ジーン・ウールの不思議な旅

ジーン・ウールは不思議な女性です。姿を変えて過去にも未来にも現れます。
もしかしたら貴方の友人や奥様かも知れません。

店主ご挨拶

ようこそお越し下さいました。 昨年(2010)、3ヶ月の雲水修行に行ってまいりました。 私は働き者で(自己申告)、精舎は朝は早く夜は遅く「朝瞑想」の時間は、気がつくといつも寝ておりましたが・・。 私の人生の1ページに、思いがけないご褒美を頂けたような日々を過ごさせて頂きました。・・ま、主婦でも決心ひとつで如何様な道も開けるんですね。 今も精舎に行くと「実家に帰った」ような気がします。 このブログ管理人は、最近物忘れ症候群中につき、おいで頂いた感謝を申し上げ、コメントを頂いても書いたり書かなかったり、付き合いが悪いことのご無礼をお許し下さいませ。

慰安婦問題に思う-2   転載です

2014-05-08 19:01:21 | 石平チャイナ・政治・経済

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日本の心を伝える会様  転載させて頂きます~♪
メールマガジン2
  2014/5/7

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慰安婦問題に思う-2
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※昨日からの続き


この問題の本質にあるのは、シラス国とウシハク国の対立です。

ウシハクは、「主人(ウシ)が佩く」で、「佩く」は、大刀を腰に穿くというときの言葉で、身につける、転じて、私有物にするということです。
つまり、主人が国民を私物化し、利用して自分の利財を図る。それがウシハク国です。
こうした治世にあっては、主人となったものは、国民の利益を独占しますから、そこに富が集中します。
重ねて主人(権力者)は、その権力の行使を絶対的なものとしますから、国民は言いなりになるしかありません。つまり国民は、ただの奴隷とされるわけです。

韓国の旅客船の沈没事故に際して、多数の犠牲者となった方々は、船長などの「その場を動くな」という指示を守って、室内に残り、結果、尊い命をなくされました。
日頃、うるさ型の多い韓国人が、どうして沈没まで1時間もかかったのに、船長の指示を守ったのか、そのところは、不思議に思われた方も多いかと思います。

けれど、これは韓国社会では、あたりまえのことなのです。
彼らは上下社会です。
船においては、船長や船員の指示が絶対のものとなります。
ですからもし指示に逆らって、自身の身の安泰を図る、つまり船室から出て海上に避難できる位置に移動するとなれば、後日その責任を追及され、「お前が出たから船が転覆したのだ、すべてお前のせいだ」と罪をなすり付けられ、社会から徹底した苛めに遭うことになる。
その恐怖があるから、出るに出られない。
これがウシハク国です。

もし同じような事故が日本であれば、そもそも船長以下船員たちが先に避難するということ自体、日本ではあり得ないけれど、多くの乗員たちは、船員たちの指示を振り切って早い段階で外気に触れる場所に出て、たすかっていたことと思います。

東日本大震災などで、整然とした姿でコンビニの前に並ぶ日本人、船室からさっさと避難する日本人、いっけんするとまったく異なる反応に見えますが、実は、この二つは共通しています。
それは、各自が、各自の判断で動いている、ということです。
それが、ひとりひとりが高い教養を持ち、自己の責任で行動しようとするシラス国の特徴です。

ウシハク国では、国民は貧乏です。
なぜなら富はみんな施政者、権力者たちが独占するからです。
ですから大多数の国民は貧乏だけれど、上に立つ者は巨額の富を手にします。
そして巨額の富を独占していますから、その権力者の思いひとつで、巨額の政治資金が動かせます。

これに対し、シラス国は、国民ひとり一人が、決して贅沢はできないまでも、そこそこの生活ができます。
権力者も施政者も、国民と同じ人であり、富は分散されていますから、誰かが誰かの思いひとつで、巨額の政治資金を動かすということもできません。

100人で100の富を得たとき、権力者ひとりが80の利益を独占し、残りの20を99人で分散するのがウシハク国。
100人で100の富を得たとき、みんなで1ずつ均等割するのが、シラス国です。
政治工作は、どちらが容易かは、一目瞭然です。

ですが、国民みんなの幸せを考えれば、後者の方がはるかに良い国であることも、これまた自明の理です。
日本は、神話の時代から、シラス国を目指してきました。

このシラスとウシハクは、大国主神話に出てくる言葉なのですが、その神話においても、ウシハク統治は、ある意味においてたいへんに魅力的であることが説かれています。
ですから二度に渡って、大国主に使いに出た天孫の神は、ウシハク統治で金持ちの大国主の接待にすっかり取り込まれ、任務を放棄して大国主の部下になってしまいました。

