ジーン・ウールの不思議な旅

ジーン・ウールは不思議な女性です。姿を変えて過去にも未来にも現れます。
もしかしたら貴方の友人や奥様かも知れません。

店主ご挨拶

ようこそお越し下さいました。 昨年(2010)、3ヶ月の雲水修行に行ってまいりました。 私は働き者で(自己申告)、精舎は朝は早く夜は遅く「朝瞑想」の時間は、気がつくといつも寝ておりましたが・・。 私の人生の1ページに、思いがけないご褒美を頂けたような日々を過ごさせて頂きました。・・ま、主婦でも決心ひとつで如何様な道も開けるんですね。 今も精舎に行くと「実家に帰った」ような気がします。 このブログ管理人は、最近物忘れ症候群中につき、おいで頂いた感謝を申し上げ、コメントを頂いても書いたり書かなかったり、付き合いが悪いことのご無礼をお許し下さいませ。

ヒトラーに利用された、シュタイナーの人智学

2011-09-20 00:01:40 | シュタイナー

若い頃、シュタイナー本を愛読していた者として
2011年9月初版の「ゾロアスターとマイトレーヤーの降臨」・・知られざる神々の真実・・ は、衝撃 でした。

マイトレーヤー如来(以下尊称略)は、近年 神智学の創始者。ブラヴァッキー夫人として肉体を持ちました。


この「ゾロアスターとマイトレーヤーの降臨」を読んで衝撃だったのは、

第2章 「ヒトラーに利用された、シュタイナーの人智学」でした。

以下抜粋

・・神智学も途中から曲がり混んでいっており、神智学から分派したルドルフ・シュタイナーも、よかったところと間違ったところの両方があります。
よかったところは、霊的世界をさまざまに探求し、伝えたことです。

間違ったところは、アドルフ・ヒトラーに利用されたことです。
ヒトラーはルドルフ・シュタイナーの教えのなかから、「アトランティス人が現世に多数生まれ変わっている」ということを学びました。

そして、「この世的な人種として見れば、アーリア人こそ、アトランティス人の末裔である。自分たちはアーリア人であるから、純粋に優秀、優等な民族である。これに対して、ユダヤ人は穢れた民族である」というような考えを持つに至りました。
・・中略・・
この流れのなかで、「光と闇」の考え方についても、ルドルフ・シュタイナーは、「ルシファーは「堕天使」と言われているが、本当は月の天使であって、堕落したわけではなく、神の使命を果たしている」というように、途中から言い出しています。

彼は霊能者であったので、`いろいろなもの`を受け始めていました。第2次大戦に協力してナチスの御用哲学になったときに、かなり魔的なものの影響を受けたと思われます。・・

 以上 「ゾロアスターとマイトレイヤーの降臨」大川隆法著より


これは シュタイナーを愛し学んできた者にとって、本当に耳疑う言葉でした。


1913年9月、シュタイナーはブラヴァッキーの神智学から分派し人智学協会を設立しました。

この1913年にシュタイナーは初めて「第五福音書」の名を口にしたそうです。


以下は
1999/10/19 昔のHPにアップした文章です。



第五福音書は書物としては今日まだ存在していません。(今は出版している)将来、第五福音書は、一冊の書物として、存在するようになります。けれども、ある意味で第五福音書はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネと同じく古いものだと言うことが出来ます。
 第五福音書についてお話申し上げます前に、まづ今日は序論として第五福音書というものを十分に把握するために必要な2,3の重要な事柄についてお話しする必要があります。
やがて、小学校の歴史の授業で今日とは違った内容が教えられることになります。

 キリスト教が世界に広まり始めた頃、南ヨーロッパにはギリシア的精神生活を受け入れた教養人が数多くいました。
この世界にキリスト衝動が突入しました。数多くのローマ、ギリシア的教養、知性の持ち主に対して、単純で素朴なものたちがかなりの早さで、原始キリスト教を南ヨーロッパに広めていった。彼らはキリストを家族の一員のように愛していたのです。
当時のギリシア世界、ローマ世界にキリスト教を持ち込んだのは、教養深い神学者でも神智学者でもなく、教養のない人々だった。
単純な魂の宣教者たちが、素朴な方法で日常的な言葉で人々に語りました。そして彼らは直接に人々の心を捉えたのです。何がキリスト教拡張の原動力になっているのでしょうか
世界に浸透していったものは何だったのでしょうか。
キリスト教を広めた人々の魂のなかにあったものが、知的衝動でも道徳的衝動でもないとしたらいったい何だったのでしょうか。
キリストです。キリスト自身が、人々の心から心、魂から魂へ伝わっていったのです。
1でお話ししたような仕方でキリストが働く時代は終わり、人間がキリストを理解し認識しなければならない時代が来るのです。
キリストを認識することを可能にした出来事があるのです。いわゆる復活の50日後に生じた聖霊の光臨です。
つまり、使徒たちのような素朴な人々が誰も期待していなかったような、霊的生活の深みから発する事柄を突然様々な言語で語り始め、この時からキリスト教、キリスト衝動が人々の理解とは関わりなく、人々に浸透し世界に広まり始めたのです。
聖霊降臨とは一体なんなのでしょう。
この聖霊降臨とは何なのかと言う問いに対する、霊学の答えから第五福音書は始まります。


