紫紺のやかた

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つぶやき 最終回 自己流撮影について

2022-12-23 19:28:15 | 写真館
 
    2013/4/14 第55回 鎌倉祭り「静の舞」より
 写真は写したいと思ったものを上手く画面に写しこむことだと思う。最近コロナ禍の猛威で鎌倉祭りも頓挫しているこの頃です。過去の写真で思いついたものを添付しました。
 年の瀬も迫り筆の向くままコメント記しました。

(コメント)①
 画面の中に自分の目標とした部分にピントが的確にあっていることが第一条件である。それが画質につながり、感性につながると思う。
 ❶目的部分をアッピールしたく周りをぼかす時早いシャッターを切る。(絞りを解放側に)
 ❷目的部分と周りを取り込み全体を纏めたい時遅いシャッターを(絞りを絞り込む)

(コメント)②
 余計なことを思いながら次回の写真展の資料を作っている間、パソコンに取り込んだCDでシェリングのバイオリンでバッハのヴァイオリン協奏曲①②&二つのヴァイオリンのための協奏曲を流しながら聴いている。何と哀愁を帯びた美しい旋律なのだろう!昔バイオリンを齧った頃を思い起こす。第Ⅴ回写真展のテーマ「明月院」と「東慶寺」の建立時代とバッハの時代を比較してみた。
東慶寺1284年ー明月院1159年  バッハ生・没1683~1750年である。バッハの時代より400~500年前に両寺院は建立されている。

(コメント)⓷
 ネイチャーフォトの場合撮影場所にその撮影ポイントがある。そのポイントとは絵になる場所の事である。写真撮影者は四季の中で絵になる場所を探して絵となる写真にする。やたらと行き当たりばったりの場所でいいなあと感じたものを写真にしても進歩は得られない。これは自分に言い聞かせる愚痴でもある。よく撮りたいなあと思ったところに行ったりすると特に夕景とか朝景に黒山の人だかり出会う。四季を通じ写真の露光の変化を写真に出来るのであう。
 知名度のある場所は撮影ポイントなのであろう。同じ場所に何年も通い続けている写真家・アマチュアもいるくらいである。写真撮影者はこのポイントを見つけるのも一つの仕事なのだ。

(コメント)④
 ジャンルの中に動きのある被写体を捉えるものがある。その動きの中心にピントがピタッとあっていることが求められる。また撮影者の主義主張によって流し撮りするとかの方法もある。
 最近 NHK BS プレミアム放送で 日本全国ローカル鉄道沿線の魅力を再発見する「中井精也の絶景!てつたび」が継続番組で放映されている。彼の地ならではの鉄道電車を絡めた絶景。そんな絶景を走る列車のシャッターチャンスを求めて鉄道写真家・中井精也さんが沿線をめぐり絶景中の絶景ポイントをカメラに収めローカル沿線の説明トークを公開しているのを視聴している。
これも全国ローカル鉄道沿線にある絶景ポイントに出向きシャッターチャンスを待っての撮影である。鉄旅は一つのジャンルであり取り組み方によっては果てしない題材である。

(コメント)⑤
 写真にも色々なジャンルがあることは述べた。自分が取り組みたいものは何にか決めてそれに取り組んだ方が進歩が速い。自分が見ても他人に評価してもらってもいいなあ!と思われる写真に巡り合った時レベルハイに達するのであろう。私自身、過去何千枚と撮影した原画の中から当ブログに何枚かを掲載発表したもので、残り大半は廃品でお蔵入りです。以上は私に言い聞かせた愚痴です。私はまだまだ中途半端な道をさまよっている。(ysa)



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2 コメント

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Unknown (ysa)
2022-12-24 15:21:04
「静かの舞」について
 当日この舞の写真を撮りたくてスタンバイをしたことを思い出した。この写真は舞の初めから終わりまでをくまなく撮影した。原画も沢山残っている。このシーンでは如何に舞う人物をファインダーの中に取り込むかを考えていたと思う。
人物の動きと背景に遠くにうつる大きな朱塗りの鳥居を入れ込むことを考えていたと思う。しかし今この写真を見ると画面への取り込みは然ることながら、2枚とも舞子さんの持つ「扇と持つ手の表現」に絶大な集中が見受けられたのである。これはカメラのいたずらかも知れない。
自分で意識していないところにピントが合ってアピールしているようにおもえてならない。不思議なこともあるものだ!
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つぶやき 最終回 自己流撮影について (yoo)
2022-12-25 07:12:58
「鎌倉まつり・静かの舞」は以前ユーチューブで見たことがあったので、再度検索したところ偶然2013年でした。ysaさんのいた撮影場所も舞の終わりに写っているので、後ろ姿になりますがysaさんが確認できるかもしれません。多くの写真があるそうなので継続して投稿を期待しています。写真のことは門外漢ですが何故か20年程前になりますが堀口大学が媒酌人をしたという理由と「写真がちゃんと残っていることが僕には貴重に思える」という言葉を残した写真家の浜谷浩さんの新聞切り抜き記事が残っています。
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