ジーン・ウールの不思議な旅

ジーン・ウールは不思議な女性です。姿を変えて過去にも未来にも現れます。
もしかしたら貴方の友人や奥様かも知れません。

店主ご挨拶

ようこそお越し下さいました。 昨年(2010)、3ヶ月の雲水修行に行ってまいりました。 私は働き者で(自己申告)、精舎は朝は早く夜は遅く「朝瞑想」の時間は、気がつくといつも寝ておりましたが・・。 私の人生の1ページに、思いがけないご褒美を頂けたような日々を過ごさせて頂きました。・・ま、主婦でも決心ひとつで如何様な道も開けるんですね。 今も精舎に行くと「実家に帰った」ような気がします。 このブログ管理人は、最近物忘れ症候群中につき、おいで頂いた感謝を申し上げ、コメントを頂いても書いたり書かなかったり、付き合いが悪いことのご無礼をお許し下さいませ。

映画「仏陀再誕」チケットプレゼント

2009-09-30 17:06:53 | Weblog
先着50名様に映画チケットをプレゼントいたしまーす。
一人でも多くの方に見て頂きたいのです。

10月17日(土)、18日(日)の初日に、映画館まで足を運んで下さる方、メールにてご住所などお知らせ下さいませ。

特に若い方に見て頂きたい映画です。

明日は試写会がありますが、明日は行けそうもないのが残念。

明日からもう10月ですね。
ドキッとしてしまいます。

株価が急落しているけど、この急落した株価が大きく上がったら、ビデオカメラを買ってyou tube に動画をアップするのが目下の目標かな。

頑張ろう!!

ビデオカメラ持っていたんだけどね。
本当に精密機械だと云うことが分かった。
昨年、椅子から床にゴトンって落ちたら壊れちゃった。

あなたも気を付けてね。



映画「仏陀再誕」

2009-09-29 11:09:38 | Weblog



You Tube を入れてみました。
とても大変でしたよ。二日がかりです。
最後まで見るといろいろ入っているので、承諾を得ないとならないなと思っているところです。

はぁぁ~・・大変だった。

でも、楽しいね。

自分でも録画してアップしたいと思ったよ。
まずはデジタルビデオカメラを買わなくちゃならないねぇ・・。

鰻のこと

2009-09-28 00:12:10 | Weblog
日付変わっちゃったね。

昨日(26日)の夕食は鰻だった。
先日甥っ子の結婚式での頂き物に真空パックの鰻があって、不足分を買って3人分の鰻丼を作ったよ。

亭主殿「こっちは美味いが、こっちは駄目だ」と言う。
食べてみると全然違った。

美味しいのは、甥っ子から貰ったもので、美味しくないのはスーパーで買った鰻。
最近、国産物は一串が980円とかしなかった?
すごく贅沢になってしまったね。

だから、鰻は大好きだけど、最近買ったことがなかった。
今まで高いお値段だと思っていたブリのほうが安くて、新物のサンマなども出始めは高いけど、鰻よりは安い。

実は中国産を買ってしまった。ちょっとケチったのだ。
食べて比べると、雲泥の差ほどの違いがある。

甥っ子は鰻職人で、包丁でさばく職人です。
その彼が「中国の鰻のほうが美味い」って言ったことがある。

分からないけど、食材としての鰻は日本産とひけを取らないらしい。
でも味付けは不味い。
むしろ白焼きを買って自分でタレをつけて焼いた方が良い。

食材としては中国産でもOKで、焼き方とタレは日本に軍配だね。

我が家のタレは、日本酒・みりん・砂糖・醤油を煮詰めるだけです。
昔のテレビドラマで、焼き鳥のタレだったかも知れないけど、隠し味にブランデーを少量入れていた。

日本産の鰻、もう少し安くならないかなぁ・・




人生は学校みたいなもの

2009-09-26 23:51:16 | Weblog
最近町を歩いていると、シャッターの降りている店などが増えている。
我が町はまだシャッター街になっているとは思わないが、確かに不動産屋の名前を張った家が目につく。

不況と言われる時期だから、一生懸命頑張って働いても、会社がつぶれることもある。
良い時もあれば、悪い時もあるんだね。

人生は学校みたいなもので、いろんな経験を積むために、いろんな問題が与えられるみたいだよ。
でも決して乗り越えられない苦難や困難はないの。
乗り越えられない不幸もないの。
例え不幸という経験をしたとしても、引きずらないのが大事だよ。

仏法真理の観点から見ると、この世というのは人生の勉強のためにある。
自分の魂を磨くために、いろんな問題が用意されている。
この問題は、実は生まれる前に自分で用意した問題なのであり、自分にしか解けない問題であるんです。