そして三度目の使いに立ったのが建御雷神(たけみかづちのかみ)で、彼は海の上に刀を逆さまにして立て、その上に大あぐらをかいて、大国主に国ゆずりを迫り、大国主自慢の二人の子を打ち負かして国を譲り受けています。

これは、私は比喩だと思っています。
「海の上に刀を逆さまにして立て、その上に大あぐらをかいて」というのは、軍船を率いてやってきて、その船上で刀剣類を逆さまにして立て並べ、船上で大あぐらをかいて、大音声で国ゆずりを迫った」ということなのではないかという気がします。

ともあれ、こうしてシラス国とウシハク国の違いと、ウシハク国の怖さ、そしてシラス国の大切さが神話に説かれているわけですが、昨今の韓国の行状は、まさに韓国の施政者たちが、己の利権を狙って、自由を奪った民衆を動員して、異論を許さずに反日に傾斜しているわけです。
現代世界において、いまだ、このようなウシハク統治が公然と行われているという現実は、まさに驚くばかりですが、韓国は、古来、そういう国ですし、そもそもの建国自体が、日本によるシラス統治によって、特権階級の両班たちが、その特権を奪われた「はらいせ」につくったのが、いまの韓国でしかありません。

日本は、いま、こういう国から、武器を使わない戦争をしかけられているわけです。

そういうウシハク韓国の慰安婦攻撃に対して、日本は、猛然と反論しなければなりません。
しかし、それだけでは、実は片手落ちで、日本とはどういう国なのかという文化面での日本の情報発信力が、いま、本当の意味で問われているのだと思います。

日本が二千年以上に渡って行ってきた統治は、どこまでも民衆をこそ「おおみたから」とする統治でした。
そしてすべての国民を、天皇の臣民とするという統治でした。
ですから、このことが律令制度として確立された大化の改新以降は、日本からは、生口(せいこう)と呼ばれた奴隷階層は、完全にいなくなっています。

そして、問題の売春婦にしても、かつてはこれを「春を売る婦人」と呼び、戦時下においては「兵隊さんたちを慰め安心させる婦人」という名称を与えてきたのが日本です。

そもそも、日本語で売春と呼ばれる行為は、支那では「売淫」と書きます。
「淫」という字は、膣の中に精液を入れるという意味を持つ字ですから、それを売るというのは、まさに読んで字のごとしであり、きわめて動物的です。
さらにいえば、売春婦たちは、隠語では、「ピー」と呼ばれていました。
ピーというのは、女性の性器そのもののことを指す隠語です。
つまり、女性たちを、まったく「人」として認識していず、ただの性器としてしかみなしていないということが、こうした言葉が如実に物語っています。

最近の韓国が主張する「性奴隷」も同じです。
まさに性の奴隷であり、奴隷というのは古今東西、報酬も人権もなく、ただ使われるだけの存在ですから、その言葉には、わたしたち日本人なら誰もがびっくりするような女性蔑視、人権無視が言葉に隠されています。

ところが日本ではどうでしょう。
先に述べましたように、売春は、「うららかであたたかな春を売る」というのです。
「遊郭」は、楽しく遊ぶための建物であり、「花魁(おいらん)」は、美しい花のさきがけ」、「遊女」は楽しく遊ぶ女性、吉原などの遊郭にいた「太夫(たゆう)」は、恵まれたスポンサーのある女性という意味です。
どこにも性のかけらもない。
あくまで、女性たちを、人として見ているということが、こんな言葉からもわかります。

さらにいえば、朝鮮半島でも、支那大陸でも、売春宿では、年頃の女性を連れてきて、その日から性行為をさせています。
稼ぐために連れてきたのです。これは彼らにとっては当然のことであったことでしょう。

ところが日本は、女性たちは6?7歳で遊郭に連れて来られました。
幼児売春のためではありません。店に出て性行為の仕事をするのは、17歳になってからです。
それも22歳までの5年間だけです。

商売のためなら、年頃の女性を連れてくればよさそうなものを、どうして6?7歳の女の子を連れてきたかといえば、6?7歳から17歳まで、まる10年間、お店では、たいへんな経費をかけて、女の子たちに、読み書きソロバンから、小唄、三味線、お琴、長唄、都々逸、小堤、太鼓、絵画、和裁、お花、お茶など、ありとあらゆる教育を施していたのです。
なぜかといえば、女の子たちには、5年間、お店のために商売をしてもらわなきゃならない。
そのかわり、お店を出たあと、この子たちが一生食べるに困らないだけのことは、お店として、きちっとしてあげようとしたのです。