私たちは皆時代の子です。
近い将来に、今日ではただ暗示的にしか知られ得ない事柄の多くについてより正確に精密に語ることができ、霊的な生成の年代記をずっと正確に知り得るようになります。今日の人々にはまだ本当らしく思われなくても、このような時代が到来するのです。
まさに、この理由からこのような事柄について、今日既に準備としてお話しする義務が生じるのです。・・私が自らの気持ちを克服してお話しする・・
 自らの気持ちを克服して、と言う言葉は実際そのまま受け取って下さい。
私が身を捧げている霊的探求にとって、宇宙の霊的な文字からまさにこのような種類の事柄を読み取るのは、非常に困難で労苦の多いものであると言うことを理解していただければ、自らの気持ちを克服して、と言う言葉をよりよく理解していただけると思います。
キリスト教の秘密に関連する表象像を、アカシャ年代記から取り出すのは種々の困難と労苦を感じます。アカシャ年代記から取り出した像を必要な濃度にまで凝縮し、確固としたものに固定するのに労苦を感じるのです。けれども、このような事柄を話すという義務が課せられていることをいはば私のカルマと思っています。
もし、私が同時代の多くの人々のように少年時代にキリスト教的な教育を受けていたとしたら、これほどの労苦を感じることはなかったに違いありません。私はキリスト教的な教育を受けませんでした。私は完全な自由思想家の家で育ち、私の行った学問は私を自由思想家たちへと導きました。私は純粋に学問的な環境のなかで成長してきました。このことによって、自分がキリスト教について話す義務を負っている事柄を見出すのにある努力を必要としているのです。
 このような個人的な話をするのは二つの理由からです。
まづ、第一に、私のことについてあるカトリックの一派が全く良心を欠いた愚かで無思慮な作り話を世間に言いふらしているからです。
(シュタイナーの愚痴を聞くのは初めてで、おおシュタイナーもか!と面白く身近に感じました。推測ですが、この本のP72に・・ローマ・カトリックの信者には冒涜的に聞こえるかも知れませんが、聖ピエトロ寺院で行われているミサの原型は、かって聖ピエトロ寺院と同じ場所にあった神殿で行われていた古代のアッティス神礼拝と外見上は全く類似したものです。カトリック教会のミサは多くの点で古代のミトラ神礼拝の継承にすぎません。・・・このつづきは。3へ。)

( マンリー・P・ホールの「古代の密儀」P67に・・初期キリスト教の理念は、異教の「密儀」が持っていた高い道徳的規律に基づいていた。そしてローマの市中で密会していた最初のキリスト教徒は、礼拝の場所としてミトラスの地下聖堂を利用していた。近代キリスト教の司祭制度の大半は、ミトラス教の祭儀から借用したものである・・の文を、シュタイナーのために借用しましょう。)


 イエスは16才から18才にかけて旅をすることによって、このような祭祀の地を知りました。イエスは旅を続けます。
イエスが多くの異教の祭祀で、司祭が祭壇に供犠を捧げているのを霊視力によって見た時、その供儀の行為を通して様々な悪魔的な存在が引き寄せられてくるのが見えました。そして、また、崇拝されている偶像の多くが高次の位階の善なる霊的存在ではなく、邪悪な、悪魔的な力の模像であることを発見しました。そして、この邪悪で悪魔的な力がしばしば儀式に参列している信者のなかに入り込むのが見られました。ある理由からこのことは他の福音書には記されませんでした。今日、人間の魂に、若いイエスがヨハネによる洗礼以前に持った非常に深く大きな体験についての真の理解が可能になったため、私たちの霊的運動のなかで初めてこのような事柄が語れるようになったのです。