こうした考え方で生きると、すべてが宝になってくるよ。

では、悩みをどう料理していったらいいのか、4つのプロセスで考えてみようか。


12時過ぎちゃったから、朝にまた続きを話そうね。


吉沢久子さん、91歳

2009-09-25 23:08:46 | 本の話・素敵な話
先日本屋さんで、吉沢久子さんの「91歳。今日を悔いなく幸せに」を買ってきた。
昨年も1冊「90歳。一人暮らしを楽しんで生きる」を出された。

吉沢久子さんは、新潟日報の生活欄に、毎週一度暮らしにまつわることをコラムに書き続けておられ、それらを海流社が編集して出版された。

昨年の本に、グラニュー糖を煮詰めて密を作り、白玉団子にかけて食べる・・話が如何にも美味しそうで、簡単そうで作ってみた。

本当に美味しい蜜が出来、白玉団子を作ったり、その蜜に浸した団子をきな粉にまぶしたり、美味しくいただいた。

今年の本には、春の蕗のとうをパスタの香りづけにしたり、かぶのサラダと白みそと練りごまのドレッシング、「ゆべし」の作り方など。

簡単な言葉だけで、詳しい作り方はないけど、ちょっと真似して作ったりしている。

90歳や91歳で一人暮らしを愉しそうに暮らしていらっしゃる。
ちょっと憧れる。

最近、第2の人生を考えるようになった。
・・と言うか、ちょっとの期間自由に生きたいと思うようになった。

私の車は三菱の「アイ」軽自動車だけど、この車で北海道とかトコトコ走って、旅というより暮らしてみたい・・とか。

先日もこの車で寝れるのか、なんてシートを倒してみたりした。

畑の家で暮らすのもいいかも。
雲水修行もいいかも。

家族の食事の支度に洗濯物・・頼りにされているから、なかなか出来ないけど、本当は飛び立ちたい気分なんだ。


歯医者さんで決心したこと

2009-09-24 16:49:43 | Weblog
昨日立山黒部から帰って、今日は9時に歯医者さんの予約だった。

先日の奥歯、上が欠けて金冠を被せたら、その隣の歯も虫歯らしくて治して貰った。
つぎ下の歯、中心から数えて5番目。
これも治して貰った。

今日は、門歯の治療。
この歯は、少し黒いところがあると、削って白いセメントみたいなものを詰めている。
見た目は白い歯そのものだ。
この門歯「少し色が変わりましたね」と、やり直してくれた。

昔は、虫歯部分を削って、穴が深いと外側も削って金冠を被せてしまったものでした。
今はちょっと違う。

虫歯で削った穴の部分だけの金属を作って、それを装着するって感じ。
だから外側から見ると白い自分の歯なんですね。

今日口を開けて数えちゃいました。

それで何を決心したかというと、

「この残った白い歯を死守するぞ」  って事。

たぶん、もう1本治療でお終いだと思う。
最近は、歯肉がやせて落ちたところも、門歯のように白い、自分の歯と見分けがつかない材料で治してくれて保険が利くんですよ。

私は知らなかった。
あなたは知っていた?

では、また明日ね。

行ってきました。黒部立山アルペンルート

2009-09-24 10:57:03 | Weblog
急に思い立って、この連休に2泊3日で黒部立山アルペンルート行ってきました。

1日目はお宿のとれた越中八尾のホテルに到着で、その日はお終いです。
越中八尾は、「おわら風の盆」で有名なところです。

実は昨年も9月に2泊3日で、この黒部立山アルペン切符を使って、初日は宇奈月温泉泊、2泊目は室堂のみくりが池温泉に1泊して帰ってきたのでした。
このコースでもう1日とれたら、室堂を起点とした登山計画が可能でした。

もちろん、私は無理ですから温泉で留守番希望ですが・・。

この昨年の「立山黒部の旅」は「シャガの化粧箱」の旅日記に書いたから、昨年の旅次第は省略します。

そうだ。言いたかったことは、昨年は宇奈月温泉で「おわら風の盆踊り」をやってくれたのでした。
夕食後、宇奈月温泉旅館の皆さん方と宿泊客が、市内を踊って歩いたのです。
宇奈月温泉旅館組合の催しだったみたいで、本当に本場 越中八尾の風の盆のミニ版で風情のあるものでした。

今回は、本場だったのですが、宿泊ホテルだけの主催だったので、宿泊客だけの短時間の踊りを見せて頂きましたが、ちょっぴりガッカリしたかな。去年と同じように市内を踊って歩きたかった。