女の子たちは、もちろん売られてきた子たちです。
そしてまる10年間、お店で衣食住の面倒をみてもらうだけでなく、高いレベルの教育を受けさせてもらいます。
10年経ったときには、たいへんな借金ができています。
けれど、商売に出ることで、たいていは最初の1?2年で、どんな女の子も、お店からの借金は全額返済してしまいます。(このことは、慰安婦の給料を考えてもわかることと思います)。
そのあとは、もっぱら貯金です。

ですからお店に出て5年経って卒業する頃には、クニに帰って料亭の1件、2件建てれるくらいの蓄えができていました。
世界中、どこを探しても、売春婦たちが、生涯食べるに困らないだけの教育と蓄財を与えたクニというは、ないと思います。

では、なぜ日本は、そのような手厚いことをしたのでしょう。
答えは簡単です。
すべての民は、日本では、天子様のおおみたから、なのです。
つまり、お店の女の子たちは、天子様(天皇陛下)からのあずかりものであり、親御さんのたいせつな宝物なのです。
それをお預かりしているのです。
ですから、出来る限りのことをしてあげる。
それが日本です。

だからこそ、戦時下においても、なるほど、朝鮮人の女衒たちが、兵舎の近くに売春宿を作りました。
その売春宿を、わたしたち日本人は、売淫宿ではなく、昔からある売春宿でもなく、兵隊さんたちのための慰安所と呼びました。

中で行われるのは性行為かもしれません。
けれど、そこにいる女性たちへの意識は、あくまでも人の子であり、男性と対等な女性であるという共通認識が、私たちの父祖にはあったのです。
だから、慰安所と名付けていました。

日本人が、慰安婦(売春婦)を、見下したり性奴隷のような存在などとはまったく考えていなかった証拠には、これはねず本の第二巻に書いたことですけれど、総理大臣や、藩の要職の人の妻が、もとはそういう女性であったという事例さえも、あるという事実がこれを証明しています。

私なども、子供の頃、粋に和服を着こなしている、ひどくかっこいい中年の女性などを見たことがあります。
ある芸事のお師匠さんですが、生徒さんたちからも、町内でも、たいへんに尊敬されていたこの女性の和服の着こなしの見事さや、仕草の艶っぽさ、そして周囲に対する気配りや、小唄や三味線の巧さ、町内の頑固親父たちを手なづける手腕の見事さに、祖母は、「やっぱり玄人さんだった人はちがうわねえ」と、悪い意味どころか、大変な尊敬さえもしていました。
たしかに、子供の目からみても、すごいおばさんだった。

慰安婦や淫売どころか、「玄人さん」ですよ。
尊敬さえされていたのです。


※明日のメルマガに続く



慰安婦問題に思う-1   転載

2014-05-07 09:46:38 | 石平チャイナ・政治・経済
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  No.005
  2014/5/6
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慰安婦問題に思う-1
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慰安婦問題について、韓国や国内でそれに同調する左翼や在日コリアンに、腹を立てておいでの方は多いと思います。私もそのひとりです。
強制的に慰安婦にしただの、性奴隷にしただの、そういう主張をしている者たちのただの欲望でしかないのでは、とさえ思います。
所詮は、ねつ造、でっちあげのとんでも主張であり、千年経っても恨みを忘れないどころか、千年経ってもでっちあげはでっちあげ、嘘は嘘です。あたりまえのことです。

こうした言いがかりに対して戦うには、相手の主張に対して証拠を挙げて反論したり、あるいは相手の主張に対して、その信憑性の嘘を暴くといった対応は、もちろん不可欠です。
あるいは裁判をするといった対応も、必要であろうと思います。

ただし、この問題は、すでに韓国にとっては、国家的糾弾です。単に韓国の一部のメディアや学者たちがそのように言っているという問題ではありません。
彼らは、国をあげて、国家の広報や諜報部隊の総力をあげて、慰安婦問題をあげつらい、日本を貶めることに、まさに血眼になっているわけです。

