ジーン・ウールの不思議な旅

ジーン・ウールは不思議な女性です。姿を変えて過去にも未来にも現れます。
もしかしたら貴方の友人や奥様かも知れません。

店主ご挨拶

ようこそお越し下さいました。 昨年(2010)、3ヶ月の雲水修行に行ってまいりました。 私は働き者で(自己申告)、精舎は朝は早く夜は遅く「朝瞑想」の時間は、気がつくといつも寝ておりましたが・・。 私の人生の1ページに、思いがけないご褒美を頂けたような日々を過ごさせて頂きました。・・ま、主婦でも決心ひとつで如何様な道も開けるんですね。 今も精舎に行くと「実家に帰った」ような気がします。 このブログ管理人は、最近物忘れ症候群中につき、おいで頂いた感謝を申し上げ、コメントを頂いても書いたり書かなかったり、付き合いが悪いことのご無礼をお許し下さいませ。

行ってきました。朝の散歩

2009-10-31 11:11:23 | Weblog
今朝、亭主は4時に起床。外は真っ暗。
前日懐中電灯が必要なんて言っていたけど、起きないものだから時間延長してくれて、5時半(たぶん)に起こされた。

5時半(たぶん)に起きても、着るものの用意がしてあっても、トイレに行かなきゃならないし、髪もとかさなくてはならないし、歯を磨いたり、出かける準備に20分はかかった。

シャッターを上げてみたら、外は真っ暗じゃない。
もう立派な朝だった。
歩いている人もいるし、走っている人もいる。
懐中電灯は必要なかった。

初日だから、往復30分を目標だ。
今はちょっと右膝が痛い。

これは頑張らねば・・。

豆乳とヨーグルトを作った

2009-10-30 09:47:06 | Weblog
最近は、再び豆乳とヨーグルトを自宅で作っている。

豆乳用の大豆は、味噌作り用の小粒な割安の大豆だ。
キロ700円なり。
お米屋さんで扱っていた。

我が家には、古いツインバード社の豆乳作り機がある。
10年以上も前のものだけど、試したらしっかり作動した。
水900mlに、大豆は1回に130gから140g位の豆を使用する。

大豆を水で戻して、自動豆乳作り機にセットして30分で完成だ。
昔の思い出を辿ってみて、おからが美味しかったことを思い出して、おからを触ってみた。
もっと荒いおからだったと思ったが、よくよく思い出してみたら、当時はミキサーでつぶしていた時期があった。
それを布で濾して豆乳を作ったから、おからと言ってはもったいない粒の粗いおからだったから、とにかく美味しかった。

そうか、その後で自動豆乳機を買ったのか・・

この自動豆乳機のおからは、市販のおからと同じで粗い粒はない。少しガッカリ。
でも豆乳は無駄なくしっかり絞っていると言うわけだ。

計算すると、たぶん出来上がり800ml位の豆乳の原価は、100円位になる。

そしてヨーグルト・・。
これも作らなくなって久しいけど、いつからでも始められるのがいい。
これも制作会社が新潟県で、雪国の必需品・・かどうかは分からないけど、そこから取り寄せた足温器を利用して作る。
足を暖める湯の温度を設定できるので、ヨーグルト作りには最適なのだ。
結構短時間で牛乳がヨーグルトに変身する。

なぜこんなことを再び始めたのか。

もうじき我が家の息子が結婚して家を出ることになる。
最後の末息子だ。
いつかは誰かが家に入ってくれるようだけど、今後は夫婦二人の生活になるの。

なんかあれこれ考えているうちに、結局「健康でいること」が一番だと気がついた。

まづは、食生活だし、それから運動です。

明日からは、亭主殿と早朝の散歩に行くことになった。
たぶん、6時頃出かけるんじゃないかな。
雨の日も行くぞ・・ですと。

頑張らなくちゃ!

