yuuの夢物語

夢の数々をここに語り綴りたい

2006/03/18 今日は雨が・・・。

2006-03-18 16:21:02 | Yuuの日記




今日は終日しとしとと雨が降りている一雨ごとに春が来るのか・・・。

少し寒いが、この寒さが春をつれくると思うと愛おしい・・・。
昨日一太郎を買ったのだけれどバージョンアップのものだったので返品にいく・・・。その帰りに買い物を・・・。
ほうれん草2束98円、ブロッコリ98円、シメジ78円、えのき3袋98円、鰤、鮭、マグロ、秋刀魚を買ったが・・・。いつもの安売りの店ではないので安いも高いもわからないが・・・。
これから公演の準備をしている劇団員の夕餉作り・・・。カレーに水炊き握り飯・・・ そんなもので・・・。
昨日パソコンが退院した・・・。画面が大きく疲れない・・・。使い慣れたものが一番か・・・。

九太郎が行く・・・10


主は今日も舞台で忙しく俺のことを書く時間がないらしい。今日はFM放送が取材に来て主は早く起きたので、機嫌が悪いので近寄りがたいが・・・。こんな日は近寄らないに限る。ということなので三太郎の物語の続きを・・・。
三月某日
初春の陽射しはまだ冬のように弱々しく底冷えのする日だった。それでも、貫之さんの西に面したその部屋には、大きな硝子の一枚戸があってぽかぽか暖かくて眠りがおいでおいでと手招きをしくれるような日だった。
 俺が日溜りの中で両手両足を伸ばして寝ていると、主人が来て何やら捜し始めた。まあ、こんな事は良くある事なので別に気にする事もなく、転寝を装って目線を張り付けていた。ベッドの下から写真集を取り出してペラペラと捲っていたが、気に入ったのがないのか元の位置に返した。
「ろくな女子がいない。子奴の女性に対する審美眼はどうなっているのだろうか」
 主人はブツブツと独り言を言いながら、両の手をダラリと下げて歩き回っていた。その姿はマントヒヒのそれであった。静さんに内緒でよくヌードの写真集を見にくるのだが、写真集ではないとすると一体なにを捜しているというのだろうか。 
 どうも物書きの端くれのなす行動は理解の範疇を越えていることが多いのだ。詰まり、懈怠な行動が俺の正常な頭を混乱させることが多いいのには参るのだ。此処に来て頭が悪くなったのはどうやら付き合う人間のレベルが低いということなのだろうか。常識とか道徳とかと言う考えがこの一家にはないのだった。だが、一面では賢くなっている。屁理屈や、ジョークや、比喩、暗喩などには長けたし、政治経済、国際問題などは、茶店でお客と意気軒高に興奮して遣り合っているので、普通の人間や動物には負けていないと自負している。この前など、貫之さんと道真さんを前にして、
「雄であれ、徹底して雄であれ」
 と言っていた。男は雄ではないのだろうかと考えたものであった。そして、
「人間と言う奴は愚かで、間抜けで、大馬鹿で、自分勝手で、欲張りで、吝嗇で、どこを取っても良い所は有りゃしない。便利さを金で買い、本能を文明と引き替えにする。何時の間にか人間は動物ではなくなったのだろうか。犬や猫ですら、お互いの性器の匂いを嗅ぎ相手を選別しているというのに、人間はどうか、鼻が利かなくなってその判断力もなくしてしまっている。コンピーターがどうの占いがどうしたと、生きる道とか定めまでそれらに頼っている。なんという情けなさ、愚かしさ、動物としての感、本能で生きなくてはならんのに、化学科学に頼り過ぎている。だから、人間の男を捨てて、動物の雄になれ」 その話を聞いて、人間を哀れに思ってしまった。また、主人の考えが何だか解るようにも思われたのだった。人間と言う奴は己れで生きていく道を狭くし、生きていく未来まで短くしょうとしているのか。その道ずれに他の生物まで引き込まては堪ったものではないない。いい加減にして欲しいものだ。そう言えば、俺なんかも人間に飼われて本能をなくしていることに気ずかなくてはならないのだ。三食昼寝付、まあ、俺の場合は二食昼寝付だが、鼠とかゴキブリが目の前をうろついてもやっつけてやろう、食ってやろうと言う本能がなくなっているのだ。これは恐い事である。例えば、喉に支えた自分の毛を草を食んで吐き出して、綺麗にするという事まで忘れると自分の毛が元で窒息死ということになる。これは猫として大変に恥かしいことである。 
 と言うようなことを主人は言っているのだろう。二人の息子に、動物としての雄であれ、人間としての男でなく、動物として生きる事、即ち本能を大切にして生きよ。詰まる所主人の言いたいのは、自然の中に生きよ、本能の中にある理性で生きよと言っているのだった。
 俺は、益々主人が好きになり、雄の身でありながら胸が熱くなり、心がときめくのを覚えたのだった。猫族は、人間と違い同姓で愛するということはしない。だからこの場合、主人に対して、尊敬と友情と畏敬の念が湧いたということにしておこう。
「これであったか。最近、電話料金が上がったと思ったら。また例の病気が出たのだろうか」
 と主人は心配顔で言った。手には一枚の紙切れを持っていた。
「小野小真智。ふーふん、まるで、深草の少将を袖にした、オノノコマチと読めるではないか。ひょつとしたら、百日間一日も欠かさず電話をしたら、あなたの想いのたけを認めて上げても良いわよ。とかなんとか言われてせっせとダイヤルを回しているのではなかろうか。一体何を話すというのだろうか。一週間位ならどうにか話題もあろうが、だんだんと話す事がなくなって・・・。これは、大変な女子に懸想をしたものであるな。生半可な頭では振り向かせる事など出来りゃしないぞ。振り向かせる事が出来なかったとき、得度して坊さんになると言うようなことを言うのではあるまいな。庵を結んで世を捨てるというような事を言うのではあるまいな。自棄くそになって遊興に明け暮れ、馬に船に自転車、ファツションヘルスにソープランド、挙げ句の果てに自動車で海にドボンと言う様な事にならねば良いが。だが、考えてみれば、これほどの女子なら我が家に是非嫁に来て貰いたいものだ」
 主人は、何やら途轍もない空想に捉われたようだった。「十を知りて一を知らざる如くせよ」とは、菊池寛の言であるが、どうも主人は一を知りて十を知ったような想いになるらしい。子供に対する親心とは言い難い。自らがどうも登場人物として加わりたいという、出歯亀の根性で、遊びの感覚であるように思われる。
 五右衛門君が雌犬を求めて遠吠えをしているのが聞こえてきた。
「雌よ来い。雌よ来い。こっちは血統書付きの柴犬で、セックス上手で、話が巧い。人間社会のいざこざは、環境問題、国際関係、何でもござれの知識犬。損はない、損はさせない、飽きさせない、退屈はさせない、雌よ来い。雌よーこーい」
 と言うような誘いを叫んでいるのだろう。猫語と犬語は人間に飼われ始めて以外と近くなったが、まだまだ理解に苦しむ語彙があるのだ。五右衛門君には俺の肛股を匂われたことがある。柴犬らしく多少のことでは慌てずに、悠然としている。そんな所は是非にも見習いたいものである。
「五右衛門の奴、発情して自分を過大に評価して売り込んでいるわい。誇大広告は良くない。それは詐欺犬のやることで、わが家の愛犬としては相応しくないのだ」
 主人は、独り言を言って部屋を出て行った。その後ろ姿を見て、犬語が解る主人に人間の動物的感を見たのだった。