 24才の時、ナザレのイエスはある異教の祭祀の町に来ました。そこでは神に供儀が捧げられていました。その町の周囲には、しかし、痛ましい、様々の恐ろしい魂的な、そして、肉体にまで及ぶ病に罹った人々のみがいました。司祭たちはずっと以前からこの祭祀の町を捨て去っていました。
中略
 ヨルダン川における洗礼に至るまでに若いイエスの魂は人間の地獄を知らねばなりませんでした。
中略
高次の認識のある段階は人生の地獄を知ることによってのみ到達できます。イエスの場合にも、24才の時、どこか私には知らない土地で、当時の人類の魂の苦痛を結集したような人々の魂のなかを深く洞見することによって、灼熱した鉄が魂を貫くような叡智に沈積し、また、光り輝く霊の彼方を見透せる程の魂の霊視力を獲得しました。
 ナザレのイエスは見霊力や叡智に恵まれていただけでなく、人生を通して秘儀参入者となったのです。
 エッセネ派教団の住居がナザレにあり、イエスはここを通してエッセネ派教団を知りました。エッセネ派教団の最も智恵深い人々はある雰囲気を持っていました。彼らは「世界が正しく発展してゆくには特別智恵深い人物が現れて、救世主として働かねばならない。」という予言的な見解を有していました。そして、ナザレのイエスの魂のなかに出現した叡智に深く心を動かされました。エッセネ派教団の最も智恵深い人々がイエスを信頼して教団の秘密を腹蔵なく伝えました。イエスは25才から28才それ以上にかけてエッセネ派教団の人々と交流しエッセネ派教団の有する秘密のほとんどすべてを知りました。
ある時、イエスはある重要な霊視的印象を受けました。エッセネ派教団の人々との意味深い話し合いを通してイエスが持った体験から生じた力からある印象が魂に進入しました。この力についてエッセネ派教団の人々は何も予感することがありませんでした。
 ・・その体験は人類の進化の霊的な経過を明らかにするからです。ナザレのイエスは圧倒的な意味深いヴィジョンを見ました。仏陀が現れたのです。エッセネ派教団の人々と理念のやりとりをした結果、イエスに仏陀が現れたのです。そして、イエスと仏陀に霊的な対話がなされました。この人類進化の意味深い秘密、この霊的対話の内容を今日お伝えするのは私の責務です。この霊的な対話において、仏陀はイエスに「もし私の教えが、私の説いたとおりに完全に実現されたなら、人々は皆、エッセネ派教団のようになるに違いない、だが、そうあってはならない。俗世から離れた清浄な僧伽を作ったのは誤りであった。エッセネ派教団の人々も世間の人々から離れることによって、霊的な進化を遂げている。彼らは清められ、他の人々は依然として苦の中にいる。俗世の人々を犠牲にして自分が清められるということがあってはならない。私が説いた教えを実現すれば、エッセネ派教団のように清められた人々が出現する。だが、そうあってはならないのだ。」と語ります。

1913/9/20シュタイナーは初めて「第五福音書」の名を口にしたそうです。

「アーカーシャ年代記」の序論
 ここで提供される知識の源については、私は今のところ沈黙のうちにとどまることを余儀なくされている。そのような源についてわずかでも知る者は、なぜそうあらねばならないかを理解するであろう。
しかし、この沈黙を破ることを可能にする出来事が、時を待たずに起こる可能性がある。神智学運動の内に秘められたままでいる知識が、徐々にどれほど伝達されるかは、すべて我々同時代人の姿勢いかんによるのである。
ここに、提供できる最初の記述を始めよう。(1909年この論文は書物の形で刊行)


店主曰
最後まで、読んで下さって有り難うございます。
私は、「神話おたく」とまではいきません。ただ、好きな井戸をほりほりしてきただけです。
そして、カトリック教会の悪口を言うつもりも毛頭ありません。
私たちは時代の子です。時代って何?
私が独断と偏見で言いたい放題言うならば、「時の輪の完了」する前の時代。何かが起こりそうだと、予感させる時代。
このページは、シュタイナーが危険を冒しながらギリギリと弓を引き絞って矢を放った。まさにその先に私たちが今いるのだという自惚れが書かせたのだ、と思ってやって下さい。
シュタイナーは、最後は敵対者に毒を盛られて病み、1925年亡くなったのだと聞いております。

 では、最後は恐ろしいエピソードをご披露しておしまいといたします。

 うろ覚えのお話です。
ある地域に野ウサギが増えてしまって、困った住民が何とかならないかとシュタイナーの所に相談に来たのだと言います。シュタイナーは一羽の野ウサギの内臓の何とかを焼いて炭にして、夕方風上からその炭の粉をまいた。不思議なことに、翌日野ウサギは一羽も見られなかったと言います。
そして、新聞の片隅に小さくその記事が載りました。

