で量が大きい「サンドイッチ」を早速注文。ノワールというのはフランス語で黒のことで黒っぽいデニッシュに白いソフトクリームが載っていて、コーヒーは有田焼の分厚い焼き物に入って冷めにくいのが歌い文句でした。時間的に客も少なかっこともあり落ち着いた雰囲気の店の感じを受けました。

 店を出て久しぶりに小町通りを散策しました。小町通りは私の年代以前では買わないまでも骨董,絵画を見たり、竹細工や和紙を買いに行く場所でした。



 昔は電車の中で長い布袋に入れた花を抱えた娘さんたちを見かけたそうですが、お花やお茶を習う娘さんがいた時代は去り、花の籠など売れなくなったのか昔から続いていた創作竹芸の店“やまご”が9月末で閉店していました。また諸国和紙の店“社頭(シャトー)”も店を閉めていて、置いてある案内に駅西口の紀ノ国の先に移ったということで観光客相手でないことはすぐ判りました。
 小町通りというからには小野小町の歌など色紙や短冊に書いて竹製の色紙掛けや短冊掛けに入れるため求めに行く場所のイメージは完全になくなってしまいました。もともと小野小町とは関係無いのですが大町通りだったら古都鎌倉のイメージとして有名にはならなかったと思いますね。(ごんべい)

コロナ禍の中の音楽界(非常事態宣言終了後その1)/レクチャーコンサート

2021-10-16 18:56:18 | 音楽
 非常事態宣言中でも、コンサートやオペラが開催する団体・個人もあれば、
感染を用心して、中止やネット配信をする団体、個人もあった。
 開催してもマスク着用で大声を出すこともないので、クラスターの発生はほとんど無かったので良かった。
 今回のレクチャーコンサートは10月15日。非常事態宣言終了により有観客で東京牛込柳町の加賀町ホールで行われた。宣言が終了されても、来場客はマスクを着用して、消毒もきちんとやっていた。やはり、油断大敵の考えを持つ日本人が多いのに安心した。
 昨年2020年11月のブログで、ベートーベン生誕250周年記念のレクチャーコンサートについて投稿した。歌芝居 《良き報せ》をネット配信で、お聴きになった方もいらっしゃるかと思いますが、この時の講師は実際の演奏家でない横浜国大の小宮正安さま(ヨーロッパ文化史研究家。横浜国立大学大学院都市イノベーション研究院教授)の熱のこもったレクチャーでした。
 今回は、日本リヒャルト・シュトラウス協会主催で、第190回例会として、行われた。講師兼ピアニストは井出徳彦氏、ソプラノは渡邊仁美でした。
 二人とも同協会の会員です。会員の中には、専門家がかなりいるので、講師はどうも自前で確保できるようだ。
 レクチャーコンサートの曲目は『4つの最後の歌』(よっつのさいごのうた、ドイツ語: Vier letzte Lieder)は、リヒャルト・シュトラウスが最晩年(84歳の1948年)に作曲した管弦楽伴奏歌曲集でソプラノのための作品。 初演は死後、1950年5月22日にロンドンとのこと。四つの曲の題名は次の通り。
1.「春」 Frühling (1948年7月20日)
2. 「九月」 September (1948年9月20日)
3. 「眠りにつくとき」 Beim Schlafengehen (1948年8月4日)
 4. 「夕映えの中で」 Im Abendrot (1948年5月6日)
 当日の配布物の中に、ドイツ語歌詞の和訳の資料やドイツ語の楽譜があり、専門的なもので、お恥ずかしながら、譜面の読めない小職も楽譜を見ない訳にはいかないので、じっと譜面とにらめっこをしていました。(笑い)
 講師は譜面の解説と実際ピアノを演奏してみせてくれたり、四分の三拍子を八分の六拍子で演奏したり、和訳した歌詞を朗読してくれたり、ご自身の感情をお話しされたりして、興味深かった。 
 朗読は、ちょうどオペラに日本語の字幕がつきますが、字幕の音声版みたいな感じがした。ドイツ語で歌いながら、和訳の朗読をした場合、どうなるのか興味があるところだ。和訳の歌詞は、ネットにアップされているので、ご覧ください。
 レクチャーと実際の歌唱とを交互にやり、あっという間の1時間半でした。
最後に、司会から出演者二人に、リヒャルト・シュトラウスへの思いなどを
インタビューした。
 来場者の中には、聞きたいことがあったようで、終了後の交流を事務局に求めていたが断われていた。可愛そうにと思ったが、事務局は感染防止の為に断ったものだと推察した。  
 一日も早く、コロナの収束が実現して出演者と音楽愛好家との交流が可能になることを切望する。
 主催者について、ここで触れたい。この協会は読んで字のごとくでリヒャルト・シュトラウス(1864―1949)をこよなく愛する人たちの集まりです。活発な会運営をされていて、今回は190回目の例会で、継続的に活動している協会だ。
 同協会では2022年2月に開催されるオペラ『影のない女』(リヒャルト・シュトラウス作曲)オペラ公演ラインアップ「影のない女」 - 東京二期会 (nikikai.net)についても、来年1月にこれを題材にして、シンポジウムを開催する熱のいれようだ。
 ここで思ったのは、著名な作曲家の協会があると思ってNETで調べたらかなりあるが、メジャーにも関わらず、意外にもまだ「協会」のない作曲家もたくさんいる。バッハ、スカルラッティ、クレメンティ、チェルニー、サン=サーンス、チャイコフスキー、ラフマニノフ、ドビュッシー、ラヴェル、プーランク、メシアン、ガーシュウィン、プロコフィエフ。協会の立ち上げには、愛好家だけでなく、音楽の専門家が必要で、いかに多くの人が集まれるか、集められるかがポイントかと思う。