トップ画面のビルディング

2009-10-28 14:52:14 | Weblog
先日、テンプレートを変えてみようとトライした。
いろいろ試して、同じ画面になってしまった。

なぜ、好きなんだろう・・って考えた。

ただ、畑に行って大きな橋を渡って我が町に帰ってくるんだけど、その橋の真ん中辺から見えてくる景色が、こんなんなんだよね。

こんなにビルはたくさん無くて、小都会だけどやはり似ている。
ここからは見えないけど、アバウトで右数キロ行ったあたりから富士山が見える。
左数十メートル行ったあたりからも富士山が見える。

広いの。
広くて町中を見回せるのね。

とっても好きなんです。
夜景もきれいで好き。

怒るな・・ついカッとなるあなたに

2009-10-28 14:13:45 | ご法話・心の指針
諸々の比丘、比丘尼たちよ。

あなたがたは怒ってはならない。
たとえ、どのようなことがあっても、
たとえ、どのような辱めを受けたとしても、
怒ってはならない。
怒ってはならないという教えは、
修行者にとっては、きわめて大切な教えであるのだ。
あなたがたが修行をする途上において、
他の人びとから批判を受けることもあるであろう。
非難を受けることもあるであろう。
辱めを受けることもあるであろう。
しかし、仏陀の弟子であるならば、そのような辱めに耐えよ。
怒りに対して、怒りを返してはならない。
怒りに対しては、穏やかな言葉で答えなさい。
厳しい批判に対しては、沈黙でもって答えなさい。
笑顔を忘れてはならない。
忍辱の心を忘れてはならない。
堪え忍びの心を忘れてはならない。
堪え忍びの心、この堪え忍びの修行こそが、
あなたがたに徳というものを積ませるのだ。
堪え忍びの心なき者に、徳はないということを知れ。
怒りに対し、怒りをもって応えるようでは、
決して徳ある人間とはなれないということを知れ。
決して、怒ってはならない。

・・たとえば夫婦喧嘩もそうかもしれない。
何か言われて・・つい言い返したくなる・・かも

でも、ここが肝心。

深呼吸しましょう

そして・・笑顔・・だよね。

それが出来たら、あなたは人生の達人になれる。

忍耐と成功の話

2009-10-26 14:51:20 | ご法話・心の指針
「仏陀再誕」より

忍耐と成功の話  静かに歩め

私はいつもあなたがたに、
執着を去れと教えてきたはずだ。
執着のなかでも、あなたがたを成功から遠ざける最たるものは、
時間における執着だ。
時間における執着とは、焦りのことをいう。
あなたがたは、焦りという名の執着によって、
常に苦しんでいる。
あなたがたは、焦りという名の執着によって、
常に迷っている。
あなたがたは、焦りという名の執着によって、
常に虜となっている。

人びとよ、まさしく焦りは人生の敵である。
静かにゆく者は遠くまでゆくのだ。
音少なくしてゆく者は、千里を駆ける。
騒がしく鉦や太鼓の音とともに歩む者は、
さほど遠くまで進むことはできない。
なぜならば、鉦を打ち、太鼓をたたく音を聞いて、
まわりからゾロゾロといろいろな人が集まってきて、、
やがて話し込むうちに、
本来の旅の目的を忘れ去ってしまうからだ。

ゆえに、諸人よ、
先を急ごうとするならば、静かにゆけ。
目的が遙かに遠くにあるならば、すみやかにゆけ。
深く、静かにゆくがよい。
その際に、決して焦ってはならない。
決して急いではならない。
焦りの気持ちとは何であるか、考えたことがあるだろうか。
焦りの気持ちとは、いち早く結果を手に入れたいとする気持ちだ。
努力を惜しんで、努力の目的であるところのその成果を、
人より早く手に入れたいとすることだ。

ゆえに、諸人よ、よくよく心せよ。
もし、あなたがたの人生に迷いが生じてきたならば、
この迷いとは、実は焦りにほかならないのではないかと、
焦りこそが迷いを生み、迷いの根源が焦るではないのかと、
その時に、深く深呼吸をして、
何ゆえに焦るのかと、自問自答するがよい。
何ゆえに焦るのか、
何ゆえに急ぐのか、
何ゆえに慌てるのか、
考えてみれば、さして根拠のあることではあるまい。
さしたる根拠はないのだ。
焦りの根源は、いつも似たようなところにある。


