ジーン・ウールの不思議な旅

ジーン・ウールは不思議な女性です。姿を変えて過去にも未来にも現れます。
もしかしたら貴方の友人や奥様かも知れません。

店主ご挨拶

ようこそお越し下さいました。 昨年(2010)、3ヶ月の雲水修行に行ってまいりました。 私は働き者で(自己申告)、精舎は朝は早く夜は遅く「朝瞑想」の時間は、気がつくといつも寝ておりましたが・・。 私の人生の1ページに、思いがけないご褒美を頂けたような日々を過ごさせて頂きました。・・ま、主婦でも決心ひとつで如何様な道も開けるんですね。 今も精舎に行くと「実家に帰った」ような気がします。 このブログ管理人は、最近物忘れ症候群中につき、おいで頂いた感謝を申し上げ、コメントを頂いても書いたり書かなかったり、付き合いが悪いことのご無礼をお許し下さいませ。

桜えび通信

2012-04-27 16:23:25 | 本の話・素敵な話

我が家の息子が、ある日景品のジャガイモかなんかに釣られて、東日本ハウスの住宅展示場に行った・・と思ってください。

それは、本当に4~5年前のことだったと思うんです。
あれから息子は離婚したり再婚したり・・いろいろありましたが・・

その東日本ハウスの担当者の方が、それから定期的に手作り(たぶん)のハガキを我が家に送って下さる。
息子はすでに家を出ていましたので、読むのは この私。
1枚のハガキに小さな字でびっしりと、日常のあれこれが書かれているの。

どこそこのお店の・・そう 思い浮かぶのは、フルーツパフェ かな。
美味しいお店の紹介とか 彼の周りで起こった事件とか・・それは思い出せないけど

とにかく 読む気にさせてくれる訳です。
何年間も続く彼の根気と情熱みたいなもの 感じていました。

たまたま友人から「人気スィーツ」の話が出て 高いけど美味しいという例の フルーツパフェ

これが大人気ですぐに売り切れてしまう そうで
そこのお店の噂 『知ってる』って思いましたね。・・彼のおかげで。

そのうち、その彼が人事異動で どこそこの部署に 移ることになりました ってハガキが来た。

へええ もう終わっちゃうんだ。 ちょっと残念。


それから またしばらくして 『桜えび通信』が届いた。

彼は出世していました。
なんとかの責任者 になったらしい事は、最後のハガキに書かれていましたが、その桜エビ通信は封書で しかもバージョンアップしている。


★最近の癖のある人・・★ には
・・癖のある人ですぐ思い浮かび、その癖が微笑ましいのが、長嶋茂雄さんです。この人は現役時代、閃きがあると夜中でも素振りに行くそうです。合宿中も同じ大部屋の一番奥から、バットを持って5,6人踏み潰して行くそうです。これがまた憎めない・・・


★お出かけグルメ情報 究極のスイーツ特集!★
・・実は今日一番お勧めしたいスイーツがあります。人生が変わるスイーツがこの世にはあるんです。実はかき氷なんです。まだ時期は早いですが、究極のかき氷が存在します。『かき氷なんてたかがかき氷でしょ』つて誰もが言うと思いますが、まずは食べてみて下さい。人生が変わるほど美味しいんです。たかが氷ですが、まず使っている水が違うんです。そしてその氷で作った氷を日本刀のような刃で細かくきざむと食べたことのないかき氷が誕生します。そのお店は夏のかき氷だけで、御殿が建ちました。食べたら、本当に人生が変わります。○○の○○○にある末永というお店です。隠れた名店で、あまり知られていないんです。冬は焼き芋を売っています。その焼き芋も独自の窯を使って作っているので、ものすごく美味しいです。ぜひ食べてみて下さい。・・・それから写真が3枚
夏のかき氷のれんの玄関と、小さな机と椅子、焼き窯 の写真

それを読んで私がどうしたかというと・・
市内の地図を見て場所を確認したの。

夏になったら 絶対に 食べに行こうと思った。

たぶん、かき氷で建てた御殿は 東日本ハウスさんが建てたんでしょうね。

それから
★ララバイ!こやま・・・★
宴会部長であり芸達者のこやまくんが卒業することになりました。リーマンブリッジの他、数々の伝説を残したこやまくんの卒業は非常に残念ですが、さくらえびのスタッフがアーティストとして活躍することは非常に嬉しいことです。アパレルの世界をこやまブランドで埋め尽くすという野望をぜひ実現して欲しいと思います。

それからこやまくんの写真が5枚・・とっても暖かい気持ちになりました。

我が家は当分家を建てる予定はないけど、建てるなら 彼に頼みたいね!

忘れずにお便りくれて ありがとう~♪



杉原千畝 命のビザ

2012-04-27 15:46:29 | 本の話・素敵な話

■□【1】杉原千畝 命のビザ

日心会メルマガ  転載です。
http://www.nippon-kokoro.com/


杉原千畝(すぎはらちうね)、外務省に訓令違反を問われ辞職を余儀なくされ、生存中その名誉を回復されることなく昭和六十一年(1986)にこの世を去った、リトアニアの元総領事の話です。

平成四年に、加藤剛が杉原千畝を、秋吉久美子が妻の幸子を演じた「命のビザ」がテレビで放送されましたので、ご覧になった方も多いとおもいます。

杉原は、明治三十三年元旦(1900)、岐阜県加茂郡八百津町に生まれました。

第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情し、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ六千人にのぼる避難民を救ったのです。 

その避難民の多くは、ユダヤ人でした。 
独ソ不可侵条約の機密議定書によって、リトアニアが、ヒットラーからスターリンへの贈り物とされたことが、昨今の情報公開で明らかになっています。
リトアニア在住のユダヤ人は逃げ場を失ったのです。

ほとんどの国の領事館は、スターリン支配下になったリトアニアから逃げ出していたため、ビザの発給が出来ませんでした。

そこで、日本を経由して亡命したいユダヤ人は、首都カウナスにあった日本領事館へ殺到したのです。
二百人以上の人々が、領事館の周りに集まってきていました。


杉原は、彼らの中から、英語かロシア語の話せる五人の代表者を館内に招き内情を聞きました。 
領事館の周りは、時間が経つに連れて、さらに避難民が集まってきています。
彼らは、ただ静かに待っているのです、杉原の決断を。

