ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

お祭り会館を作りたい!

2006年12月23日 09時29分37秒 | 祭人
私用があって埼玉へ行った。時間が少しだけあったので川越お祭り会館を見学してきた。
5年ほど前の町づくり先進地視察で訪れたことのあった川越の街中だが、その中心地に
お祭り会館が建設されていた。(平成14年オープン)
駆け足の見学だったので細部までは分からないがなかなか雰囲気のある建物と展示内容で
あった。

川越は小江戸と言われるように蔵を中心とした門前町を上手に残した町だ。
ウダツが上がらないの語源、蔵の上にあがる装飾のついた立派な蔵が残る街並みだ。
町の中心地が駅の方へ移り、さびれてきた古くからの商店街の活性化を狙って町づくりが
展開された。町づくりの成功例として全国から注目されている。

ただ、今回のお祭り会館の建設は、どうも官主導型であったようだ。
建設地と建設プランなどについて地域住民(蔵の会という)となかなか折り合いがつかな
かったようである。街中に大きな建物を造ることと町並みを維持することに不具合が生じ
ることになったからだ。

しかし、建物に入ってその苦労の後が分かるようだった。
通りからお祭り会館に入るのだが、「えっ」と思うほど入口が小さく、奥が深い。つまり、
通りからは大きな建物を予測できないくらい入口を圧縮した形で、通路でどんどん奥へ
入って行きホールに行き着くという形なのだ。建物の内部は暗くしてあって雰囲気十分で
あった。

展示の山車(山車とは人形などの乗る屋台をいう)は、川越祭りに参加している
実際の山車である。祭礼に曳き出されるのは30台弱だそうだが、現代になって
造営されたものもあり、会員にかっている山車のみが祭りに参加することを許さ
れているようだ。その内の重文に指定されていない山車が毎年祭礼終了後から2
台ずつ展示されている。

話しは変わるが、二本松でも菊人形展示期間中に各町内の太鼓台を展示したこと
があった。しかし、空調などの設備や管理が不十分なのdで展示の後の後遺症が
甚大で、木部の狂い、提灯が伸びるなどがあって二、三年で持ち回りの展示は取
りやめになった。
その後、菊人形に展示されるようになったのレプリカで市所有のものである。
これは歴史資料館に常設になっている。
だが、ご承知のように資料館の展示室は屋根が低く、見せどころのスギナリが
天井につかえる始末で、計画性が全くないのが現状なのだ。

お祭り会館は建物があればいいというものではない。
また、太鼓台を展示できればいいというものでもない。
運営は難しい。
どうすれば、通年で素敵な提灯祭りに年中出会えるか・・・である。
このことをシッカリと考え、人を呼べる仕組みをつくり、誰がどのように運営
して行くかを考えないと失敗する、と思う。

これから、来年にかけて多くの人の話や研究をつづけて実現させたいものだ。

お囃子の魅力

2006年12月22日 13時20分43秒 | 祭人
二本松提灯祭りのお囃子は福島県重要無形文化財に指定されている。
だから、どうした・・・という人もいるかも知れないが、とにかく独特のお囃子である。

お囃子のルーツはいろいろな説あるようだ。
江戸の流れをくむというけれど、江戸の祭り囃子とは似ても似つかない。
局の中に「祇園」という言葉もあるけれど、京都の祇園祭がルーツではないようだ。
長い年月をかけて伝播してゆく過程で変化したものと思われる。
東北の風土がそうさせるのか、短調でものがなしいところがある。
いくらアップテンポでも、やはり、哀愁のようなものがウラにあるようだ。

今年、お祭りのライブ版CDを出してみた。
今までのCDやレコードはスタジオで録音したものだ。
ハイ、演奏して!と言われて録音したものだから、生の音とは違いがある。
屋外、生で有る分、当然他の音も入るし人の話し声もある。

しかし、やはり祭り本番に演奏される曲だから、これが本物なのである。
本番にかける演奏者の意気込みは、やはりノリが違う。
周りではやし立てる合いの手や掛け声も合わせて お囃子 と言えるハズである。

詳しい紹介は>私のウェブサイトで!