ここでウトウトしますねぇ。

まだやっと半分だから、今日はここでおしまい・・。

さっき映画行ってきました。
雨の日の映画館。

仏陀再誕のチラシのそばに「2012」のチラシ発見。
これって、マヤ歴に書いてある人類滅亡のカウントダウンだ。

地震や宇宙人の攻撃、200mを超す大津波・・は、ニセ仏陀の荒井東作の仕業だった。
この時期に「仏陀再誕」の映画を大勢の方に見て頂きたい意味は・・むむ




笑顔をちょっと変えてみた

2009-10-25 22:41:59 | Weblog
仏陀再誕 悟りたる者は

人よ、
悟りたる者は、いつも静かにあるものだ。
人よ、
悟りたる者は、柔和にて歩くのだ。
人よ、
悟りたる者は、微笑みて歩くのだ。
人よ、
悟りたる者は、驕らない。
悟りたる者は、威張らない。
悟りたる者は、決して自らをよく見せようとはしない。
悟りたる者は、他の人を裁こうとしない。
悟りたる者は、他の人びとを傷つけようとはしない。
悟りたる者は、柔和で、言葉正しく、常に落ち着き、
そして優雅である。
貪りの毒がいかに悪いか、
それは、柔和な姿というものを害するからだ。
柔和な姿はそれ自体で尊い。
柔和な顔、柔和な言葉、柔和な物腰、
それ自体が尊い。
それ自体が仏の姿そのものである。

人びとよ、これより後、
己が心の内に貪りの心がないかどうかを、よくよく点検せよ。
心の内に貪りの毒があるならば、
ただちにそれをつかみ、それを投げ捨てよ。
それを二度と心のなかに入れてはいけない。
ドアを閉め、二度と入れてはならない。

だから

笑顔をちょっと変えてみた。

まづ、出来ることからやってみよう・・と思ってね。

「仏陀再誕」布施の心 より

2009-10-23 23:20:32 | ご法話・心の指針
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
私は、常づねあなた方に説いてきたはずである。
人間が命を得、今生に生まれるということは難しいことである。
今生に生まれ、かつ仏の教えに触れるということは難しいことである。
また、今生に生を享けて、
仏と時を同じくするということは、また難しいことである。
仏が出、仏の教えが説かれる時に、
生を得るということは難しいことである。
そのような時代に生まれ合わせたのであるならば、
あなたがたの使命は自ずから明らかとなるであろう。
あなたがたは、多くの人びとに与えるために来たのだ。
与えるということは、現代的な言葉であるが、
与えるとは布施の心だということだ。
布施とは何であるか、それは他を思いやる心だ。
他の人によかれと思う心だ。
他の人に尽くさんとする心だ。
この心、もしなくば、仏の教えもまた意味がない。
仏の教えは、人に尽くさんとしてあるのだ。
仏の教えは、人に布施せんとしてあるのだ。
仏の教えは、人に愛を与えんとしてあるのだ。

諸人よ、まずこの根本を間違えてはならない。
貪りのために出てきたのではないということを知りなさい。
自らの心の内をふり返りみて、貪る心の強い者は、
これは、愚かであると言わざるをえない。
いつまでも地位に執着するな。
いつまでも出世に執着するな。
いつまでも名誉に執着するな。
いつまでも己がプライドに執着するな。
他からよく見られたいという心に執着するなかれ。
そのような心は、
すべて貪りの心である。
他の人によく見られたいという心。
尊敬されたいと思う心も、貪りの心である。
他の人にあこがられたいと思う心も、貪りの心である。
有名になりたいと思う心も、貪りの心である。
自らの権力を振るいたいと思うことも、貪りの心である。


今日は「布施の心」を、写経です。

「ノー」と言えないと、最良のことを達成できない

2009-10-20 11:13:13 | 本の話・素敵な話
「良いこと」はいつも「最良のこと」の邪魔をします。
イエスの安売りによって最初に犠牲となるのは、たいてい、いちばん大切な人との関係です。
あなたの時間と関心とエネルギーをもっとも必要としている人は、しばしばあなたの最悪な面(疲れてイライラして不機嫌な面)に接することになります。

そんなことが起きるのは、私たちが、さまざまな人々をせっせと喜ばせるうちに無理をしてしまい、一番大切な人たち(パートナー、子ども、親戚、親友)に与える愛情や配慮がおろそかになってしまうからです。

すばらしいことを成し遂げるには、集中する必要があります。
私が世界を旅行していたときに、真に偉大なことを成し遂げた人(仕事、スポーツ、学問、人道主義、子育てなど、分野を問わず)はみな、多くの時間と労力を注いで努力し、その他の「良いこと」をする機会を断っていました。