当時の日本は、ドイツと軍事同盟を結んでいました。
日本の外務省は、ユダヤ人に対するビザの発給を拒否するように杉原に訓令したのです。

しかし、彼は、外務省の訓令を人道上の理由から無視することにしました。
一ヶ月間、杉原は朝から晩まで一日三百人を目標に、ビザを発給し続けたのです。
勿論、手書きです。

一人一人に会い、氏名・国籍・住所・年齢、最終目的の国などを聞き、日付を入れ、サインをして、日本領事館の印を押し続けたのです。
途中で万年筆も折れ、ペンにインクをつけて書き続けました。

やがて、リトアニアを併合したスターリンのソ連からも退去命令が届きます。
そのような時、東京の外務省から、「至急リトアニアの領事館を閉鎖してベルリン(ドイツ)の大使館に移れ」という新しい指令が届きました。

彼は、意志を曲げませんでした。
領事館を閉鎖した後は、市内のホテルに移ったのですが、そこでもビザの発給を続けたのです。
退去期限が過ぎ、ベルリン行きの国際列車に乗り込んだ後も、窓から身をのり出し、発車ぎりぎりまでビザの発給を続けたのです。

ついに、列車がベルリンに向けて動き出しました。

杉原 「許して下さい。 私にはもう書けません。皆さんのご無事を祈っています」
杉原は、列車の窓から身をのりだし、涙ながらに人々に言ったのでした。

避難民「ミスタースギハラ、私達はあなたのことを決して忘れません。必ず生きてもう一度お会いしましょう」

列車と並んで泣きながら走ってきた人々も、杉原一行の姿が見えなくなるまでいつまでも叫びつづけていました。

杉原が発行したビザは、2,139通であると言われています。
そして、そのビザを持ったユダヤ人たちは、身動きが出来ないほど詰め込まれた列車で、数週間をかけてロシアを通り日本に到着し、敦賀や神戸で数多くの親切な日本人に助けられ、無事にアメリカやイスラエルなどの安全な国に行くことが出来たのです。

昭和二十二年(1947)、戦争が終わって日本へ帰ってきた杉原は、外務省から辞職の勧告を受けました。
理由は、訓令違反です。
体のよい追放です。

そして、リトアニアでのことをいっさい人に話すことなく年月が過ぎていったのです。
その杉原にイスラエル大使館から電話があったのは、昭和四十三年(1968)八月のことでした。

あの時、リトアニアの領事館内に代表として入れた五人の避難民代表の一人、ニシュリという男性が在日イスラエル大使館に参事官として勤めていたのです。
ユダヤ人たちは二十八年間も杉原を探し、ようやく彼を見つけたのでした。

ニシュリは、杉原に会うと、ぼろぼろになった1枚の紙(杉原が発給したビザ)を見せました。

ニシュリ「ミスター・スギハラ、あなたが私を覚えていなくても、私は1日もあなたを忘れたことがありません」

二人は、手をかたく取り合って涙を流し再会を喜んだのです。
杉原の功績に対して、昭和四十四年(1969)には、イスラエル政府から勲章が授与されました。

昭和六十一年(1986)、杉原は八十六歳でこの世を去りました。
その前年の昭和六十年(1985)にイスラエルから、ヤド・ヴァシェム賞を日本人として初めて受賞し、
「諸国民の中の正義の人賞」を贈られ、その偉大な業績を称えられたのです。

故小室直樹は地団駄踏んで、
「なぜ杉原を戦後イスラエルの大使に任命しなかったんだ」と悔しがっていました。
官僚機構の膠着と出世を妬む輩の中で、訓令違反だけが残り、彼の残した絶大なる業績は全く無視されてしまい闇に葬られてしまっていたのです。
もし、彼がイスラエルの大使に任命されいたら、その後の国際情勢の中でどんなに日本は有利になったかしれません。

ソ連が解体し、リトアニアが独立すると、杉原千畝の快挙を記念したスギハラ通りができ、またイスラエル政府は、杉原氏を顕彰したのです。

こうしてナチスヒットラーに抵抗した杉原千畝の功績を外務省は無視出来ないようになったのです。
杉原の名誉回復は、四十六年後の平成三年(1991)になってやっとおこなわれ、外務省は杉原千畝の遺族に謝罪しました。

外務政務次官の鈴木宗男代議士が、
「領事時代の杉原氏の行為を訓令違反としたのは誤りであった」と。

幸子夫人は「杉原が生きていた時分ならもっとよかった」
当然の思いです。
なぜ、杉原が生きているうちに、外務省は謝罪が出来なかったか。

リトアニアが独立してスギハラ通りが出来ていなかったからです。
世界のマスコミが、まだ、スギハラの功績について騒ぎ立ててはいなかったからです。

杉原の人道的措置を称讃し、彼を厚遇し、戦時中のユダヤ人虐殺計画協力を否認することが、戦後外交の立場をいかに強化するものであるか。
このことに、少しも外務省は気付かなかったのです。

辞職を余儀なくされた杉原は、随分と力を落としたようです。
戦後は、外務省の友人といっさい付き合いませんでした。

辞職後は、幾つかの職を経たあと、得意のロシア語をいかして貿易会社に入り、七十五歳までの十五年間、モスクワに単身赴任。
退職後帰国して、昭和六十一年に八十六歳で亡くなったのです。

必要も無いのに、ドイツのユダヤ人殺戮に協力した外務省。
この協力するという訓令の主旨が無意味になっても、訓令違反だけが厳しく問われたのです。

ドイツと同盟を結んでいたのですが、ユダヤ人殺戮の要請はなかったし、条約もなかったのにです。
ナチス・ドイツは消えてなくなったのに、訓令違反だけが生きていました。

ソ連が解体することがなければ、リトアニアが独立することがなければ、杉原千畝の名誉回復はなされなかったことでしょう。

日本の大きな組織の中では、このように、エリートと呼ばれる以外の傍流を歩く人は、庇われることも無く、無視され続けることがよくあるのです。

真珠湾攻撃における開戦事後通告という史上空前の大失敗をやらかしながら、その張本人である井口貞夫参事官、奥村勝蔵書記官は腹を切ることもなく、その後は出世して勲一等まで貰いました。