先ごろ、二本松藩江戸上屋敷が議員会館建設の為の発掘で出土品があったという。
週間ポストにデカデカと記事が書かれていた。
実際の様子は週刊誌のレポートとかけはなれているようだ。

だが、二本松藩の江戸上屋敷は山王神社の入口に位置している。
天下祭りのひとつの山王祭(日枝神社)でも、もうひとつの天下祭りの神田祭と
同様に通りを埋め尽くすほどの山車や屋台が出たと記録がある。
二本松藩の殿様がその祭りを見て、地元でも奨励しようと思わなかったとはいえないだろう。

町づくりは町育て

2006年12月15日 09時16分06秒 | マイ・ブーム
町づくりのセミナーに参加してみた。
二本松商工工会議所で12日開催された、弘前大学教授・北原啓司講演会である。

はっきり言って、カルチャーショックを受けて帰ってきた。
私の行っているプロジェクトの今後の行く末を大きく変えることになるかも知れないと思うくらい、
内容のある講演であったと思う。 >弘前大学・北原啓司研究室
他の人の受け止め方はどうかは分からないが、今、自分の行っている事の方向性は間違っていないと
いう裏づけをもらったようにも思えた。
私の最終着地地点は、以前から言っているように、お祭り会館の建設にある。そして、それは只の
入れ物を作ということではない。つまり、中身であるソフトが重要なことであり、だから、二本松
提灯祭りをとりまく歴史や形態などについての研究から入り、多くの人に本当の祭りの姿を知って
もらうことから始めようとスタートした訳であった。

さて、今回の講演の内容については友人・仁さんのブログ(まち・もり・ひと)で詳しく述べられているので参照して欲しい。
私が説明するより正確で取りこぼしがないからである。

かねがね町づくりの話が出るたびに話すことなのだが、町づくりに対して国がお金を出す仕組みに
は二種類あったと思う。(古いデータで古い呼び方を勘弁願いたいが)ひとつは、通産省型で、もう
ひとつは建設省(国土交通省)型だと思う。先は、町興しには商売が重要、従って、商売のあり方な
どについて地域頑張っている人や団体に予算を付けて使わせた。後は、道路や公園などの社会資本を
充実整備することによって人々の生活の利便性や安全性を高めて地域を復興させようという形である。
先のよい例が長浜で、後のよい例が彦根である。どちらの事例も距離が近いので一緒に町づくりの実態を
調査、比較するのに使われているようである。

さて、どちらが賑わっているか・・・というと、成功例の代表格「黒壁で有名な長浜」である。
半径500メートルの地区に多いときは100万人以上がやって来たという。
私は、先に上げた通産型である長浜スタイルを二本松でもやりたいと思ったことがあった。二本松で
いうなら丁度裏町くらいの通りの太さである。ここに大勢の人がバスを仕立ててやって来る。目的は
黒で統一された商店郡と核となっている銀行後を改装した黒壁スクエアのガラス美術館なのだ。

後の彦根はどうかというと、建設省型なので道路を広くした。彦根城の大手門からまっすぐに伸びる
道路が整備されて広々とした空間と綺麗に整備された町並みが続く。ガソリンスタンドから新聞店、
郵便局、衣装屋まで和風の銀黒瓦の整然とした町並みである。だが、人の賑わいはない。

この情報を10年以上も前、福大の先生から聞いて見に出かけた。
そして、この先生の持論は「道路を広くして賑わいを回復した事例は日本にひとつもない」であった。
だから、町興し、町づくりをするには通産型だと思っていた。

さて、今回のセミナーの要点は、私のつたない解釈だが、建設省の考えか方に変化があり、予算の付き
方も変化したのだということである。つまり、道路や公園整備に金を出すことから、町づくりの考え方
などの研究や仕掛けづくりのソフト開発などにも金が、あの建設省から出るようになったということと
思った。しかも、その出し方は国が考えるのではなく、予算を要求する側が考えねばならない。先生の
言葉を借りるなら「物語にお金がでる」という。