それから10数年が経ちました。当時は、ヒットラーが力を持っていた時代でして、副官の誰それが同じ実験をしたそうです。
収容所に収容されていたユダヤ人が、ごそっといなくなったと噂されたそうです。
題名の怖い本に載っていました。
1999/10/19


   
新しく書き直せば良いのですが・・古いのをコピーして貼り付けちゃいました。

・・ 歳ですね。


もう少し読み込んだり まづ 理解しなくちゃ 始まりません。

なんか もうぅ

ワクワク  しちゃってます!

とにかく・・ 新しい情報 満載 の幸福の科学 !

今 話題の「エリア51」・・精舎限定の 拝聴 ですから

毎日 毎日 「行きたい~~!」 って 思っています。



人間にとって馬は特別な存在

2011-04-15 05:35:48 | シュタイナー


人間にとって馬は特別な存在です・・と言ったのは

シュタイナー

・・どういう意味 ??

ってずっと思っていた。

意味を知りたくて  馬  馬  ってあっちこっち探した。

どこにも何も 書いてなかった。


先日精舎限定のご法話があった。

新しい宇宙人・・?

そのご法話では、新しい宇宙人の話をされたようです。


友人から、そのご法話の内容を少々聞いて

シュタイナーの

人間にとって 馬は特別な存在 を  ちょっぴり理解した。

彼らは・・彼らの内の一部だろうけど

望めば次には人間に生まれることが許される 存在 だったのでは・・

友人にそう言ったら

でも今は 少し違うのでは・・という。

昔に比べて 馬は人間社会から 少し離れたところにいる

今人間たちに混じって生活しているのは、犬や猫

忠犬ハチ公なんかは、次には絶対人間に生まれるね。

銅像が建っている位人間に愛された犬だもの。

馬でいったら、昔 鞍馬天狗が乗っていた白馬かな。

ご主人様の危機にパカパカパカって現れる。

昔の戦国時代にも、戦場で矢の嵐の中を駆け抜け

ご主人様を助けた馬の話ってあっただろうね。


さて、今日は早起きをしました。

レムリア時代の女性は

2010-04-01 00:02:59 | シュタイナー
アーカーシャ年代記のつづき

少年は意志の強さを、少女は想像力を発達させた・・それによって女性は、特別な人間的諸力を発達させた。自然と結びついていた彼女たちの想像力は、表象生活のより高度な基盤となった。
彼女たちは自然諸力を自らの内に取り入れ、それらの諸力は女性の魂の内で残存効果を持った。このようにして記憶力の芽生えが形成されることとなった。記憶力とともに最初の、そして最も単純な道徳的概念を形成する能力が生まれた。

男性の間での意志の発達は、最初そうしたことは何ひとつ知らなかった。男性は本能的に、自然の刺激乃至は秘儀参入者から発せられる影響に従った。
「善と悪」の観念が最初に生じたのは、女性の生活態度からであった。

自然の諸々の徴候を解釈したい時には、女性のもとへ助言を求めに行かねばならなかった。
・・ある特定の高次の夢の中で、自然の諸々の秘密が女性に明らかにされ・・それらは魂の諸力と幻影のとの内に、彼女らの前に出現した・・動植物、意志、風や雲、木々の囁き、その他諸々が彼女らに語りかけた。

アーカーシャ年代記によって美しい光景が明らかにされる。

我々は森の中の、巨大な樹の傍らにいる。太陽は丁度東から昇ったところである。椰子に似たその樹は、その周囲から他の木々を取り除かれて、巨大な影を落としている。
巫女たちはその顔を忘我の内に東に向け、珍奇な自然物や植物でできた座席に腰を下ろす。
ゆっくりとリズミカルな継続とともに、幾つかのこの世ならぬ、間断なく繰り返される音が、彼女の唇から流れ出る。一群の男女が彼女の周りに輪を描いて座っており、その顔は夢想に我を忘れ、自分たちが傾聴するものから内的生命を吸収している。

他の光景も見ることができる。同様に設定された場所で巫女は同じように「歌う」が、その音調には何か強い、より力に満ちたところがある。彼女を取り囲む者たちは律動的に踊って動きまわる。というのも、これは「魂」が人間の内に入り込むもうひとつの方法だったからである。人が大自然から聴き取った神秘的リズムは、手足の動きによって模倣された。