一方で、訓令違反の杉原千畝は追放。
エリート畑の身内は、国益を無視して迄も庇います。



参考資料
#1「日米の悲劇」小室直樹(光文社)790円
#2「これでも国家tよべるのか」小室直樹(クレスト社)1,600円
#3「杉原千畝と日本の外務省」杉原誠四郎(大正出版)1,800円
#4「杉原千畝の悲劇」渡辺勝正(大正出版)1,500円
#5「6000人の命のビザ」杉原幸子(大正出版)1,575円



自助の精神

2012-04-27 13:43:04 | 本の話・素敵な話

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■□【1】自助の精神
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ほとんどの日本人は、その意識の中に「自分は中流だ」というのがあるのではないでしょうか。
これは、「中流」の生活程度に関して答えたものですが、実のところその定義ははっきりしていません。

ある種の横並び意識で、経済成長によって、上流階級しか得ることの出来なかった製品/娯楽/趣味/教養などが自分たちにも届くようになったということでしょうか。

「中産階級」という言葉があります。
これは、経済的な状態を表す用語です。

一方「中流」というのは、社会的階級を示す用語なのですといわれています。

つまり、「中産階級」のシンボルを手に入れたというだけでは、
「人に頼らずに計画的に生きてゆける」という「中流」の生き方に届いていない、ということになります。

肝心なことは、
「人に頼らずとも生きてゆける」 という自助の精神です。

本来、日本の「中流」の強みはここにありました。
そしてそれは今でも健在であることを、東日本大地震被災地の人々は示してくれました。

厚労省が発表した平成23年10月のデータによると、生活保護を受け始めた世帯の3月からの累計は、全国で904世帯、4月の323世帯が申請のピークで、以後減少してるといいます。

津波で住居、働き場所、商店、学校など生活をしていくための基盤が根こそぎ破壊されたにも関わらず、生活保護に頼る世帯が減少している。。。。東北人達の強い自助精神を感じないでしょうか。

日本財団は、ボランティア団体に資金援助する一方で、個別に弔慰金/見舞金の支給を実施し、岩手/宮城/福島の各県の遺族に一人当たり五万円を配分しました。

ある福島県の御婦人は、
「主人も、もらっていたので」と返却多層されたといいます。

体育館に避難していた別の御婦人は、
「こうしていると、何でももらえるのでありがたいが、子供に “もらい癖”がつくのではないかと心配です」 と訴えたそうです。

阪神大震災の時、直ちに百円玉入りの封筒をたくさんつくって神戸に行き、
「これで電話をかけなさい」
「これでコンビニに行きなさい」と、預金者でない人にも配った銀行の頭取がいました。

住所/氏名を書くだけで渡したのですが、後日、ほぼ完全に回収されたといいます。
これが、日本の「中流」の持つ自助の精神、互助の精神です。

「人に頼らず計画的に生きてゆける」こと。
これが日本国民のあるべき姿で、これこそが一国が独立する力の源です。
この自助と互助の精神が、失われたら日本が日本でなくなってしまう。

「武士は食わねど高楊枝」 は、日本の美意識でありました。
それは、「人に頼らず」という自助の精神に支えられていたからです。
貧しくとも、それが立派な生き方なのだと思っていたのです。

明治の日本人は、どうであったか。
一つのエピソードがあります。

慶應義塾がまだ出来たばかりの頃、池田成彬らという学生がいました。
ある宣教師が、「奨学金をつけてあげるから」と、米国ハーバード大学への留学をすすめました。

喜んで行ってみると、いきなり、
「支給する奨学金は無い。 まず一年間勉強して良い成績をとってからだ」 というので、
池田は途端に苦学生になってしまいました。

学生食堂で、友人達が食事をしているのに給仕をしたり、先生のために図書館へ行って本を取って来たり、スクールボーイとしての毎日を送っていました。

帰国する金もなく、貧乏のどん底生活をしていると、見るに見かねて援助をしようというアメリカ人が現れたのです。 けれど池田は、飛びつきませんでした。
明治時代の日本人は、根性があったのです。

池田「なぜ、自分に金をくれるのか」
アメリカ人「貧乏で見ていられないからだ」
池田「それでは困る。 頭が良いからだ、と言ってくれ」
アメリカ人「それはまだ分らない。 一年たって試験の成績を見なくては言えない」

池田は、「貧乏が理由で他人から金をもらっては物乞いになる。自分は、米沢藩の家老の息子で、もとはといえば武士である」と、奨学金を断り、結局、日本へ帰ってきました。

福沢諭吉塾長にその旨を報告すると、福沢は、
「それでは慶應で奨学金を出すからここの卒業生になりなさい」と笑って言ってくれました。

池田成彬は、卒業後、三井銀行に入って常務になり、やがて三井合名という持ち株会社の理事になり、昭和12年には日銀総裁、13年には大蔵大臣にも成ったのですから男です。
その根性と気位の高さと頭の良さは、伊達ではなかったのです。

曾野綾子が、著書「揺れる大地に立って/東日本大地震の個人的記録」の中で、敗戦後の貧困の凄まじさについて、
「健康保険も、生活保護も、避難所も、仮設住宅も、ボランティアの支援もなかった時代に、今の八十代/九十代の人々は住む家も焼け、衣服も食糧も日本中になくなった中で、生きなければならなかったのだ」と書いています。

今回の被災地の避難所で暮らす高齢者に供される「上げ膳据え膳」の弊害を説き、「被災者だから、ただでご飯を作ってもらって食べていればいいということはない。 生きるということは、必ず何か仕事を自分で見つけて働くことだ」と述べています。

「自助の精神を失ってはならない」ということなのです。
大東亜戦争で廃墟と化した日本は、アメリカからの無償の「ガリオア・エロア資金」で復興しはじめました。 ところが、アメリカは後年この無償の資金を返却を要求してきたのです。
日本人は、アメリカの変心に恨み顔を見せず、交渉を重ねながら減額を要求し、昭和48年迄に黙々と働いて返したのです。

