
21年かけて持てる力の限りで作った映像による長編叙事詩「線路端の猫戯子」が全く受けないのは、作り手としてある種の快感だと以前書きました。
動画サイトをつまみ食いするだけの連中にこれがわかってたまるか!
でもねえ、反面これをわかってくれる人が一人、また一人、増えてくれれば素直に嬉しいこと。
分野を問わず作品は使ってもらうこと観てもらうことで完結するのは間違いありません。そのために作ったわけですから。
セルフプロデュースも考えるべきなのか、このところ迷っています。
ホームページにそのための項目を作り始めていますがイマイチまとまっていません。
La jeunesse,c'est la passion pour l'inutile. / Jean Giono.Yriomphe de la vie
青春とは、役に立たないことに対する情熱である。/ ジャン・ジオノ「人生の勝利」
格言とか名言なんて、自分にできないことを反省して語るくだらないものばかりですがこれは唯一同意する言葉です。
「線路端の猫儀粉」はこの言葉を目先のニンジンにして歩き、走り、迷い、堂々巡りに陥りながら創り上げた、自身の合わせ鏡。
所詮、現代社会という壮大なドラマの底辺に埋もれたその他大勢村人たちの一人。
線路端のどこにも生えているネコジャラシの一本。
そんなところから生まれた、意味も教訓も価値も無い映像作品でいいのかも。
やっぱりこのまま動画サイトの片隅に埋もれているのが正解なのかもしれません。
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