最近思ったことですが、
ひとには
自分の宗教がある人
と
ない人
に分類される。
「宗教」と書くとなんだか誤解されそうですけど、
大事なのは「自分の」という部分です。
他人が作ったやつじゃない。
自分だけが独自に決めた考え方。
確固たる信念
とはまた微妙にずれていて
「それ違うよ」
とはたから思われたり言われたりしても
実際
自分の内側から納得しないと意見を曲げなかったり、
とくに論理だてているわけでもなく
強く信じているものがあったり
あと
そういうひとは
他人の意見をそのまま借りることはしない。
影響受けてないフリまでする。
思考が深いとはまた違って
けっこう
薄っぺらだったりしても
「自分の宗教」があるひともいる。
それが良い悪いじゃなくて
その
「宗教」があるひとのなかでも
それに共感できないと
うまくそのひととは折り合えないな
と最近気がついたのです。
もちろんわたしは
自分の中に頑固なほどの宗教があります。
他人にそれをとやかく言われることを
嫌います。
だからこそ
同じタイプのひとと
うまくいかないのかもしれない。
まあまあ
どんなひととも表面的にはうまくやれて
同時に
内面的にはうまくいかないんですけど。
今日は電車で3駅先のハローワークに自転車で行ってきた。
昨日とは真逆の方向に行きました。
新しい道を自転車で疾走。
この道の先はどうなっているのだろう?
という
わたしの旅欲求が
だいぶ満たされます。
角を曲がると
今日もまた
八重桜並木に出会った。
ひとには
自分の宗教がある人
と
ない人
に分類される。
「宗教」と書くとなんだか誤解されそうですけど、
大事なのは「自分の」という部分です。
他人が作ったやつじゃない。
自分だけが独自に決めた考え方。
確固たる信念
とはまた微妙にずれていて
「それ違うよ」
とはたから思われたり言われたりしても
実際
自分の内側から納得しないと意見を曲げなかったり、
とくに論理だてているわけでもなく
強く信じているものがあったり
あと
そういうひとは
他人の意見をそのまま借りることはしない。
影響受けてないフリまでする。
思考が深いとはまた違って
けっこう
薄っぺらだったりしても
「自分の宗教」があるひともいる。
それが良い悪いじゃなくて
その
「宗教」があるひとのなかでも
それに共感できないと
うまくそのひととは折り合えないな
と最近気がついたのです。
もちろんわたしは
自分の中に頑固なほどの宗教があります。
他人にそれをとやかく言われることを
嫌います。
だからこそ
同じタイプのひとと
うまくいかないのかもしれない。
まあまあ
どんなひととも表面的にはうまくやれて
同時に
内面的にはうまくいかないんですけど。
今日は電車で3駅先のハローワークに自転車で行ってきた。
昨日とは真逆の方向に行きました。
新しい道を自転車で疾走。
この道の先はどうなっているのだろう?
という
わたしの旅欲求が
だいぶ満たされます。
角を曲がると
今日もまた
八重桜並木に出会った。