だが、町づくりを地道に続けている人達の苦労は多いと思う。どんなに近代的な手法をもってしても、所詮は
人々の生活について入り込むわけだから一様に行くわけがない。それぞれの対象者について、それぞれ
の事情があり、それの一つ一つにそれぞれの対策が必要なのである。だから、最前線でそのすり合わせ
を押し進めるには大きなエネルギーと情熱が必要になってくる。人々はその情熱にほだされて重い腰を
上げてくれるだろうし、対策に応対している人の熱で熱くさせられて動いてくれるのだと思う。だから
その二つの要因を持たない人がいくら関わっても失敗に終わることが多いのである。そういう意味で
また先生の言葉を借りるなら「町づくりは町育てである」と。

今回は、そういう情熱があり、多くのエネルギーを持った人達の話を聴くことができたセミナーであった
と思う。はたして、この二本松で何をするべきなのかである。多くの示唆をもらって、また少しだけ前に
進めそうな気持ちになった。機会があったら北原啓司教授の話をもう一度聴いてみたい。

干し柿を作ったよ

2006年12月12日 08時23分54秒 | デジャブー
昨年に続いて干し柿を作ってみた。

今年の柿は小さかったので出来上がったものもやはり小さかった。
去年のものと比較して半分以下の大きさ、あかちゃんのこぶしくらいだ。

干し柿は数を食べれるものではないが、おいしい食べ方がある。
クリームチーズにをはさんでいただくのだ。
濃厚な味は洋酒系のお酒にばっちり。
安いチリワインだってロマネコンティ?(←飲んだことないけど)

干し柿の作り方は簡単だ。
柿の収穫は実に付いている枝を必ずT字型に残すこと。おおざっぱにもいでから
剪定はさみで丁寧に残してゆく。
次に皮を剥くときには、ヘタのまわりを包丁で一周させる。
そして、皮むき器で残りの皮を除く。
ひも(専用のものも売っている)によりをもどしながら枝をはさんで90度回転。
最後の仕上げに硫黄で少しだけ燻製にする。
このいぶし作業で柿が黒くならないのだそうである。(理由は分からない)

昔は、吊るす前にわらで上下にはさんでひと乾きさせたそうです。
わらについている菌が柿の表面に白い粉をふかせる、そうである。

今年は寒くなるのが遅かったが30日あまりで写真のような干し柿が完成した。

シチューがおいしい季節になりました

2006年12月10日 09時15分01秒 | マイ・ブーム
ジャガイモを沢山いただいたのでシチューが食べたくなりました。
ブロッコリーやカリフラワーは、生か?と思われるくらいのゆで方がいいネ。
ホクホクのじゃがいも・・・んめーーっ。


食べながら一年のことを降り返ってみました。
いろいろあった年です。
この顔、あんまり世間様にさらしたくなかったのですが、TVにも出ることになり世の中の
人から、いい気になってと思われたかもしれません。

ダイドーコーヒーのブログ「日本の祭り18選」で、町のこと、祭りのことを書きながらふる
さとのことを思い返しておりました。
この町のもっているアイデンティティというやつです。


昔の読んだ本の中に好きな言葉があります。
「地獄の征服」という言葉です。詩人山頭火の言葉ですが、それを引用して画家菅創吉が
芸術という創造する作業の難しさを伝えております。
その中に「地獄の火をくぐった個性でなければ、まことの熱がない」と。
もがき苦しんで、自分が熱くならなければその熱を他に伝えらないということでしょう。


来年はどんな年にしてくれましょうか。
いたずらに歳をかさねたこんな私ですが、意気消沈していると声をかけてくださる皆様が
おられます。有り難いことです。
もう少し頑張ってみようか・・・・という気持ちになっております。

二本松って難しい

2006年12月01日 09時16分13秒 | 祭人
師走になった。あっと言う間の一年だったかも知れない。
お祭りの取材をはじめて5年目になるが、いろいろなメディアにも形で取り上げら
れるようになった年だったと思う。一昨年と昨年にFMふくしまの生番組に出たり
今年はテレビにも出ることになった。また、みんぽうの読者に無料で配られる「
ハイみんぽう」にも祭りの紹介者として取り上げられた。