ね。面白いでしょう。
今でもアフリカの一部の地域に残っている感じだね。

でも今日はここまでです。

レムリア人 少年少女の教育法

2010-03-25 09:49:06 | シュタイナー
昨日の続きです。

レムリア人の目的とする点は、意志の、表象力の発達だった。児童教育はすべてこの点へと向けられた。少年達は、この上なく激しい方法で鍛錬された。
彼らは危険に立ち向かい、苦痛を克服し、勇敢な行為を達成することを学ばねばならなかった。苦悶に耐ええない者、危険に立ち向かえない者は、人類の有用な一員とは見なされなかった。彼らはそれらの努力の末に死滅するがままにされた。この児童の教育に関してアーカーシャ年代記が明らかにすることは、現代の人間が最も奔放に思い描きうるものすべてに勝っている。
身を焦がすほどの熱に耐えること、尖った物で肉体を突くことなどは、ごくありふれた行為だった。

少女の教育はそれとは異なっていた。女児もまた鍛錬されたが、全く異質なことが、少女に強い想像力(Phantsie)を発達させるべく差し向けられた。例えば、少女は、その恐るべき美しさを冷静に感受すべく、嵐の中に曝されたし、また男達の戦闘を、恐れることなく、眼前に見る強さと力の玩味という感情のみに満たされて、目撃せねばならなかった。そのため夢想や空想の才能が少女の内で発達し、それらは高く評価された。どのような記憶も存在しなかったために、それらの才能が悪しきものとなることはなかった。

その夢想的・空想的表象は、対応する外部の原因がある限りにのみ存在した。このように、それらの表象は外部の事物に真の基盤を持っていた。それらは無根拠な戯れに終わることはなかった。それは、いうなれば、女性の心の内に注ぎ込まれた自然自身の空想であり夢想だった。

レムリア人は、その最後の諸時代を除いては、我々の言う意味での住居は持たなかった。かれらは自然が提供してくれた所・・洞くつに住んだ。必要な時にのみ改造されしかるべく備品が備え付けられた。
レムリア人は住居を目的とした建物は持たなかった。・・建物ではないが、丘は人間に喜びと楽しみを与えるような形態に作りかえられ、岩石は・・ある特定の活動に用いるために集められた。
子ども達が鍛錬された場所は、その種の塀で囲まれていた。

この時期の終わりに・・「神的叡智と神的技術」の教科を目的とした建物が、次第に精緻さと偉容さを誇るようになった。  それらは教育施設であると同時に学術施設でもあった。
資格があると見なされた者は、宇宙法則の学とその統御を伝授された。レムリア人が生来の魔術師であったとするならば、その才能はここにおいてひとつの技術と識見とにまで高められた。あらゆる訓練を通じて最も自己に打ち勝つ能力を獲得した者のみが、伝授を承認された。

そこにおいて人は、直接的観照を通して自然の諸力を識り、それらを統御することを学んだ。しかもその学習によって、自然の諸力は人間の内で意志への力へと変化した。
・・ある種の本能的活動の色合いを帯びていた。・・ここでは「本能的」という言葉を、動物界に当てはめる際の習慣となっている意味合いで用いてはならない。なぜならレムリア人の諸々の活動は、動物界が本能を用いて産み出しうるものすべてを遙かに凌駕していたからである。これらの施設の理解を助けるために、それらを「意志力と直感的表象力の専門大学」とでも呼ぶこともできよう。

それらから、あらゆる点において他の者たちの統治者となる人間が出現した。
今日、これらすべての状況の正しい像を言葉で示すことは困難だ。なぜならその当時以来地上の全てが変化を遂げたから。当時は自然それ自体が、すべての人間生活が、今日とは異質であり、それゆえ人間の労働や人間相互の関係も。今日とは大きく異なっていた。

大気は後のアトランティス時代よりも遙かに濃密であり、水は遙かに希薄であり、今日我々の地球の堅固な地殻を形成しているものは、まだ硬化していなかった。・・今は小さな形でのみ存在しているものは、そのころは巨大な大きさにまで発達していた。今日の小さなシダ類は当時は樹木であり、壮大な森を形成していた。今日の高等ほ乳動物は存在していなかった。他方、人類の大部分は、動物的と呼ばざるをえないほどの下位の発達段階にいた。先ほど述べたことは、人類の小部分にのみ当てはまる。残りの人間は獣性の内に生きていたのである。