                   以上  tko  

なぎさホテル山のホテル(旧軽井沢ヴィラ)

2021-10-06 11:27:07 | 回想


 逗子の郷土史家で中学3年の時の担任だったK先生が100歳で10月1日に亡くなってから早いもので七回忌を迎えた。亡くなる直前まで講演をされていたほど元気だったので同窓会も長く続きこの面感謝している。
 卒業して20年程して逗子海岸に面した「なぎさホテル」で同窓会を行ったことが記憶に残っている。2階に海に突き出た明るい部屋があり大正時代の木造建築様式で湘南のホテルのイメージが色濃く残っていた。



 確かこの前後の時期にパンフレットで軽井沢に直営の山のホテル(旧軽井沢ヴィラ)があると知り夏の休暇に家族で泊まりに行ったことがある。
 山のホテルには「逗子なぎさホテル」の看板もあり、赤い木造建築で部屋のベッドの上の壁にはドガの踊り子の絵が掛けられ、観音開きの窓からは広い芝生の庭が見渡せた。同ホテルは六本木にテンプラ店フソーを直営で持っていたがここへは行っていない。逗子の「なぎさホテル」は解体されて久しいが今でも昔の写真がインターネットで見ることが出来る。しかし軽井沢の「なぎさホテル山のホテル(旧軽井沢ヴィラ)」は写真でお目にかかれない。既に喜寿も過ぎ、やはりいつか話題になった際のため写真を投稿して残しておいた方が良いかなと思った次第です。

 
                                                               








 なお2017年11月20日(月)に「軽井沢文学散歩2なぎさホテル kumariさんの日記 - 趣味人倶楽部」にこの「なぎさホテル山のホテル」の記載があり伊集院静さんとの縁に触れ、昭和55年に営業を止めいつの間にか著名な米国の建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの建築であった建物も解体され跡地は現在万平ホテルの駐車場になっていると記載されていました。また明大文学部小川和佑ゼミのブログ「軽井沢文学散歩〔2〕ささやきの小径~旧サナトリウム」に昭和61年当時の写真と建物の経緯が記されていました。
 従って泊ったのは営業停止2年程まえの貴重な時期でした。(yoo)