翌日は越中八尾を7時21分発くらいの高山線に乗って富山に行き、富山から立山まで富山電鉄です。
立山に着いたら、ここで称名滝行きのバスの切符を買います。1050円です。
ハンノキ滝は流れていませんでしたが、称名滝は滝の高さでは日本一だとか・・。
旦那に引っ張って貰って、往復1時間でバス停まで帰ってくることが出来ました。
称名滝へは行きは右側、帰りは左側で景色が楽しめます。

立山に戻って、立山からケーブルカーで美女平まで行きます。
美女平で、室堂現在の景色がテレビ画面に写っているのですが、真っ白です。
こういうの霧と言って良いのか悪いのか、視界は利きません。

美女平で駅のお兄さんに途中弥陀ヶ原で降りても良いかと尋ねました。
すると、彼は厳しい顔をして

「とにかく早く通り抜けて下さい!!」

この時は、まだ事態を飲み込めて居なくって「はあ?」って感じだった。
美女平から高原バスに乗る。弥陀ヶ原は絶景。
赤や黄色の美しい高原をバスが走るわけです。そして室堂に着くと真っ白です。
ここから、たとえばみくりが池に宿をとってあったとして、たどり着くのは、不可能というもの。

このあたりから事態が飲み込めてきた。

室堂からもトロリーバスの整理券が配られる。整理券が9番だとしたら、9番の番号のアナウンスがあるまで立って待っている。
室堂からトロリーバスに乗って、やっと大観峰に着く。
大観峰も霧の中、その霧の中からロープウエイが現れます。ロープウエイは黒部平に到着します。

旦那「ちょっと、ゆっくりしよう」「うん」と外に出る。
ほっと一息。でもちょっと待って

「次の時間を見てくる」

時刻表を見に行ったら、あと数分を乗り損なったら、帰れなくなるギリギリだった。

やっとのことでケーブルカーに乗り黒部平から黒部湖にたどり着く。
ここから黒部ダム駅まで15分くらい歩いて最終のトロリーバス16時35分に乗らねばならない。

ところが様子がおかしい。
何だか列が出来ている。何の列??

実はこの列は黒部ダム駅から扇沢までのトロリーバスに乗る乗客の列だった。
立山黒部アルペンルートは、山登りと一緒だから、途中を飛ばすことが出来ないのだ。

昔々、富山の殿様(佐々の殿様?)が周りが豊臣勢ばかりで徳川方に連絡したいことがあって、このアルプス越えをしたそうです。8日間かかって山を越えたそうですが、今はたった1日でアルプスを越えるわけです。
贅沢を言ったら罰が当たります。(このトロリーバスのアナウンスでかようなことを言っておりました)

さて、この列を無頓着に見ていた人達が、帰る頃になって何の列か気づくわけです。
それから人々は最後尾に並び始める。もうダムを見ている人などいなくなる。
もちろんダム湖の遊覧船に行く人の姿はない。

行列は遅々として進まない。
亭主は、ダムの上まで行って来ると、荷物を私に預けて飛んでいってしまった。
あの人はそういう人です。

ダムの上まで行って帰って来るまで、何メートル動いたでしょうか。
まだ暗いトンネルまでも行っていなかったですよ。

立ちくたびれて足は棒です。
「あっ扇沢の最終のバスに乗り遅れちゃう」

乗車率130%か150%か分からないけど、あと2名お願いします・・とかギュウギュウに押し込んで出発です。

扇沢駅では臨時バスが待っていて、乗ることが出来ました。

過去最高の人出だったそうです。
東名など有料道路料金が土日祝日が1000円になった影響です。

最終のお宿は、信濃大町の大町温泉郷の山田屋さんに宿泊です。
お風呂も良く、食事も美味しく大満足でしたよ。

また精一杯働いて、今度はどこに行こうかな~♪










世界が闇に沈むとき、「光」は現れるのか?

2009-09-20 00:17:12 | Weblog
10月17日公開
映画「仏陀再誕」の魅力に迫る

2500年前のインドで、
人類最高の悟りを開いた仏陀・釈尊。
仏陀は入滅(臨終)のまぎわに
「2500年後、東の国にてよみがえる」
と予言を遺していた。

・・そして200X年。
一見、平和な日々がつづいているかに見える日本。
しかし、実は「闇の勢力」が。
人々の心をコントロールしようとしていた。

渦巻く陰謀、
襲いかかる大津波。
突如、東京上空に現れたUFOの大群。

壮大なスケールで繰り広げられる
「光と闇の戦い」。

そのなかで、「再誕の仏陀」をさがし求める
少女や青年たち。

「仏陀」は、どこにいるのか?
「仏陀」は、どのような「力」で危機を救い、
人々を導こうとするのか?