春の夜もこんな本に親しんでは・・・。

中高年のための文章読本中高年のための文章読本
市民講座の文章教室に通う中高年が増えている。だが、いざ「作品」を読んでみると、なんと退屈きわまりないことか。りっぱなこと、えらそうなことを書こうとするからだ。自分にしか書けない“創造的な文章”はどうすれば書けるのだろうか?長年蓄えた知識や肩書はいったん捨てて、キラッと光る、一回限りの表現をめざしてみよう。それは、自分の後半生の新しい姿を模索することでもあるのだから。一読三嘆!いまだかつて無かったフリースタイル文章術。書くことのよろこびを通して、“私”をとりもどす。中高年のスゴイ作品満載。
【目次】
第1章 肩書のない一人の人間として/第2章 誤れる文章観/第3章 “自分にしか書けないこと”の追究―創造的文章の方法1/第4章 文章は“目”で書く―創造的文章の方法2/第5章 “メモ”や“走り書き”の鮮度を生かす―創造的文章の方法3/第6章 文章セラピー―書くことのよろこび
人生の物語を書きたいあなたへ人生の物語を書きたいあなたへ
教授兼作家である著者が、「いいものを書く」ために必要なことを、あますところなく語る。記憶をどう呼びおこすか、アイデアとは何か、シーンのつくり方、実在の人をどうやって登場人物に変えるか…。本書には、元新聞記者、高校教師など、創作講座の受講者が数名登場し、読者とともに課題にとりくむ。彼らは、練習をかさね、書きつづけてはじめて、自分がほんとうに書きたかったこと、人生の重要なテーマに気づいてゆく。一つのアイデアが一編の作品へと成長していく過程をていねいに見せてくれる、読みごたえのある一冊。
【目次】
1 さあ、はじめよう/2 記憶を呼びおこす/3 シーンをつくる/4 アイデアをエッセイにする/5 実在する人を登場人物に変える/6 作家の「声」をもつ/7 宝さがしをする/8 暗喩という魔法をつかう/9 建物をきずく/10 読者につたえる
旅の書き方教室旅の書き方教室
旅に出たい、旅に出たらその感動を人にも伝えたい、そんな思いを抱くあなたに贈る。―地球の歩き方、書き方読本。
【目次】
国内編(こりゃ阿寒/嵐も吹けば雨も降る/幻想と革命/標津のカラス ほか)/海外編(ボスフォラスの町を歩く/ぶらっと台北三日間/同窓会ニューヨークへ飛ぶ/師の念願 ほか)

一雨が春を連れてくこの頃は
           雨の音にも心浮き立つ

 2006/03/18少し寒いのは雨の所為か二月堂のお水取りは何時なのか・・・。