ですからこの問題は、両国が話し合って解決がつく問題ではありません。
そもそも韓国の大統領が先頭に立って、日本を貶めるための告げ口外交を展開しているのです。
今さら、真実がわかったところで、彼らがその主張を取り下げることなど、絶対にあり得ないと知るべきですし、今後彼らは、ますますその主張をエスカレートさせていくことと思います。

こうした韓国に対して、「韓国が政府資金をふんだんに使って慰安婦問題はあったとするプロパガンタを展開している以上、我が国もこれに対抗的に反論を英語その他他言語で世界に向けて堂々と情報発信すべし、という議論もあります。私もそれは必要だと思います。

ただし、それをやったら、問題が解決するかというと、それは疑問です。
日本の反論が激しくなればなるほど、逆に彼らはますますその政治活動をエスカレートしてくるであろうことは自明の理だからです。

では、日本はいったいどうしたら良いのでしょう。
韓国と話し合いますか?

話し合いは、当事者双方に、話し合って解決しようという具体的に意思がなければ、いくら話し合っても問題は解決しません。
証拠を出せば、と思われる方がいるかもしれませんが、いかなる決定的な証拠が出されても、それを無視して言い張る相手に、話し合いなど通用しません。

では、話し合って解決しないのなら、次にどうしますか?
国際司法裁判所に訴えますか?
米国の裁判所に訴えますか?

国際司法裁判所は、ご存知の通り、当事者を出頭させる強制権がありません。
国内の裁判所なら、出頭しなければその瞬間に敗訴が確定しますが、国際司法裁判所は、そもそも呼び出しに応じる必要さえありません。
「あったことをなかったという裁判など請ける必要もない!」と強弁していれば済んでしまうのです。

米国の裁判所に訴えても、個別案件には勝訴できたとしても、他の案件にまで強制力はありません。
それにそもそも相手は国家プロジェクトなのです。
向こうはありとあらゆる政治資金を使って、こちら側の弁護しさえ巨額の資金で買収することさえ平気な連中なのです。

では、どうしますか?
話し合って解決しないなら、戦争しますか?

戦争は、武力だけではありません。
経済封鎖や貿易のボイコット、国内に住む当外国人の財産の差し押さえ等々、方法は様々です。
そしてそもそも、この問題は、情報戦争という立派な戦争なのです。
つまり、現時点で、すでに戦争は始まっているのです。

ところが日本はどうでしょう。
武力を用いた戦争は、憲法でこれを禁じています。
国際紛争を解決するための武力行使は、永遠にこれを放棄すると、最初から歌っています。
向こうにしれみれば、いくら殴っても、絶対に殴り返さないという保証書付きの相手なのです。
もし殴り返してきたら、それこそ「国内法さえも破って暴力を振るってきた」と、よりナンクセをエスカレートさせることができる。つまり、思うつぼになるわけです。

では、武力を用いない戦争はどうでしょうか。
経済封鎖を日本国政府は行うでしょうか。

日本国政府というのは、その本質は日本国民のための政府ではなく、「日本国内に置かれた米国の占領統治のための傀儡政権」です。
これは、安倍総理のご努力や、歴代総理、あるいは代々の国会議員さんのご努力や資質のことを言っているのではなく、そういったおひとりおひとりのご努力や資質以前の問題として、そういう性格のものだということを申し上げています。
同じようなディスプレイとCPUを持つパソコンでも、OSがWindowsなのかmacなのかによって、その性格はまるで違います。
どんなにできの良いアプリや、凄腕のユーザーであっても、OSが違えば、そのOSの範囲でしか動けないのです。

そして米国の利害は、対中戦略において、日韓は並列の位置にあります。
そして米国が率いる「United Nations(旧称:連合国、別称:国連)からすれば、日本は「敵国」であり、韓国は、まさに「United Nations」によって作られた国です。
その立ち位置は、むしろ韓国に有利であって、日本には劇的に不利なものです。
なぜなら、「敵国」である日本には、「United Nations」の安全保障理事国は、いついかなるときでも、無条件で武力を行使しても構わないことになっていて、その安全保障理事国のひとつが中華人民共和国だからです。

それこそ米国の理解を得ない韓国への経済封鎖は、日本は世界に向けて「武力を行使して攻めて下さい」とお願いするようなものです。

では、情報戦争ではどうでしょうか。
韓国は、慰安婦強制と性奴隷はあったといい、日本は、なかったと主張します。
ところが実際には、朝鮮戦争時代に韓国政府は自国民の女性に対してまさしくこれをやっていますから、韓国内では「あった」のは事実です。
ただ当事者が日本でなく、韓国政府であったというだけのことです。
その「韓国政府が」という主語を付け替えるだけで、彼らにとっては国をあげての生活実感をともなった「真実」となるわけです。
そして「あった」とする政治運動をする者たちへは、韓国政府が豊富な軍資金の援助をしています。