そして、私たちの人生の目的とは?

2500年の時空を超えて、
仏陀の言魂がよみがえる!

「諸々の比丘、比丘尼たちよ。
私の声を憶えているか。
あなたがたは、かって私の話を
聞いたはずである。」


わたしの大好きな書籍「仏陀再誕」が映画になりました。
映画としてはホラー映画。

・・もしかしたらトイレに一人で行けなくなるかも知れない。
でも、この映画は若い皆さんに観て欲しい。

足輪のついた象は遠くへ行かない

2009-09-18 06:55:33 | 本の話・素敵な話
マージー・ウォレル  人生のシナリオを劇的に変える12の勇気より

3章 人生のシナリオを変える勇気より

20代全般の頃、私はリュックサックを背負って、数ヶ月間旅をしました。
小さな村で地域の人達とともに過ごし、彼らの生き方から素晴らしい知恵を学びました。
ある日、私は、ジャングルの中で材木や人間を運ぶときに使われる象が、決して遠くへ行こうとしないことに気づきました。それで、象はなぜブラブラと歩きまわって、ジャングルに消えてしまわないのか尋ねました。

彼らの回答は大変興味深いものでした。
生まれたばかりの象は、歩きまわらないよう、足に鎖をつけて近くの低木につながれます。幼くてさほど力のない子象は、鎖を壊すことが出来ません。そして、何年も経過して大きくなっても、象は木から数メートルの範囲内しか動き回れないと思いこんだままなのです。実際には、象の足には細い金属製の輪がつけてあるだけで、鎖で木につながれてはいないのに。

かくして巨大な象は、遠くまで行けることに気づかないまま、幼い頃につながれていた木から数メートルの範囲内に留まり、自ら鎖につながった動物のような生き方をするのです。

・・私たち人間もまた、時代遅れの考え方、思いこみ、自分の可能性に限界を作ってしまう「ストーリー」によって縛られている可能性があります。


そう言われると、魔法から解けたような気がしますね。


行基さん

2009-09-17 14:57:20 | Weblog
今日再び浅間神社へお参りに行った。
浅間神社境内に、文化財資料館があって寄ってきた。
昔は無料だったけど、今は拝観料が200円だ。

京都の拝観料に比べたら、比較にならないから良しとしよう。

中には古い絵馬や賤機山古墳から出土した土器や装身具など少々の展示があった。
徳川家康直筆の書状等々。

その中に行基さん、これまた直筆の般若心経があった。
紺地の布に金の筆で丁寧にかいてある。
この字なら読めそう・・という丁寧な字だった。

ちょっと行基さんについての説明をしよう。

  行基さん (668~749年)

奈良時代、社会事業に尽力した法相宗の僧。
父は百済からの渡来子孫にあたる豪族、高志氏の子として、和泉国(今の大阪府)母の家で、天智天皇の7年(668年)に生まれ、15歳で出家、大和の寺で修行と学問に専念した。
後に大和薬師寺の僧となり、土木技術の知識を学び、各地に橋を架け、道をつけ、堤を築き、池や溝を掘るなどして、世の中のために尽くした。

また税や病気に苦しむ人々を救うために施設を作ったり、薬を与えたり、道場を作って民衆への伝道にも努めたので、行基を慕って従う者が1000名にも及び、行基菩薩と称せられた。

さらに聖武天皇の大仏造営に際しては、民衆への大きな影響をもっていたことにより、大仏造営費の勧進に起用された。
天平17年(745年)78歳で仏教界における最高位である大僧正という、日本で初めての地位を授けられた。

行基さんは、大仏完成の3年前天平21年(749年)82歳で没した。

行基さんは、大仏建立の勧進に全国を回られて、豊かな方ばかりでなく、貧しい民百姓からも尊い勧進をすすめられた。

大仏には鉛もつかわれたので、鉛中毒で亡くなった方もおられただろう。

でも今も奈良には大仏がおられ、日本中や世界からもお参りに来て下さる。
大仏建立寺に命を落としたとしても、その功徳は末代までも残っているんだね。

今年の5月に京都に行ったけど、数年前は奈良の唐招提寺にも行って来た。

・・ということは、そうなのか。

その後、受戒の師を求める聖武天皇の懇請に答えて、天平勝宝6年(754年)鑑真和上が幾多の困難を乗り越えて日本に来られた。

2つの資料だと、こう繋がってしまうんだけど、これで合ってる???