ジーン・ウールの不思議な旅

ジーン・ウールは不思議な女性です。姿を変えて過去にも未来にも現れます。
もしかしたら貴方の友人や奥様かも知れません。

店主ご挨拶

ようこそお越し下さいました。 昨年(2010)、3ヶ月の雲水修行に行ってまいりました。 私は働き者で(自己申告)、精舎は朝は早く夜は遅く「朝瞑想」の時間は、気がつくといつも寝ておりましたが・・。 私の人生の1ページに、思いがけないご褒美を頂けたような日々を過ごさせて頂きました。・・ま、主婦でも決心ひとつで如何様な道も開けるんですね。 今も精舎に行くと「実家に帰った」ような気がします。 このブログ管理人は、最近物忘れ症候群中につき、おいで頂いた感謝を申し上げ、コメントを頂いても書いたり書かなかったり、付き合いが悪いことのご無礼をお許し下さいませ。

15歳未満の子供に、初の脳死判定

2011-04-12 22:35:20 | Weblog
.HOMEDaily News Clip
ザ・リバティwebより

15歳未満の子供に、初の脳死判定 2011.04.12


12日、15歳未満の子供に初めて法的な脳死判定が行なわれた。今後、臓器が摘出され、移植される見通しだ。厚生労働省の発表によると、脳死判定されたのは、関東甲信越地方に住む10歳代前半の男児。



今回、15歳未満の人が初めて脳死判定されたのは、昨年7月に「改正臓器移植法」の施行で、臓器提供の数を増やすために〝規制緩和〟が行なわれたため。この改正法では、これまで臓器提供の場合に限って脳死を「人の死」と見なしていたものを改め、一律に脳死を「人の死」と定義。その上で、本人の意思が不明でも家族が承諾すれば、年齢にかかわらず誰からでも臓器を摘出できるようになった。



唯物論・無神論が広がる現状では、臓器提供は「尊い行為」と受け止められるかもしれない。だが、霊的真実は、脳死は人の死ではない。本当の人の死とは心臓停止から24時間後、肉体と魂をつなぐ「霊子線」が切れた時である。



実際に、脳死判定された子供を1年9カ月育てた母親は、「脳死状態での臓器摘出は、体が温かく生きているうちに手術する。改正法は移植を増やすことありきで、十分な情報も与えられないまま、子供の死を親が決めることになる」と話している。



霊的真実を知らない人が、魂が肉体から離れる前に臓器を摘出されると、生きたまま体にメスを入れられるのと同じような恐怖と激痛に襲われ、あの世への安らかな旅立ちが妨げられてしまう。この真実を広め、臓器移植で苦しむ〝犠牲者〟を減らさなければいけない。移植を希望するような重病の方のためには、再生医療の技術の確立が必要だ。(格)



参考記事:

・脳死問題について語る大川総裁の動画映像を含む記事「脳死の人は、まだ死んでいない」

・2009年7月号「脳死臓器移植推進の前提として霊的真実にも目を向けよ」



ナバホの祝福 美の中を歩く NHK

2011-04-12 21:46:36 | Weblog


さっき、チャンネルを回したら、

NHK 原千晶さんの「世界ふれあい街歩き」かな?

途中からみたので間違っていたら ゴメン


原さんはガンの手術をなさった とのことで

番組はもう最後のほうだった

原さんは、たぶん案内人の お父さんと会って

お父さんの住まいにお邪魔することになった



ナバホのお父さん このお父さんは高齢だけど

お一人で、自分が生まれた土地で暮らしていた・・

居留地からとても離れていて、道路と言えないような道を走るの



原さんは ガンの手術をして 死 と向き合った


ナバホのお父さんに「死」をどうとらえているのか

聞きたいと思って訊ねた。


お父さんは、英語もあまりしゃべれない

かわりに息子さんが答えた


ナバホは「死」のことは考えない。

ネガティブのことは考えない


ナバホの言葉は英語では伝えきれない



美の中を歩く

毎日を感謝と祈りで生きる


美の中を歩く

正面の美とともに歩く

背後の美とともに歩く

頭上の美とともに歩く

足下の美とともに歩く

私の歩みは美とともに終わる


そうか

ネガティブのことは考えないのか・・


こうゆう生き方も  


あり






嗅覚障害 治療2回目で パイナップルの香りが・・

2011-04-12 00:58:45 | Weblog

先週の金曜日、2回目の針灸治療に行ってまいりました。

いつも必ず全身を診て下さり、ハリとお灸をしてくれます。

1回目が終わって1週間、肩が凝って肩が凝って大変でしたが、これはジャンプする時に一度深く屈んで伸び上がるようなもので、こうした症状は出ても良いことなのだそうです。

今回帰って、パイナップルの香りが分かるようになったことに気がつきました。

針灸治療は、私には効くようです。

最初5回くらいは、1週間に1回来て下さい。とのこと。

また、予約を入れなくちゃ。

「日はまた昇る」

2011-04-12 00:55:08 | ご法話・心の指針


大川隆法著『不動心』第1章より

「日はまた昇る」という言葉は、言い古された言葉かもしれません。しかし、この言葉は人生の真実であり、日は確かにまた昇るのです。

 夕方、水平線に消え去った太陽は、十余時間の闇の期間を経て、確実にまた昇ってきます。太陽は人びとに、没しても必ずまた昇ることを約束してくれているのです。

 地上の全人類のうちで、「日はもう昇らない」と思っている人が一人でもいるでしょうか。すべての人が、「日はまた昇る」ということを信じて疑わないはずです。なぜでしょうか。

 それは、「きょうも、きのうも、おとといも、一年前も、日は昇った。また、十年前も、あるいは自分たちの先祖の時代にも、日は昇った。したがって、あしたも、あさっても昇るだろう」と思っているからです。

 人生においても同じであり、どのような苦難や困難のときでも、日はまた昇るのです。

 苦難や困難にある人に、ぜひ実践していただきたいことがあります。それは、自分の現在のあり方を、第三者の目で冷静に見てみるということです。

そして、「自分と同じような苦難や困難に陥った人が、かつていなかったかどうか」と考えてみるのです。


大川隆法著 『常勝思考』 より抜粋

2011-04-12 00:45:27 | ご法話・心の指針

大川隆法著『常勝思考』第四部より


みなさんの人生の途上において、挫折、失敗、苦難というものが出てくることがあるでしょう。しかし、大きな人生修行の目的というものを考えたときに、はたしてみなさんは、それを避けて通ればすむのでしょうか。

これを考えていただきたいのです。そうした苦難や困難を避けるために、この世に生まれてきたのでしょうか。この問いに答えなければいけないと思うわけです。

 人生の目的を考えてみたとき、実際はそうではないことがわかるでしょう。何百年か、あるいは何千年かに一度、この地上に肉体を持つ理由は、今世、この地上において、新たな環境で、さまざまな人びとに囲まれて、新たな魂修行をしようということなのです。

その魂修行のなかには、決して、よいことばかりがあるのではありません。それを当然の前提として、この地上に生まれ出てきているはずです。

 この世に生まれてきたということは、ものごとがスイスイとうまくいくということばかりが前提になっているわけではなく、いろいろな経験を積み、いろいろな紆余曲折を経ながら、人格が一段と大きくなり、底光りしてくることを目的としているのです。

そうした大きな人生の目的というものを中心に考えてみると、この世の苦難や困難といわれるものの正体は、実は違ったものに見えてくるはずです。

これが、常勝思考という考え方の立脚点なのです。