「他国からの借金は、踏み倒すのが最善であるあたりまえ」とばかり、いっこうに日本に返済をしない国がある中で、日本は、完済したのです。

人々に、自助の精神があったからです。

昨今では、義務教育だからと言って子供の給食費を払わない親がいるそうです。
平成21年だけでも推計26億円の未収金です。
給食費未払い、不正生活保護受給などなど、こういう乞食根性の輩が増えて来ると大変なことになってしまいます。

米国がアフガニスタンから撤退する理由は、財政難でもなく、兵隊の士気の低下でもなく、支援の名の下にアフガニスタン人の人々に「もらい癖」が高まったためだそうです。

日本の周りには、「貰えるものは、歴史や事実を捏造してでももらう」ことを繰り返す国がありますが、自立の精神を失うと、国家として存続することさえ危なくなります。

「自助の精神」「互助の精神」がなければ、いかに経済発展や軍事力の強大さを誇って見せようと、日本の成功と同じ成功は望めるはずがありません。

以下からの引用です。
#1:「超先進国日本が世界を導く」日下 公人(PHP)1,500円
978-4-569-80175-9

#2:「 揺れる大地に立って/東日本大地震の個人的記録 」曾野綾子
1,000円(扶桑社)
978-4-594-06473-0



あるレジ打ちの女性

2012-04-26 06:14:00 | 本の話・素敵な話

日本の心をつたえる会 サイト 転載

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■□【1】あるレジ打ちの女性
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その女性は何をしても続かない人でした。
田舎から東京の大学に来て、部活やサークルに入るのは良いのですが、すぐイヤになって、次々と所属を変えていくような人だったのです。

そんな彼女にも、やがて就職の時期がきました。
最初、彼女はメーカー系の企業に就職します。

ところが仕事が続きません。
勤め始めて3ヶ月もしないうちに上司と衝突し、あっという間にやめてしまいました。

次に選んだ就職先は物流の会社です
しかし入ってみて、自分が予想していた仕事とは違うという理由で、やはり半年ほどでやめてしまいました。

次に入った会社は医療事務の仕事でした。
しかしそれも、「やはりこの仕事じゃない」と言ってやめてしまいました。

そうしたことを繰り返しているうち、いつしか彼女の履歴書には、入社と退社の経歴がズラッと並ぶようになっていました。
すると、そういう内容の履歴書では、正社員に雇ってくれる会社がなくなってきます。

ついに彼女はどこへ行っても正社員として採用してもらえなくなりました。
だからといって生活のためには働かないわけにはいきません。

田舎の両親は早く帰って来いと言ってくれます。
しかし負け犬のようで帰りたくはありません。

結局、彼女は派遣会社に登録しました。
ところが派遣も勤まりません。
すぐに派遣先の社員とトラブルを起こし、イヤなことがあればその仕事をやめてしまうのです。

彼女の履歴書には、やめた派遣先のリストが長々と追加されていきました。

ある日のことです。

例によって「自分には合わない」などと言って派遣先をやめてしまった彼女に、新しい仕事先の紹介が届きました。
スーパーでレジを打つ仕事でした。

当時のレジスターは今のように読み取りセンサーに商品をかざせば値段が入力できるレジスターではありません。
値段をいちいちキーボードに打ち込まなくてはならず、多少はタイピングの訓練を必要とする仕事でした。

ところが勤めて1週間もするうち、彼女はレジ打ちにあきてきました。
ある程度仕事に慣れてきて
「私はこんな単純作業のためにいるのではない」と考え始めたのです。

とはいえ、今までさんざん転職を繰り返し、我慢の続かない自分が彼女自身も嫌いになっていました。
もっとがんばらなければ、もっと耐えなければダメということは本人にもわかっていたのです。
しかしどうがんばってもなぜか続かないのです。

この時、彼女はとりあえず辞表だけ作ってみたものの、決心をつけかねていました。

するとそこへお母さんから電話がかかってきました。
「帰っておいでよ」
受話器の向こうからお母さんのやさしい声が聞こえてきました

これで迷いが吹っ切れました。
彼女はアパートを引き払ったらその足で辞表を出し、田舎に戻るつもりで部屋を片付け始めたのです。

長い東京生活で、荷物の量はかなりのものです。
あれこれ段ボールに詰めていると、机の引き出しの奥から1冊のノートが出てきました。

小さい頃に書きつづった大切な日記でした。
なくなって探していたものでした。

パラパラとめくっているうち、彼女は
「私はピアニストになりたい」と書かれているページを発見したのです。
そう。彼女の高校時代の夢です

「そうだ。あの頃、私はピアニストになりたくて練習をがんばっていたんだ。。。」
彼女は思い出しました。

なぜかピアノの稽古だけは長く続いていたのです。
しかし、いつの間にかピアニストになる夢はあきらめていました。

彼女は心から夢を追いかけていた自分を思い出し、日記を見つめたまま、本当に情けなくなりました。
「あんなに希望に燃えていた自分が今はどうだろうか。履歴書にはやめてきた会社がいくつも並ぶだけ。
自分が悪いのはわかっているけど、なんて情けないんだろう。
そして私は、また今の仕事から逃げようとしている。。。」

そして彼女は日記を閉じ、泣きながらお母さんにこう電話したのです
「お母さん。私 もう少しここでがんばる」

彼女は用意していた辞表を破り、翌日もあの単調なレジ打ちの仕事をするために、スーパーへ出勤していきました。

ところが、「2,3日でいいから」とがんばっていた彼女に、ふとある考えが浮かびます。
「私は昔、ピアノの練習中に何度も何度も弾き間違えたけど、繰り返し弾いているうちに、どのキーがどこにあるかを指が覚えていた。そうなったら鍵盤を見ずに楽譜を見るだけで弾けるようになった」