ごんべいさんの『布団で寝ているお地蔵さん』を読んで

2021-10-04 11:45:52 | 日記
 物知りの京都市出身者の知人に話をしましたところ、京都には無いお地蔵さまだと大変珍しがっておりました。その時に、面白い話を伺いました。京都では地蔵盆(じぞうぼん)と言う行事があることを伺いました。子どもたちが主役の行事で、地蔵菩薩の縁日を中心に行われる行事とのこと。私の出身地の藤沢市ではその行事はなかった。皆さんの出身地でありましたか?知人の情報とネット情報によりますと、日本では古くから地域や子どもの守り神として、お地蔵さんが信仰されて、仏教に属する地蔵菩薩は人々を救済する存在で、それが民間にも地蔵信仰となって広がり、路傍(ろぼう)の神である「道祖神(どうそしん)」の信仰にも結びついて、道端に地蔵さんが増えていったと言われています。このお地蔵さんを供養するのが地蔵盆というもののようです。地蔵盆が行われるのは、基本的に8月23日、24日の地蔵菩薩の縁日のころです。地蔵盆が近づくと、地蔵さんの像を洗い清めて、新しい前掛けを着せ、化粧をするなどして飾り付けるようです。古くから赤には魔除けの意味があり、子どもたちを守って欲しいという願いが込められていると言われているそうです。地蔵尊と子どもの名を書き入れた提灯を飾るようです。提灯は白と赤の二種類があり、名前を入れるのは、地蔵尊と子どもの両者の縁を結ぶという意味があるとか言われているようです。また、その年に生まれた子供の名前を書いた提灯を奉納し、それらを毎年地蔵盆に飾る地域もあるとのこと。お地蔵さんには、お花やお菓子などをお供えし、お供えものを子どもたちに分ける「お接待(地域によっては「おさがり」)」が行われ、子どもたちはお菓子を食べたり、ゲームなどの遊びや福引きなどをしたりして、楽しく過ごす子供さんにとっては楽しい行事のようです。又、夜には縁日や盆踊りなどが開かれる地域もあるとのこと。夏休み最大にして最後のイベントとして、楽しみにしている子どもたちも多いようです。地蔵盆は、近畿地方を中心とする地域で古くから親しまれてきた行事で、北陸地方や新潟、長野市周辺でも行われています。東海や関東では、ほとんど定着しておらず、これは地蔵信仰の歴史の違いだと思われます。京都では室町時代に地蔵盆が大流行したが、東京でお地蔵さんが作られたのは江戸時代になってからと言われています。お地蔵さんを祀った祠の前や空き地、集会場などで開催され、町内単位に行われることがほとんどのようです。地蔵盆が近づくと、町内の人たちはお地蔵さんを祠(ほこら)から出して、お化粧(彩色)したり、新しい前掛けを着せてから、祭壇に祀ります。地蔵盆で行われる伝統行事の一つが「数珠まわし」です。これは、直径2~5メートルの大きな数珠を囲んで輪になって子どもたちが座り、僧侶の読経にあわせて順々にまわすというもので、この大数珠を身体に当てると、邪気を払い除け、身を清めてくれると言い伝えられています。いずれにせよ、仏教への信仰心と子供の楽しみと近所の人たちの交流・親睦が一体化していて、興味深く思った。
 布団をかけたお地蔵さんが横たわっている姿は、涅槃仏(ねはんぶつ)の1種類かと思う。新型コロナの身代わりになってもらいたいと言うごんべいさんのお言葉がありましたが、私も同様な理解宇をしました。
涅槃(ねはん)とは仏教の最終目標を意味する言葉で、仏教の最終目標とは「苦しみから解放され、楽しく安らかな世界」にたどり着くこととされているとのこと。涅槃仏は横たわっている仏像とのことで、我々をコロナの苦しみからお救いいただき、安らかな生活をとりもどしたい気持ちの表れと理解しました。煩悩の解脱を意図した年末の除夜の鐘も同じ仏教の目標の一つであることは、ご承知の通りです。
 話は全く変わりますが私の子供の頃の行事で、道陸神(どうろくじん)さまと言う石材の神さまをゴザの上に乗せて、子供が十人くらいで縄で結わえて、引っ張っていたことを思い出した。『道陸神(どうろくじん)と言う人は、おかしな人よ!酒さえ飲めばご機嫌だ』と繰り返し歌いながら、道を練り歩いた経験がある。子供は何の意味か解せず、ただただ、終わるとお菓子がもらえるのを楽しみにしていた。今、ネットで調べたら道陸神(どうろくじん)さまは道路の悪霊を防いで旅人を守護する神と言う事がわかったが、歌の歌詞とはかけ離れたもので、関係性がわからないものでした。ただ、有名な神さまを祭っていた神社に各地から参拝にくる旅人の安全をはかったもので、酒を飲ませておけば道路の悪霊が防げるものだと勝手に推測している。
    以上  tko

指折り数える野辺の仏さん

2021-10-03 10:34:00 | 日記
 新型コロナの緊急事態宣言が解除されましたね。でもまだ安心はできません。友人夫婦とのお店での飲み会は暫くお預けです。高齢施設にいる知人の面会にやっと行き、ついでに寄った鎌倉の寺で野辺の仏が手を指折り数えてもう暫く待てと言っているようでした。仏の指の形に詳しい人がいましたらコメントでこの形の意味合いが違っていたら教えて下さい。



あと何週間、いや何日じっと我慢かなと思う今日この頃です。(ごんべい)