今年、二本松にダイドーコーヒーのCMクルーがやって来て、二本松提灯祭りの
本番の様子とそれにまつわる人達の「日本の祭り・一言パフォーマンス」が行われた。
この番組は「お祭りが日本人を元気にする」というコンセプトで全国にあるお祭りに
スポットライトを当てて、CMに利用するという企画なのだ。メインキャラクター
はあのエジプト考古学者の吉村先生だ。また、この企画の中心になっているのがダ
イドーコーヒーのお祭りブログ「日本の祭り18選」なのである。(ダイドーの社長
と博報堂のシニアディレクターは早稲田の同窓生とか)

私とこのブログの出会いは昨年にさかのぼる。
聞くところによればこのブログは三年目なのだそうだが、昨年は福島県代表として
「相馬野馬追い」が選ればれていた。これに選ればれている祭りには、それぞれに
現地リポーターなるブログ担当者がいるわけだ。
二本松の提灯祭りがこ選ばれ、お祭りを紹介してもらえることになった。このことを
二本松市観光課から初めて知らされたのは今年の2月頃だったと思う。観光課では
内容をよく知らなかったハズだが「現地リポーターという役目」があるはずだから
お願いして、とこちらから頼み込んだのだった。
後は周知のとおりの二本松のお祭りを年間を通して記事をアップすることを続けた。
最低週1回は投稿するようにこころがけて半年を無事終えることができた。

このお祭りブログにはおまけがあった。CMを流す為の母体となる地元テレビ局に
よるテレビ番組があるのだ。やがてTUFの担当者が二本松にやってくると聞かさ
れ、お祭りの見所、取材をして欲しい場所などのアドバイスをした。これで終わり
と考えていた。しかし、まさか、自分が中心になって番組に出ることになろうとは
思いもよらなかった。本当に正直な話、あまりテレビに映りたくなかったのだ。

二本松と言うところは、目立つ動きをすると、その者の足をひっぱる地域性がある。
なんとか出版の仕事を続けてきた。私は自分の名前をどこにも出したことがない。
公然の秘密になってしまっているけれど、二本松では目立たないようにしていた方
がいい町なのだ。しかし、自分の志惑とはうらはらに、テレビ局のディレクターが
どんどんと二本松提灯祭りの伝え方を決めて行った。そしてそれが今回放映になっ
てあの手の形という訳である。

ディレクターの言葉そのものを借りていうと「ゆきさん、例えば、二本松の人以外
に祭りを伝える時、若宮の太鼓台だけが回転を違う方法でやっているのです。など
と言っても短い放送時間では分かってもらえないでしょう」と。その通りだと思っ
た。私のねらいは、二本松提灯祭りをメジャーにすることである。だから方法は何
でも良いと考え、大阪や東京にも出かけテレビ局の望むままの取材に応じた。
番組放映終了後メールがあって、視聴率9.9%だったそうである。私には分からない
けれど相当いい数字らしくて「社長賞モノ」だそうである。テレビ局の番組モニタ
ーの評価文書も見せてもらった。なかなかの評判だったようだ。

いずれにしても、自称「公式ウェブサイト・二本松提灯祭り」「公式・二本松提灯
祭りガイドブック・ほらどっこい」などが評価され、CMの元締めとなっている博
報堂のディレクターに目がとまり、CM対象の祭りに選出されたのだと思っている。
そして、数々の取材が半年間をかけて行われ、切り口の一味違う二本松提灯祭り紹
介番組が放映されたということになる。

只今、平成18年度祭礼のライブ版お囃子CDを制作中である。本来なら、スタヂ
オ版との二枚組みで出版する予定だったのが足並みを揃えられなかった。文化セン
ターでの公開収録、教育委員会など関係機関の同意、会場確保、収録スタッフ確保
、編集者のめどなどすべての準備がOKだった。所詮、個人が仕掛けたことに違い
はない。力不足を痛感している今日だ。

ほらどっこい>カレンダー>DVD>CD・・・新しいことにチャレンジして来た
けれど、この町・二本松では全てが難しい。