彼女は昔を思い出し、心に決めたのです。
「そうだ。私は私流にレジ打ちを極めてみよう」と。

レジは商品毎に打つボタンがたくさんあります。
彼女はまずそれらの配置をすべて頭に叩込むことにしました。

覚え込んだらあとは打つ練習です。
彼女はピアノを弾くような気持ちでレジを打ち始めました。

そして数日のうちに、ものすごいスピードでレジが打てるようになったのです。

すると不思議なことに、これまでレジのボタンだけ見ていた彼女が、今まで見もしなかったところへ目がいくようになったのです。

最初に目に映ったのはお客さんの様子でした
「ああ、あのお客さん、昨日も来ていたな」
「ちょうどこの時間になったら子ども連れで来るんだ」とか、いろいろなことが見えるようになったのです
それは彼女のひそかな楽しみにもなりました。

相変わらず指はピアニストのように、ボタンの上を飛び交います。
そうしていろいろなお客さんを見ているうちに、今度はお客さんの行動パターンやクセに気づいていくのです。

「この人は安売りのものを中心に買う」
とか
「この人はいつも店が閉まる間際に来る」
とか
「この人は高いものしか買わない」
とかがわかるのです。

そんなある日、いつも期限切れ間近の安い物ばかり買うおばあちゃんが、5000円もするお頭付きの立派なタイをカゴに入れてレジへ持ってきたのです。

彼女はビックリして、思わずおばあちゃんに話しかけました。
「今日は何かいいことがあったんですか?」

おばあちゃんは彼女ににっこりと顔を向けて言いました。
「孫がね、水泳の賞を取ったんだよ。今日はそのお祝いなんだよ。
いいだろう、このタイ」と話すのです。

「いいですね。おめでとうございます」
嬉しくなった彼女の口から、自然に祝福の言葉が飛び出しました。

お客さんとコミュニケーションをとることが楽しくなったのは、これがきっかけでした。
いつしか彼女はレジに来るお客さんの顔をすっかり覚えてしまい、名前まで一致するようになりました。

「○○さん、今日はこのチョコレートですか。でも今日はあちらにもっと安いチョコレートが出てますよ」
「今日はマグロよりカツオのほうがいいわよ」などと言ってあげるようになったのです。

レジに並んでいたお客さんも応えます。
「いいこと言ってくれたわ。今から換えてくるわ」
そう言ってコミュニケーションをとり始めたのです。

彼女は、だんだんこの仕事が楽しくなってきました。
そんなある日のことでした。

「今日はすごく忙しい」と思いながら、彼女はいつものようにお客さんとの会話を楽しみつつレジを打っていました。

すると、店内放送が響きました。
「本日は大変混み合いまして大変申し訳ございません。どうぞ空いているレジにお回りください」

ところが、わずかな間をおいて、また放送が入ります。
「本日は混み合いまして大変申し訳ありません。重ねて申し上げますが、どうぞ空いているレジのほうへお回りください」

そして3回目。
同じ放送が聞こえてきた時に、初めて彼女はおかしいと気づき。周りを見渡して驚きました。
どうしたことか5つのレジが全部空いているのに、お客さんは自分のレジにしか並んでいなかったのです。

店長があわてて駆け寄ってきます。
そしてお客さんに
「どうぞ空いているあちらのレジへお回りください」と言った、その時です。

お客さんは店長に言いました。
「放っておいてちょうだい。私はここへ買い物に来てるんじゃない。あの人としゃべりに来てるんだ。だからこのレジじゃないとイヤなんだ」

その瞬間、レジ打ちの女性はワッと泣き崩れました

お客さんが店長に言いました。
「そうそう。私たちはこの人と話をするのが楽しみで来てるんだ。今日の特売はほかのスーパーでもやってるよ。
だけど私は、このおねえさんと話をするためにここへ来ているんだ。
だからこのレジに並ばせておくれよ」

彼女はポロポロと泣き崩れたまま、レジを打つことができませんでした

仕事というのはこれほど素晴らしいものなのだと初めて気づきました。
すでに彼女は昔の自分ではなくなっていたのです。

それから、彼女はレジの主任になって、新人教育に携わりました。

彼女から教えられたスタッフは、仕事の素晴らしさを感じながら、お客さんと楽しく会話していることでしょう。

木下晴弘著 涙の数だけ大きくなれる フォレスト出版より
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このお話は、Facebookで拾ったお話です。
http://1minute.raindrop.jp/?p=5100


日本の心を伝える会
<代表者ブログ>
ねずきちの ひとりごと
http://nezu621.blog7.fc2.com/

中国とフィリピン、「テロ以上」と言われるサイバー攻撃の応酬

2012-04-26 00:28:44 | ご講話・ヘラトリ・リバティ 

中国とフィリピン、「テロ以上」と言われるサイバー攻撃の応酬
2012.04.25  リバティWebより


南シナ海のスカボロー礁周辺海域をめぐるフィリピンと中国の艦船の対立が、サイバー攻撃の応酬に発展した。25日付産経新聞や複数のニュースサイトが報じている。


同海域ではフィリピンと中国の艦船が互いの動向を監視して対峙しており、24日ですでに2週間になる。22日、フィリピン大統領府傘下の3つのウェブサイトが不正なデータを送られ使用不能にされるサイバー攻撃を受けた。フィリピン側は発信源が中国のネットワークに割り当てられたIPアドレスだったと指摘。20日にも国立フィリピン大学のサイトが「われわれは中国からきた!黄岩島(スカボロー礁を指す中国側の名称)はわれわれのものだ!」などと書き込まれた。フィリピン側も中国政府のサイト2つに対し「中国政府は悪質だ。スカボロー礁はわれわれのものだ」と書き込んだという。


サイバー攻撃に関しては4月2日付ニューヨークタイムズが、FBIミュラー長官の「外国、とりわけ中国のハッカーがアメリカ企業のコンピュータに侵入し、貴重なデータや知的財産を大量に盗んでいる。サイバー攻撃は間もなくテロにとって代わり、FBIの最大関心事になるだろう」という発言を伝え、米で関心が高まっている。米の民間専門機関が政府の公聴会で示した3月付の資料によれば、米国の組織が中国などからのサイバー侵入に気づくには平均400日以上もかかるという。