これに対し、日本国内はどうでしょう。
多くの国民にとっては、他人事。メディアは反日を正義とはき違え、具体的にどことは言いませんが、むしろ韓国政府の方を持つことで、なんとかして韓国政府からの資金をもらおうとする。
国会でも一部の議員は、むしろあったといって騒ぐ。
民間で必死になって防戦を張ろうと努力しても、政府の応援など一切ありません。

国家規模での経済力も、情報力も、国力も、圧倒的に日本の方が強いけれど、彼らは国をあげて言い張っているのに対し、日本側は、ごく一部の国民による団体等とわずかばかりの議員さんたちによって、手弁当での抵抗が続けらているだけです。
しかもお人好しの日本人は、分断工作に簡単にひっかかり、運動もなかなか一本化しないというていたらくです。

繰り返しになりますが、韓国は(これは中共も同じだけれど)、国をあげて対日戦争をしかけてきているのです。
なぜなら、日本は、叩けば叩くほど、いくらでもお金が出てくる、まさに「打出の小槌」だからです。

では、どうしろというのか、とお叱りを被りそうです。
私は、彼らのいい分に対して、もちろん存分に反論していかなければならないと思っています。
でなければ、日本はもっと追いつめられます。

けれども、それだけでは、おそらく何も解決しないと思います。
なぜなら、彼らは「あった」と言い続け、我々は「なかった」と言い続ける。
その言い合いに終止符を打つ方法は、ただひとつ、日本が、彼らに鉄の制裁を加えることだけだからです。

けれども日本は、決してそういう選択をしないし、おそらく日本国民の誰一人、韓国との戦争を望んでいる人などいないと思います。
むしろ、多くの国民は、韓国と、どうやったら、隣人として仲良く暮らすことができるのだろうかということしか、頭にないからです。

では、どうしたら良いのでしょう。
話し合いもだめ。戦争もだめ。
さりとて、このまま放置することもできない。
第三の道はないのでしょうか。

私は「ある」と思います。


※明日のメルマガに続く


連休に 亭主へ息子の挑戦!

2014-05-06 08:30:55 | Weblog


言い出しっぺは次男の息子
数週間前の出来事

「父さん、連休の4日~5日で、ここから寸又峡まで歩いて行ってくるか!」

亭主 ・・ 最初は乗り気ではないように見えたけど

「何て事ない!」って。結局行くことになり。まずは宿の手配をした。

ところが言い出しっぺの息子は、前日にぎっくり腰になり、当日歩いたのは亭主一人。

もう歳だから駄目駄目!・・って反対したのが悪かったのか・・
いずれにしても4日の朝4時33分に亭主は一人で出発した。
最初は、そんなに乗り気ではないように見えたが、決心した後はどの位で歩き通せるか計算していた。

そして自宅から寸又峡のホテルアルプスまで50何キロを歩き通しました。時間は10時間41分だった。本人曰く、食事の時間を引いたら10時間だな って。。

そうなんです。
自慢の亭主です。

ホテルに予約を入れた時、50何キロを歩くと言ったら「下見を必ずして下さい!!」と言われたので、連休初日に下見をしたんです。

ものすごいピンカーブの連続で、運転も恐ろしかったのですが、寸又峡に到着したらお猿さんが遠くにいっぱいいました。


下見 大事ですね!

最近は、寝坊しなければ 亭主殿と早朝ウォーキングしています。

・・・

私は 今日 何を書きたかったのか やっと 思い出しました。

ちょっと 感動の出来事があったのです。

・・・ ・・・ ・・・


今朝も亭主と安倍川河川敷の路端の切石(地面から20センチ位ある?)の上を歩いて(結構バランスを取る練習になる)、長いすの上に寝て腹筋(私は20回)し、次の長いすで腕立て伏せ(私は10回)し、それから鉄塔の茂みを左に見て河原に降ります。

すると、突然前方で 雉が飛び出して河原の方に飛んでいったのですが、「お、子供が茂みに隠れたぞ!」と亭主が指さす。

そして私達が茂みに近づくと、先ほど飛び出した母鳥が 茂みにバタバタっと戻ってきたのです。
子供を守るために戻ってきたのだと思いました。

ちょっと感動の出来事でした。