この辺りは、「エンキの失われた聖書」の記述と一致するものがある。

今日はここまでです。今日は




レムリア人の教育法

2010-03-24 14:39:00 | シュタイナー
シュタイナーの「アーカーシャ年代記」にレムリア人の教育法という記述がある。

いわゆるレムリア人は、アトランティス根源人種に先立って存在しました。
既にアトランティス人の優れた記憶力のことは書きました。
記憶力はこのレムリア人種の間では、まだ発達してはいなかった。

人間は事物や事象の表象〔(知覚に基づいて意識に現れる外的対象の像のこと)・・なんですって・・本当にわかりにくい言い回しです〕を形作ることはできたにもかかわらず、それらの表象は記憶に残ることはなかった。それゆえレムリア人は真の意味での言語をいまだ有していなかった。むしろかれらが発し得たのは自然音であり、それはかれらの感情や快感、喜びや苦痛などを表現したが、外部の対象を指し示すことはなかった。

レムリア人は、この力を通じて、彼らは自己の環境に働きかけた。他の人間や動植物、さらには無生物までがこの作用を感知し、ただ表象によって影響されえた。
それゆえにレムリア人は、言語の必要なしに仲間と伝達しあうことができた。この伝達は一種の「読心術」であった。

レムリア人は、その表象の力を、自分を取り囲んでいる諸物から直接引き出した。
力は植物の成長力から、動物の生命力から、彼の中に流入した。動植物をその内的作用と内的生命のもとに理解した。
実際またレムリア人は無生物の物理的・科学的諸力をも同様に理解した。

レムリア人が何かを建造する時には、あらかじめ木柱の積載限度や築石の重量を計算する必要はなかった。彼はその木柱がどれほどの重さを支えられるか、その築石が重量から考えてどこに合い、どこに合わないかを見ることができた。このようにレムリア人は、技術的知識なしに・・・建造を行った。さらにレムリア人は自分自身の肉体に対して非常な力を有していた。必要な時には、単なる意志の努力によって腕の力を増すことができた。

例えば、単に意志の発動によって、彼は非常な重荷を持ち上げることができた。
後代にはアトランティス人が、自らの生命力の制御から助力を得た。レムリア人は低次の人間活動のあらゆる分野において、・・・この表現は誤解されてはならないが・・・・生来の魔術師だったのである。

あぁ・・今日は教育法まで行きませんでしたね。
でも、この後はワクワク  面白い。

私がこの本を初めて読んだのは・・昭和63年だから・・いまから20年とちょっと昔で、当時は難しくてよく分からなかった。今だって難しいけど挑戦する意義はある。


いまから夕食の買い物です。
またねぇ~☆

万人の万人に対する戦い とは

2010-03-05 07:42:39 | シュタイナー
新太陽の法には、
アーカーシャの記録を実在界で見てきた人としては、スウェデンボルグ、ルドルフ・シュタイナー、「黙示録」のヨハネが光子体離脱をしてアーカーシャの記録を見てきて、それについての報告をしています。皆8次元如来界の人です・・ 

「黙示録」のヨハネが見てきたという、新約聖書にある人類の未来図・・彼が見てきた人類の終末的様相は、この20世紀から21世紀初めに人類を襲うことになっている危機的ヴィジョンであったことは真実です。p21  と書かれています。

大川隆法総裁の「奇跡のメカニズム」のなかで  本能のままに、「万人の万人に対する闘争」という生き方をしたら、大変な社会になる・・と言及した箇所があります p41 が

シュタイナーの神智学では「万人の万人に対する戦い」という時代が、未来に来ると予言しています。

シュタイナーの黙示録の秘密 より

「今日、文明国に受肉している魂は、かってアトランティス大陸に受肉していた」といわねばなりません。アトランティス大陸で、少数の魂がみずからにふさわしい方法で進化してきました。魂は進化したので、より進化した体の中に受肉することができるようになった。
進化から取り残された魂のみが、低い段階にとどまった体のなかに受肉しなければなりませんでした。

常に進化から取り残された体に受肉しうる魂が存在するのです。自分から結びつくのでなけらば、いかなる魂も進化から送れた体には受肉しないのです。・・・
地上での使命を正しい方法で通過した魂が、ある人種に受肉します。この人種のなかで、この人種の能力を習得し、つぎにはより進んだ人種に受肉しようとします。ただ、物質から抜け出ようとしない人種のなかに下った魂は、みずからの重さによってその人種のなかにとどまります。そのような魂は2度場合によっては3度、同じ人種の体のなかに受肉します。このことが、ある伝説のなかに見事な方法で語りつがれています。・・・