日本は、国外からのサイバー攻撃への備えはどうか。外交評論家・岡崎久彦氏の岡崎研究所のネット上コラムにはこの問題に関し、「日本では現在、意図的あるいは過失による機密漏洩への対処を念頭に置いて機密保全法が議論されていますが、情報窃取のためのサイバー攻撃は、やられているか否かも分からない話なので、対象外になっています」とある。


日本もサイバー攻撃に本気で対処しなければ、いつの間にかどこかの国によって重要情報を大量に抜き取られかねない。リアルに加えてサイバー領域における「国防」意識と能力の向上も急務である。(徳)


【関連記事】

2011年11月27日付本欄 【本誌オピニオン】野田首相は胡錦濤氏に強く抗議せよ 相次ぐ中国のサイバー攻撃事件
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=3353


2012年1月28付本欄 米軍が本気で進める「中国封じ込め作戦」 「アジア重視」の中身が徐々に明らかに
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=3759

政府は原発を再稼働し、電力の安定供給を死守せよ

2012-04-24 22:55:41 | 石平チャイナ・政治・経済



2012-04-25
政府は原発を再稼働し、電力の安定供給を死守せよ。

HRPニュースファイル 転載


幸福実現党公式HP
http://www.hr-party.jp/new/2012/23592.html

関西電力は23日、再稼働が急がれている大飯原子力発電所を含む管内全11基の原発が停止したままだと、様々な対策を講じても今年夏の電力供給が最大で19.3%不足するという見通しを発表しました。(4/24 日経「夏の電力不足、関電は最大19.3% 20%超の節電要請も」⇒http://goo.gl/T4zTn)

2,535万kwの供給力に対し、今夏のピーク需要見通しは3,030万kwと495万kw(原発5基分)の不足を予測し、昨夏比で20%超の節電要請を打ち出す可能性も出てきました。昨夏比20%超の節電になれば、関電圏内に住む人々にとって大変な負担となります。

経団連は23日、電力供給不安による企業への影響調査を発表し、製造業の71%が「生産を減らす」、69%が「収益が減る」と回答。料金上昇も重なった場合は96%が「収益が減る」としています。(4/24 日経「電力供給不安で7割が『生産減』」⇒http://goo.gl/5yBBa)


一方で、大阪市の橋下徹市長は今夏の関西の電力危機について「計画停電もあり得ると腹を決めれば、電力供給体制を変えられる第一歩になる」と極めて無責任な発言を繰り返しています。(4/1 産経「『計画停電もあり得ると腹を決めれば』橋下市長が脱原発へ覚悟訴え」⇒http://goo.gl/1MOrh


橋下市長は「電力の安定供給」という「電気の質」は、企業にとって生命線であることを理解していません。電力中央研究所による需要家調査(2007)によりますと、事業所の約半数は電気料金の安さより供給信頼度の高さを重視しているといいます。


ある中堅の金型メーカー社長は「政府は絶対に計画停電をしないように策を講じるべき」といいます。金型は液体の中で一か月程度の時間をかけて徐々に作られ、途中で電気が止まれば不良品になります。作り直せば最大で二か月余計にかかり、こんな納期遅れを起こせば、中国などの競合他社との競争に負けてしまうと警鐘を鳴らしています。


計画停電のような大規模停電だけでなく、半導体工場は一秒未満の瞬時電圧低下で約一億円の損害が発生するといいます。


また、橋下市長は関西電力大飯原発の再稼働は反対とした上で「(関電の)原発が全部止まっている状況でも、明日あさって関西府県民が死ぬ状況になるわけじゃない。ピーク時にちょっと我慢して乗り越えられる」と暴論を展開しています。(出典:同上)


評論家でもこのような発言が目立ちますが、「ピーク時にちょっと我慢すれば良い」というのは「机上の空論」に過ぎません。

現実には、リアルタイムにピーク時の需要をカットすることは困難なため、結果的に広域的・長期的な節電は避けられないことは昨夏、経験して来たことです。

供給予備率が低下すれば、最悪の場合、大規模停電が発生します。一般に、供給予備率は8~10%程度が適正で、3%を切ると大規模停電のリスクが高くなると言われています。「ピーク時にちょっと我慢」して乗り越えられるものではありません。

橋下市長は、こうした電力の基礎知識さえ持たずに、日本の「国家解体」を目指している左翼勢力による「脱原発論」に煽られ、市民の生活や経済活動に大きな責任を持つ「市長」の立場で「脱原発」を煽っているのです。

英国原子力公社(UKAEA)のバーバラ・ジャッジ名誉会長が、資源が極めて乏しい日本のエネルギー事情を踏まえ、「エネルギー安全保障上、原子力発電は必要だ」「日本は他国に命運を委ねるような道を歩むべきではない」との考えを示していますが、これは幸福実現党の考えと全く同じです。(4/20 産経⇒http://goo.gl/vu5a2

つきましては、幸福実現党は「原発の再稼動を求める市民集会・デモ」に参加し、一刻も早い原発の再稼動を政府に求めて参ります。ぜひ、多くの皆様のご参加をお待ちしております。(明日4月25日(水)11:00~ 大阪市役所東側 中ノ島 剣先公園集合⇒http://goo.gl/xCYpv

4月21日、野田首相はベトナムのズン首相と会談し、ベトナムでの原発建設計画に対する日本の協力推進を重ねて確認しました。(4/22 東京「ベトナム原発 建設協力確認 首脳会談で首相」⇒http://goo.gl/aQGok

両政府は2010年10月、ベトナムの原子炉二基の建設を日本側が受注することで合意しています。ズン首相は、日本側がベトナムで最先端の技術を使って、最も安全な原発を建設することに期待を表明しました。

アメリカは、東北大震災発災後に34年ぶりに原発の着工を決定しました。東芝の子会社の製品が使われます。今回、アメリカで原発建設が再開されることになったのは、「日本の技術を使えば、マグニチュード9.0の大地震にも大丈夫だ」という信頼感が生じたからだと考えられます。(『Will』4月号 渡部昇一著「原発興国論!」参照)

