ジーン・ウールの不思議な旅

ジーン・ウールは不思議な女性です。姿を変えて過去にも未来にも現れます。
もしかしたら貴方の友人や奥様かも知れません。

店主ご挨拶

ようこそお越し下さいました。 昨年(2010)、3ヶ月の雲水修行に行ってまいりました。 私は働き者で(自己申告)、精舎は朝は早く夜は遅く「朝瞑想」の時間は、気がつくといつも寝ておりましたが・・。 私の人生の1ページに、思いがけないご褒美を頂けたような日々を過ごさせて頂きました。・・ま、主婦でも決心ひとつで如何様な道も開けるんですね。 今も精舎に行くと「実家に帰った」ような気がします。 このブログ管理人は、最近物忘れ症候群中につき、おいで頂いた感謝を申し上げ、コメントを頂いても書いたり書かなかったり、付き合いが悪いことのご無礼をお許し下さいませ。

ザ・ライト エクソシストの真実

2011-04-22 22:57:44 | 音楽・映画の話

今日「ザ・ライト エクソシストの真実」見てきました。

ルーカス神父で出演のアンソニー・ホプキンスの書面インタビューを紹介


産経ニュース エンタメニュース

2011.4.8 07:41

アンソニー・ホプキンス ■「説明できないことが存在する」

 9日公開の映画「ザ・ライト-エクソシストの真実-」は、現実に存在する、悪魔払いを請け負う神父「エクソシスト」を題材にした作品。一流のエクソシストである神父を怪演したアンソニー・ホプキンス(73)に、書面インタビューを行った。

 信仰心の薄い神学校の生徒、マイケル(コリン・オドノヒュー)は、恩師の強い勧めでバチカンのエクソシスト養成講座に参加。そこで彼は、優秀なエクソシストであるルーカス神父(ホプキンス)を訪ねることに。マイケルがそこで見たものは、想像を絶する世界だった…。

 ホプキンスは、悪魔払いに懐疑的なマイケルに“現実”を突きつけ、途中で悪魔に取りつかれてしまう老神父を熱演。「泥棒は家を荒らすとき、明かりをつけない。悪魔も同じだ。いないフリをする」といったセリフも、ホプキンスの重厚な演技とともに吐き出されると、恐ろしく説得力がある。

アンソニー・ホプキンス
 「脚本が気に入ったので引き受けた。単にエクソシストの存在を描いただけではなく、広がりがあると思ったんだ」

 この作品では、米国人の本物のエクソシストがアドバイザーとして参加した。

 「悪魔払いの儀式で使うラテン語や、しぐさを彼に見てもらった。悪魔が人の姿をしているのか聞いてみたら、『悪魔は自在に変身する存在だ』と言っていたよ」

 それにしても、世界の隅々までがネットでつながる時代に、現実に「悪魔払い」が行われているという事実には驚かされる。

 「私は、原因は悪魔ではなく、精神疾患だろうと思っているけどね。ただ、私にも経験があるが、ずっと願っていたことが、突然かなったりするだろう? 理屈では説明できないことって、存在すると思うよ」  (・・これホプキンス言)



つまりね。
ホプキンスは、悪魔じゃなくて精神疾患だと思っている。
だから演じられるんだね。

皆様のお楽しみのために、これ以上のあらすじは申しません。

ただ悪魔は、自分の名前を知られると引き下がらざるを得ない。

エメラルド・タブレット10に、こんな記述がある。

「御身よ聞きたまえ。聞きたまえ。暗黒の主よ。輝ける者よ。その名をわれが知りとなえ得る御身たちが秘密の名によりて、聞きてわが意図に従いたまえ」

トートは主たちに彼女を解放する様に命じ、主たちの秘密の名によって諸力は服した。


つまり悪魔は自分の秘密の名前を知られたくないのです。

「汝バールよ、主の御名によって命じる、この者より出でよ!!」
すると、悪魔は命令に従わざるを得ないのです。

怖いけど怖いだけじゃない。ちょっと涙ぐんじゃったり・・ルーカス神父が正しいことを言っていても、ホプキンスみたいに信じてもらえない。
信じてもらえないって、とても孤独ですよね。
そしてマイケルの「疑」の部分を悪魔はねらってきます。

この映画は実際にあったことを映画にしたのだそうです。
この映画の悪魔はベルゼベブ(バール)でした。

マイケルの家系は「納棺士」と「神父」。
人が誕生する時と、人が死ぬ時に係わる家系です。

肝は据わっているが、悪魔は信じていなかった。

マイケルに足らなかったのは 「信仰心」


ホプキンスは、映画の撮影中アドバイザーとして本物のエクソシストの指導を受けたと言っていますが 本当は 本物のエクソシストに守られて、この映画は出来たのではないでしょうか。






[ 手紙 ~ 親愛なる子供たちへ ] 転送メールより

2011-04-22 09:26:34 | Weblog
知人からの転送メールです。
とにかく、心の染みます。
感謝  
これも友人からの転送メールです。
ありがとう~~☆


[ 手紙 ~ 親愛なる子供たちへ ]

年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても
どうか そのままの私のことを理解して欲しい
私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい

あなたと話す時に 同じ話を何度も何度も繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずにうなずいてほしい
あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本の暖かな結末は
いつも同じでも私の心を平和にしてくれた
悲しいことではないんだ
消え去ってゆくように見える私の心へと
励ましの眼差しを向けてほしい
楽しいひとときに 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのを嫌がるときには思い出してほしい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
嫌がるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを
悲しいことではないんだ
旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げてほしい

いずれ歯も弱り 飲み込むことさえできなくなるかもしれない
足も衰えて立ち上がることすらできなくなったら
あなたがか弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの手を握らせてほしい
私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないでほしい
あなたを抱きしめる力がないのを知るのは辛いことだけど
私を理解して支えてくれる心だけを持っていてほしい
きっとそれだけでそれだけで 私には勇気が湧いてくるのです
あなたの人生の始まりに私がしっかり付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添ってほしい
あなたが生まれたことで私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい
私の子供たちへ
愛する子供たちへ


☆歌誕生の軌跡☆
2年ほど前。一通のメールが、樋口了一の友人である角智織の元に届いた。
それは、ポルトガル語で書かれた散文のような詩であった。
角はその詠み人知らずの詩に感銘を受け、訳し、樋口に見せた。樋口は故郷に両親を、そして子を持つ父親として、圧倒的なリアリティを感じる。

数日後、樋口は「あの詩を歌にしたい」との思いを角に伝え、言葉に導かれるままに曲をつけ歌にした。
「この歌は、この言葉を必要としている人に、自ら歩いていくような曲」と樋口は言う。
昨年、こころのポストに届く手紙(うた)と信じて、ライブで歌い始める。
『手紙 ~親愛なる子供たちへ~』は、今年日本人の心を最も動かす歌として、聞く人の心に響き、届き、感動の涙を誘っている。