キリスト・イエスを拒否したためにいつもおなじ人種のなかに受肉しなければならないアハスエルスの伝説(永遠のユダヤ人)のなかに語られています。
このような伝説のなかに人類進化の偉大な真理が描かれています。いかなる魂も不当に古い体にとどまってはなりません。・・前進せよと叫ぶ声を聞く魂は、「万人の万人に対する戦い」という大きな破壊の時期を乗り越え、今日とはまったく新しい体のなかに現れるでしょう。

たとえば、アトランティス人の体を今日の人間の体とおなじようなものだと考えるのは近視眼的な見方です。何千年という時の流れのなかで、人間の外的な体つきも変化するのであり、「万人の万人に対する戦い」ののちに現れる人間は今日の人間とはまったく違った形姿をとるでしょう。

今日、人間はある点で善悪を隠すことができるように作られています。たしかに人間の顔つきは多くの秘密を明かし、顔立ちから多くのことを読みとることができます。しかし、悪党が無邪気な顔つきでやさしく微笑んだり、立派な紳士だと思われたりすることが、今日ではまだ可能です。逆の場合もあります。・・魂の聡明さ、愚かさ、美しさ、醜さを、普通の顔つきの背後に隠すことが今は可能なのです。
このようなことは「万人の万人に対する戦い」のあとにやってくる時空においてはもはや起こりません。額、顔つきに、その人が善人か悪人かが書き込まれるのです。魂の内奥が顔に現れるのです。・・「万人の万人に対する戦い」ののちには2種類の人間が存在することになります。

「万人の万人に対する戦い」ののち、今は魂のなかにかくれているものすべてが、だんだんあらわになってきます。ある本によって、7つの封印が解かれねばなりません。この本とは、どの本のことでしょうか。その本はどこにあるのでしょうか。

黙示録のなかでは、何が本、聖なる書といわれているのかを、はっきりさせようと思います。聖書のなかでは「本」という言葉はごくわずかなところにしかでてきません。このことを見過ごしてはなりません。創世記5章1節には、「これは人間の系統の本である。神は人間を創造し、人間を神の似姿につくり、彼らを男と女に創造した」云々とあります。「本」という言葉がふたたび現れるのは、第一福音書の第1章です。「これは、アブラハムの子、ダヴィデの子、イエス・キリストの誕生の本である。アブラハムはイサクを生み、イサクはヤコブを生み」云々と書かれています。ここでも、系譜が数え上げられています。そして「本」という表現はふたたび、ヨハネ黙示録のなかにあらわれます。子羊のみが7つの封印のある本を開くにふさわしい、という箇所です。「本」という言葉はいつも決まった意味で使われているのです。原典を文字どおりに理解しなければなりません。今日でいう本のことがいわれれいるのではありません。「土地台帳」という表現のほうが、本という言葉のかつての意味を残しています。

本という言葉は、何かが連続して記入されているものを指す言葉でした。綿々と相続されるような、所有権を記したものを指す言葉でした。伝えられていくものを明らかにする文書を指す言葉でした。
旧約聖書においては、本という言葉は、血をとおして受け継がれる系統を記録する文書を指しています。系図を記録する以外の意味では、本という言葉は使われてはいません。
おなじく、第一福音書において、本という言葉は系図を記録したものを指すために使われています。つまり、時間のなかでつづいて生じることが「本」に書かれているのです。時間のなかでつづいて生じることの記録以外のものが、本という言葉で示されていることはありません。ほぼ、年代記とか、歴史とかいう意味で、本という言葉は使われたのです。

いま人類のなかに置かれ、文化期から文化期へと人間の自我のなかに書き込まれ、人間の魂のなかに書き込まれ、「万人の万人に対する戦い」ののちに封印を解かれるこの「生命の本」のことを、黙示録はいっているのです。この本のなかには、諸文化期が記入されています。昔の本に系図が書き込まれていたように、この本のなかには人間が霊的に到達したものが記入されています。


「新太陽の法」には諸文化期が書かれてい、20年ちかく封印されていた霊言や預言が今嵐のように語られはじめていることを知って下さい。

「万人の万人に対する戦い」の時代は、既に始まっているのではないでしょうか。


シュタイナーの アーカーシャ年代記より

2010-03-03 22:58:47 | シュタイナー
シュタイナーの「アーカーシャ年代記より」には、初期のアトランティス人の姿が書かれている。

その第2章は、こう始まる。

通常の歴史によっては、人は先史時代の人類の経験のわずかの部分しか知ることができない。歴史的記録は、ただ2,3千年間を照らし出すにすぎない。・・・

この序文に続いて、アーカーシャ年代記に基づくいくつかの章が示される。まず、アメリカとヨーロッパの間にいわゆるアトランティス大陸が存在した時に起こった事象を記述することにする。我々の地球表面のこの部分は、かって陸地であった。今日ではこれが大西洋の海底の一部となっている。
プラトンは、ヨーロッパとアフリカの西方に在った、この大陸の最後の名残であるポセイドン島について語っている。 