実際、震源地に最も近かった東北電力女川原発は、原子炉は地震後すべて自動停止し、冷温停止と呼ばれる安全な状態になりました。そこで敷地内の体育館等を開放して最大約360名の避難者を収容し、食事等の提供がなされました。女川原発も、福島第一原発も原子炉は、大地震に耐えたのです。この耐震性の信頼度は世界が認識しました。

日本の原子力発電技術は「世界最高」と認められています。情緒的脱原発論でなく、事実を直視すべきです。

福島第一原発事故で放射線被ばくによる死者はゼロです。福島県民の被ばく線量は、健康被害も全く見られないレベルです。警戒区域の多くは、もっと早くに帰れたはずです。そもそも避難する必要もなかったという意見もあります。(『福島 嘘と真実』高田純(札幌医科大学医療人育成センター教養教育研究部門教授)参照)

日本政府は引き続き、原子力発電を基幹電力の柱とし、我が国のみならず、世界の原発の安全の向上に寄与すべきです。(文責・加納 有輝彦)




「日本には原子力が必要」 英国専門家

2012-04-23 06:29:39 | ご講話・ヘラトリ・リバティ 

リバティWeb 転載

「日本には原子力が必要」 英国専門家
2012.04.22


来日中の英国原子力公社(UKAEA)のバーバラ・ジャッジ名誉会長が、「資源の乏しい日本は、原子力発電が必要」と、21日付産経新聞のインタビューで答えている。


バーバラ氏は、東京電力の福島第一原発事故で、あれだけの大規模な地震と津波でも建屋そのものは残ったことや、新興国が日本製の原発をほしがっていること、日本の原発が国際的にも高い評価を受けていることなどを指摘している。


一方、こうした評価をよそに、国内では大飯原発の再稼働をめぐって混乱し、まもなく国内の原発全54基が停止しようとしている。細野豪志環境相は20日、「クールビズ」を昨年に続き1か月前倒しで5月1日より開始すると発表。「夏に向けて節電への機運を高めていく必要がある」と述べた。


また、21日付朝日新聞によると、関西電力は夏の電気使用ピーク時間帯に限って料金を上げるなどの方法を検討しているといい、大阪ガスと共に6月分の家庭用料金を値上げする見通しという。1~3月の原油やLNGの平均輸入価格が上がったためということだ。


だが、電力を大量に必要とする製造業は、夏の電力不足で工場の操業がおぼつかなくなる企業も出てくるだろう。2011年の日本の燃料輸入額は21兆8000億円で、前年と比べて4兆4000億円も増え、GDP(国内総生産)の約1割が燃料輸入に消えたことになる(みずほ総研調べ)。


『原発「危険神話」の崩壊』(池田信夫著)によると、「(燃料輸入額の増加は)電力会社がLNG(液化天然ガス)を大量に購入したことが原因」で、原発を止めつつある日本は資源国から足下を見られており、アメリカの6倍の価格でLNGを購入させられているという。


本欄でもたびたび指摘してきたが、バーバラ氏も、エネルギー源を他国に依存すると国力が弱くなるとした上で、「日本は他国に命運を委ねるような道を歩むべきではない」と警告している。日本の国力を落とさないためにも、新興国の発展のためにも、国民は原発再稼働の声を上げていくべきである。(清)


【関連記事】

2012年4月16日付本欄 【そもそも解説】原発の再稼働問題はなぜ起きた?

http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=4130

2011年12月24日付本欄 アメリカが東芝グループの原発を採用 中国での導入も有力

http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=3576

2011年8月号記事 管首相の脱原発による日本経済破壊を防げ 今すぐ原子力発電の再稼働を

http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=2275

米軍関係者がテレビで語った「エイリアン侵略対策」

2012-04-21 05:37:56 | ご講話・ヘラトリ・リバティ 
HOMEDaily News ClipリバティWebより
【海外メディア紹介】
米軍関係者がテレビで語った「エイリアン侵略対策」
2012.04.20


8日、オーストラリアのテレビ局 nine network のニュース番組に米軍関係者が中継で出演し、エイリアンの侵略(Alien Invasion)について興味深い話を語った。


米国空軍大学指揮幕僚課程のポール・スプリンガー教授が話した要点を、YouTube上の動画から紹介すると

http://youtu.be/v6aUrqSagog


ニュースキャスター(以下N):教授は今回、政府から特別許可を得て話してくれます。未知なる敵に対する反撃はきわめて難しいのでは?

スプリンガー教授(以下S):その通りですが、我々は戦闘を想定したことのない敵に対しても、あらゆる対策と計画を立てています。



N:エイリアンの科学技術は人類よりはるかに進んでいると思われますが、それに対抗するには?

S:第一優先は、できるだけ戦力を温存することです。敵の技術を入手して弱点を見つけることが必要ですが、全戦力を失ったら、弱点が分かってもなす術がありません。



N:エイリアン側は、まず何をしてくる?

S:それは彼らの目的によります。資源の獲得が目的なら、それに対する抵抗を排除し、占領と征服が目的なら、それに対して脅威となるものを排除するでしょう。通信ネットワークを壊し、核兵器は残らず破壊するでしょう。核兵器は彼らがほしいもの(資源や食料)を破壊しかねませんから。



N:各国政府は実際にこの種の計画を検討している? 争い合っている人類が一致団結してエイリアンに立ち向かわねばならなくなる?

S:検討していますし、そうなるでしょう。歴史上の優れた文明は基本的に、共通の敵に立ち向かうことを通して形づくられました。アメリカも最初は13植民地がそれぞれの利益や目的を追求していましたが、共にイギリスから独立を勝ち取るため、初めて一致団結する必要が生じたのです。(以上)



結論部分は日本にも当てはまる。欧米列強に植民地にされる危機感の中で、坂本龍馬ら、藩のワクを超えた「日本人」としての意識に目覚めた志士たちが近代国家日本の成立を導いた。宇宙人に侵略される危機感の中で国と国の争いがやみ、「地球人」へのパラダイムシフトが起きるというのは大いに有り得るシナリオだ。(司)



【関連記事】

2011年6月12日記事 公開霊言動画 宇宙人リーディング――宇宙人の魂が明かす衝撃の事実

http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=2161




おはようございます。

今日は1泊2日の研修です。
お天気はどうでしょうか。

我が亭主、最近 毎朝 ジョギングに出かけます。




携帯のタイマーが

5時 5時15分 5時30分   と
3回 ・・タタタ タラタラ タタタ・・と名曲を奏で
亭主は走りに行き
私は布団の上で 真向法 もどきの体操をします。

一つの動作に100数えます。
最後は腹筋30回
それで体は温まり、冬でも ガバッと起きられます。

そうそう

何を書こうとしたのか・・思い出した。

亭主が散歩に行く河原で 最近 毎朝 キジに出会うのですって
頭のてっぺんが赤い  あのキジです。

巣作りには向かないと思うんだけどなぁ・・

毎朝出会うんですって

私も一度 会いに行きたいけど・・と思いつつ
朝食の支度です。

今日も一日 頑張りましょうね!!