そうでない人など一人も会ったことがありません。
彼らは常時100%の集中力を発揮していたわけではありませんが、一度に一つのことに全力を集中していました。

マージー・ウォレル 人生のシナリオを劇的に変える 12の勇気より

「天地人」今 好きなところ 完

2009-10-16 08:27:29 | 本の話・素敵な話
4.
本多政重が、伏見から米沢へやって来た。
兼続は、本多政重を丁重に遇した。
相手は大家、宇喜多、福島、前田と、諸大名を渡り歩いてきた筋金入りの隠密武将である。うまくいけば、幕府と良好な関係を築く橋渡し役となるが、一歩間違えば上杉家の命取りにもなりかねない “劇薬” のようなものであった。

策謀家の父に似ず、本多政重は礼儀正しく、口数の少ない青年であった。ただし、目つきに隙がない。
兼続の娘お松との婚礼の席でも、政重は、
「下戸にござれば」
と、酌にやってくる上杉家家臣たちの酒をにべもなく断り、家中にとけ込むことを避けているように見えた。

・・これってね。固めの杯(字合っているか心配)って言うくらいだから、お目出度い席では断っては駄目なのね。それを断ったと言うことは、いつまでも居る気はないことを暗に示したこと・・なんだと思うよ。

「お松は幸せになれましょうか」とお舟がつぶやいた。
・・・

「お松の婚儀は、私事ではない。必ず上杉家のためになる。われらは、それを信じるしかない」

直江家の婿となった政重は、上杉景勝より1万石の録をたまわった。兼続の望みどおり、本多佐渡守正信は 上杉家に並々ならぬ好意を寄せ、
公私の諸用自由を得たり。(上杉年譜)という親密な関係を持つに至った。


兼続は、本多政重を婿にむかえて、徳川政権との絆づくりに心を砕いた。
しかし、その一方、米沢城下から四里離れた吾妻山中の白布高湯に鉄砲工場をもうけ、火器の大量生産をはじめた。

江州の鉄砲師惣兵衛、泉州の鉄砲師松右衛門、この両工、米沢に来たる・・・

関ヶ原合戦の終結により、諸大名の鉄砲の需要が減り、彼らの仕事も一時より減ってきている。二百石で召しかかえるという好条件を提示した兼続の誘いに、

「お招きとあらば」

惣兵衛、松右衛門の両名は、それぞれの弟子たちを引き連れて米沢へ下り、鉄砲づくりに取りかかった。

当時、上杉家は千挺の鉄砲を有していた。

「いまの倍、あと千挺は欲しい。仕事を急いでくれ」

「上杉さまは、徳川幕府にいくさを挑みなさるのかや」

注文を受けた惣兵衛らも、兼続が注文した鉄砲の数と種類に、さすがに驚きをあらわにした。

鉄砲製造は、むろん幕府には内密におこなわれた。
だが、婿の本多政重を通じ、情報が外に洩れることを、兼続は最初から計算のうちに入れてあった。

一方で徳川幕府に恭順の意をしめしながら、他方では、大規模な戦闘に備えた鉄砲の大量生産をおこなう。
すなわち、 武備恭順  の思想。

これこそまさに、兼続が考え出した生き残りの秘策にほかならない。


この後、結婚したお松が亡くなる。お松の死は幕府との太い絆である本多家との縁が切れることを意味するの。それで兼続は、弟大国実頼の娘お虎を養女に迎え政重どのの後添えにしたい・・と言う。

政重は、あくまでも上杉家を守りきろうという兼続の決意に感じるところがあって、お虎を妻にし米沢にとどまるわけです。

豊臣家の秀頼は成長し、家康が大阪攻めの決意をする。
・・と
政重が「お暇をいただきとう存じます」と米沢を去った。

加賀金沢の前田家では、幕府との関係を悪化させない秘策として、本多政重を執政として招き、これに藩政をゆだねることで、生き残りをはかろうとした。

ここが政重を見直したところだけど、本多政重は金沢に入ると、米沢城下に残してきた妻のお虎と、そのあいだに生まれた息子を呼び寄せた。
義父の直江兼続にたいし、プロの諜者であった政重は、生涯にわたって礼を尽くしつづけるのです。


政重、一体誰が演じるんでしょうね。
楽しみ~♪