     略

ここで提供される知識の源については、私は今のところ沈黙の内にとどまることを余儀なくされている。そのような源についてわずかでも知る者は、なぜそうあらねばならないかを理解するであろう。しかし、この沈黙を破ることを可能にする出来事が、時を待たずに起こる可能性がある。神智学運動の内に秘められたままでいる知識が、徐々にどれほど伝達されるかは、すべて我々同時代人の姿勢いかんによるのである。ここに、提供することのできる最初の記述を始めよう。



我々のアトランティスの先祖達は、我々とは異なっていた。この相違は外観だけにとどまらず、精神的諸能力にも及んでいた。
論理的知性や算術的結合力が、最初のアトランティス人には全く欠けていた。
他方で彼らは、高度に発達した記憶力を持っていた。

例えば計算が必要な場合は、同様な、あるいは類似した状況を思い出すことによって対処することが出来た。彼らは以前の場合はどうであったかを想起した。
我々は、新たな能力がひとつの生体の中で発達する時にはいつも、古い能力は力と鋭敏さを失うという事実に思いを致す必要がある。

今日の人間は、論理的知性においてアトランティス人に勝っている。しかしその反面、記憶力は退歩した。現代では人は概念によって思推するが、アトランティス人は心像によって思考した。
アトランティス人の教育方式は、人生のすべてに画一性をもたらした。長い年月にわたって、物事は幾度も同じやり方で繰り返された。その忠実な記憶力は何者にも進歩することを許さなかった。

人びとは、かって「見た」通りに行為した。発明することはなかった。思い出すだけだった。権威者とは多くを学んだ人物ではなく、むしろ多くを経験し、従って多くを思い出せる人物だった。人びとは、長年の経験を顧ることのできる人物のみを信頼した。

論理的に思考する力がアトランティス人(特に初期の)に欠けていた一方で、彼らの高度に発達した記憶力は、彼らのなすことすべてに対して、ある独特の性格を与えた。ひとつの人間の力の性質には、他の諸力が常に関係している。
記憶力は知力よりも、人間のより本性的基盤に近く、記憶力と結びつきつつ発達した他の諸力もまた、現代の人間のそれらよりも、下位の自然存在の諸力に一層近いものだった。

生命力をアトランティス人が制御することができたのは、このためだった。
今日人が石炭から熱エネルギーを取り、我々の移動の機関のために運動力へと変換するように、アトランティス人は、生体の種子力を自分たちの科学技術に役立てる方法を知っていた。

ひとつの穀粒種子を思い浮かべるとする。この中に一つの力が眠っている。この力が、その穀粒種子から目を芽吹かせる原因となる。自然はその種子に眠っている力を目覚めさせることができる。しかし現在の人間はこれを意のままにすることができない。彼はそれを地中に埋めて、自然の力に発芽を任せねばならない。しかしアトランティス人は異なっていた。

植物は、アトランティス時代においては、単に食料品としてだけではなく、その中に眠る力を交通や工業に役立てるために栽培された。  いうなれば  植物の種子を焼き、生命力を技術的に利用可能な力へと変換するための機械装置を持っていたのである。
地上よりわずかに浮上して行くアトランティス人の乗り物は、この方法で作動していた。

我々は、時の推移とともに地球上のすべての状況が著しく変化したことを、心に描く必要がある。
今日では、今述べたアトランティス人の乗り物は、全く役に立たないだろう。
なぜならそれらが役に立ったのは、そのころ地球を取り巻いていた大気が、現在よりも遙かに濃密であったという事実に依存しているからである。

そのころ地球上のすべての水が現在よりもずっと希薄であった。この希薄さのゆえに、水はアトランティス人の種子力によって、今日では不可能であるような工業用用途へと当てられた。
水が密度を増してきた結果、かって可能であったような巧みな方法で水を動かし利用することが不可能となった。アトランティス人の文明が我々の文明と根本的に異なっていた。
アトランティス人が水を飲むと、その水は彼自身の体に先天的にある生命力によって、今日の肉体に可能なそれとは全く異なった仕方で摂取された。

今日はここまでです。