民主党政権に不安覚え売却決意  

2012-04-19 09:36:20 | 石平チャイナ・政治・経済

【都の尖閣購入計画】
民主党政権に不安覚え売却決意 産経ニュースより
2012.4.17 22:58


 尖閣諸島購入構想は昨年9月以降、水面下で石原慎太郎知事と地権者の男性(69)との間で進められてきた。男性は島を誰もが訪れることができる自然公園などとして活用することを希望しているという。両者を仲介した自民党の山東昭子参院議員(69)が明らかにした。

 登記簿などによると、男性は埼玉県在住で、昭和45年から不動産賃貸・管理などの会社を経営している。

 山東議員によると、男性は平成22年9月の中国漁船衝突事件で、民主党政権の対応に不満や不安を覚えたという。男性は「国を守るために所有し続けてきたが、個人で守っていくのは限界がある」とし、青年会議所の活動を通じて30年来の親交があった山東議員に今後の対応を相談した。

 男性は山東議員の紹介で石原知事と面会。昨年9月から数回にわたり3人で会合を持ったという。

 当初は国民運動として募金を集める案もあったが、最終的に都が購入する案が浮上。山東議員によると、男性は石原知事の渡米直前に「石原さんにならば(売却してもよい)」などと最終的な意思を固めたという。現地は豊かな漁場が広がり、手つかずの自然が残る。男性は“自然遺産”としての活用や、前所有者の像の島内建立などを希望しているという。

 山東議員は「今後、具体的な活用方法など売買に向けた取り決めや、沖縄県や石垣市との調整など、細部を詰めていくことになる」と話している。



そうだったのかぁ

所有者の男性がどんな方か分からないから・・全部 憶測になっていたけど

石原都知事 「国のためです」 っておっしゃった。 

自然公園も良いけど

私は 地下資源開発で日本の未来は 明るい!!
が  いいな。


再生医療の未来を開くキーワードとは リバティWeb

2012-04-19 06:37:45 | ご講話・ヘラトリ・リバティ 

HOMEDaily News Clip.
再生医療の未来を開くキーワードとは リバティWeb 転載
2012.04.18


がんや脊髄損傷、アルツハイマー病などに「効く」効果ありとして、患者の脂肪や骨髄から分離した幹細胞を点滴注射する治療法が、日本でも民間クリニックで広まっているそうだ。


しかし、12日付の英科学誌ネイチャーは、中国で広がる幹細胞治療は「効果が期待できず、深刻な副作用の恐れがある」として警鐘を鳴らしている。


同誌では、胎児のへその緒などから採取した幹細胞を注射する治療を行うクリニックが中国で広がっているとの報告が掲載された。アルツハイマー病や自閉症の症状が改善したと大きく宣伝し、海外からの医療ツーリズムを呼び込む目的もあるとのこと。


だが、新型治療法が単なるビジネスモデルとしてのみ扱われた場合、粗悪な培養操作で汚染された細胞を注射されたり、注射した幹細胞が肺の動脈などに詰まって重い副作用を引き起こす恐れもあるという。


幹細胞とは、幾種類かの組織細胞のもとにあたる細胞で、そこから分化して骨や血管、筋肉などになる変化する能力を持っている細胞のこと。万能細胞と呼ばれるiPS細胞(人工多能性幹細胞)やES細胞に比べれば、様々な細胞になる能力は劣るのだが、患者から簡単に直接採取でき、培養もそれほど難しくないという利点がある。


そんな「手軽さ」もあって、がんや脊髄損傷、リウマチ、糖尿病、パーキンソン病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)といった難病や障害に「効果が期待できる」と称して施術する医療機関が拡大している。しかしながら、臨床試験などによって効果を確認した病気は限られており、安全性も研究段階にある。


いまだ実験治療の範疇にあるため、当然のごとく保険適用はされず、患者が全額を自己負担する自由診療の中で実施される。ゆえにその費用は、数百万円にも及ぶ場合もあるとのこと。


このため日本の厚労省は、「患者に使う場合は大学などの研究機関にある倫理委員会と国の二重審査を受けた後に、厳しい安全管理の下で行うよう」との指針を出している。


人体の再生術について大川隆法幸福の科学グループ創始者兼総裁は、著書『超・絶対健康法』で、次のように述べている。


「精子と卵子が合体して、そのちっちゃなものがこれだけの大きな体になって完成した姿になるという設計図を体が持っているのならば、(略)もし人生の途上で何らかのけがや病気で使えなくなったとしても、その力を素直に働かすことができたら再生してくる力も人体は持っているはずなんです。(略)これが治らない理由は、受けている教育が唯物論的な教育を受けているし、信じていない。そもそも信じていないために治らないんですよね」

唯物論に立脚する科学技術だけでは、得られる成果に限界がある。再生術が本当に人類に福音を与えるようになるには、最新の科学技術と霊的生命観の融合がキーになるだろう。

真なる信仰のもとに科学と宗教が融合する未来社会においてのみ、未来型治療法としての再生医療が力を発揮できるのではないだろうか。(寺)



【関連書籍】

幸福の科学出版ホームページ 『超・絶対健康法』 大川隆法著

http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=119

【関連記事】

2010年10月号記事 人体再生神話に挑む

http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=55


2004年9月号記事 「移植」に代わる先端医療を追う――人工臓器と再生医療

http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=198