今日は朝から
実家にいたので
子どものお守
というのもありましたが
次から次に
いろいろ言われて
1日あったはずなのに
体感でいうと
3時間lくらい。
旅行のガイドブックを見て
調べまくるぞ
と思ったのに
一つもできませんでした。
といいつつ
わたしがしたこと
といえば
しゃけ寿司の準備を少し手伝ったことと
風呂の用意をしたことくらいで
あとは
なにもせずに
ボーとこたつに入っていたのです。
何もしないそれが実家
とも言う。
今日は朝から
実家にいたので
子どものお守
というのもありましたが
次から次に
いろいろ言われて
1日あったはずなのに
体感でいうと
3時間lくらい。
旅行のガイドブックを見て
調べまくるぞ
と思ったのに
一つもできませんでした。
といいつつ
わたしがしたこと
といえば
しゃけ寿司の準備を少し手伝ったことと
風呂の用意をしたことくらいで
あとは
なにもせずに
ボーとこたつに入っていたのです。
何もしないそれが実家
とも言う。
雪の日は
外に出ないも~ん
と思いつつ
雪も降らないけど
外に出なかったのだ。
そして
今日は旅に出たら何をしようということだけを考えていました。
わたしは
確実に回復している。
一年半くらい前まで
わたしは二度と旅には出ないだろう
と思っていた。
わたしのような貧乏で
未来のない女には
余暇に何万円もつぎこむなんて
非道徳的な行為としか思えなかった。
ほかのひとの旅行の話は
うらやましいというよりも
まったく自分とは接していない外国文化の話のようだった。
でも本来のわたしは
根っからの旅好きな人間だった
と最近思い出した。
計画するワクワク感や
どこか知らない土地に行く現実逃避的な浮遊感。
はじめて乗る乗り物も
見たことのない地図や地下鉄路線図の解読も
大好き。
わたしはどこに行こうが
自由なのだ。
そう思うことができるのは
自分の中に希望があるからだと考えていました。
少し先の未来を楽観できるからこそ旅に行くことができる。
少し前のわたしは日常をこなすことで容量オーバーだったのです。
同じような方向性の話で
少し前まで
生理などいらない
なぜならもう子どもを産まないから
と思っていたのですが、
その考えも変わりました。
生理がある
ということは
こんな私にも
女性としての機能が備わっているという確認であり、
産まない未来のほうが可能性は高いけど
産む未来だって
あっていいのだ
という許しに感じるのです。
生理は希望。
そんな感じで今日はしめくくります。
去年の日記によると
一週間前には積雪があった模様。
そして三寒四温がつづいて
子どもは熱を出し
わたしは通っていた学校を休んだりしておりました。
今年は
腹に力を入れて生活するほど
寒い日がなかったと言おうと思って
まだまだ油断ならないのだな
と思うのです。
明日はチョコをつくります。
溶かして固めるだけです。
そういう実験をして楽しむ時間です。
なぜならふつうにチョコ買って食べたほうが
安いし美味しい。
たまにそう言っている男性の方もおりますけど、
女の子の気持ちを前にそんなことを言うのだろうか。
と問いかけてみたい。
言う。
と言われたら
被り気味にてガン無視。
草食男子。
ってなんでしょうか。
そんな男子が存在するのでしょうか。
議論はともかく
生殖能力の低い情けないイケメンを総称してみたのでしょうか。
ポイントはイケメン。
どんなに
中身のない薄っぺら男子でも
まわりもふくめて
イケメンに引きずられる女の子は正直多いです。
けっこうなところまで許す。
わたしは
電車でイケメンを見かけても
目の前にお年寄りが立っているのに
ゆずらないだけで
殺意が芽生えます。
もっというと
電車で隣の人に気を使わないで
大きめに座っている人も嫌い。
イケメンだともっと…。
で、
イケメン好きを責めているわけではないんです。
それはぜんぶ遺伝子の仕業です。
見てくれのいい遺伝子は強いですから
よりよく生き延びる子どもをつくるために
男も女も見た目のいいのに発情するわけです。
なんて
話を今日、焼き肉を食べながら話していました。
そういうわたしは
才能ありそうな雰囲気だされると
ころり
です。
たぶん遺伝子が才能を求めているのだ。
プチトマトがどうして苦手なのか。
そのことについて
ずっと上手に説明できないでいました。
あの皮を破った時のプッチ!感が苦手
という説明でお茶をにごしておりました。
プッチ感。
確かに苦手だけど
実は
そこまでない
のです。
味は確かに青臭いけど、別にまずいとも思いません。
味が濃いので悪くない。
友人が
イチゴみたいに
プチプチ食べるよ。
と驚きの発言をしていたのですが、
先週くらいに買ったプチトマトは
皮がまだ柔らかくジューシーで
これはイチゴ感覚も分かるな
と納得する自分がいたのです。
今日、プチトマトのへたをとって水洗いしているときに気がついた。
わたしがどうしてプチトマトを嫌いかというと、
己を曲げない感じがするからです。
このプチトマトというのは
自分が小さくてカワイイということを
熟知しており、
それをいいことにずいぶんしゃしゃり出てくるのです。
お弁当に入れても
サラダに入れても。
そして誰とも同調しない。
どんな食材とも混じり合おうとしない。
そういう自己中心的性格を
プチトマトに感じて
嫌いだったのです。
火を通すと柔らかくなって
他の食材とも同調するではないか。
というプチトマト側の意見の方もおられましょう。
それにしたって、
プチトマトは
自分の甘酸っぱさをずいぶん出してくるのです。
それはふつうのトマトの比ではありません。
トマトの何十倍と言う自己主張。
パスタにもプチトマトを使った場合は
トマトのパスタではなく
いちいち
プチトマトのパスタ
と冠をつけなくてはなりません。
あなたわたしに火を通すなんて
ずいぶん贅沢なことしてくれたじゃない!
あいつは鍋の中から言ってきます。
わたしは
生のプチトマトを食すよりも
火を通して食べるほうが多いのですが、
それも
わざわざその存在を
ただのトマトと同じ扱いにしてやる
というプチトマトイジメなところが気に入っていたのかも。
明日のお弁当もプチトマトを持っていきます。
ビニール袋に入れて持っていき
プチプチ食べてやります。